第2話
情事を終え、裸でシーツにくるまる。さっきのほうが近くにいたはずなのに、隣り合って触れる素肌になぜだかそわそわしてしまう。
(この人、すごく相性良かった……)
よく体の相性が良いとか悪いとか言うが、これまで夏美はその言葉を真の意味で理解できていなかった。というのも、これまでセフレと行為をしつつも、「誤差」くらいにしか人による相性の違いを感じてこなかったからだ。
そもそも前提としてセックスは気持ちがいい。相手とのコミュニケーションでもあり、普段の自分からの解放でもある。だから、楽しむ。とことんバカになる。
ただその普段とのギャップがあってこそ、楽しいものだったのだと思う。
しかし、今日は違う。どうしたって体の相性があることを感じずにはいられなかった。肌が吸い付くようだというありきたりな表現が、今日はしっくり来た。挿入した相手のものが、自分の一番欲しいところをつく。肌が触れ合うたびに、胸の奥がときめく。
(もう一回……シたい)
夏美は男のほうを見た。男はすでに興味をなくしたのか、窓の外を見つめているようだった。
「ねぇ」
「……」
「もう一回シない?」
「しない」
「そっか……」
二度目を夏美から誘うことは、実はそれほど多くない。一度果てれば、さっぱりと欲求はなくなる。そこはどこか、出してしまえば欲がそげる男性と似ていると思っていた。
だから、それなりに二度目を誘うのは勇気がいったのだ。それでも、誘いたいと思うほどに。
(……ちょっと悲しい……)
セックスに意欲的でない男の気を乗せるのには挑戦的になれても、二度目のセックスの誘いを断られたらもうくじけてしまう。
「こういうのに、慣れているのか」
「え? ま、まぁ……」
一応、こちらの心情を汲んでくれたのか、男から話題を出してくれる。
「そこそこ、かな。あなたは? 初めてではないでしょ?」
「……」
「っていうか、あなたの名前は? 教えてくれないの?」
「……アイザックだ」
「アイザック……」
(本当に外国人なんだ……)
「他には? あなたのこと、教えてよ。どうせもうやることやっちゃってるんだから」
「別に、俺のことで話すことはない」
「今、いくつ?」
「嘘はいくらでもつける」
「そう。じゃあ同じくらいの歳かなって、思っておくね」
相手が自分の話をしたがらないのは十分にわかった。だったら、夏美はそれ以上を詮索することはない。
ただ、今はまだ余韻がほしい。
「ねぇ」
「ん?」
「くっついてもいい?」
「……好きにしろ」
この男からその言葉を引き出せたことが、夏美の気分を上げる。夏美は男の腕に腕を絡め、横から抱きついた。
まだ身体は火照っているはずなのに、本当だったら暑くて嫌になるような熱も、心地よい。
(今なら、本当に死んでもいいかも……)
夏美は幸せな気持ちで、眠りについたのだった。
まぶたに明かりが差し込み、夏美の意識が急浮上する。
目を開けると、天蓋ベッドの天井が見えて、うっすらと、しかし次第にはっきりと昨晩のことを思い出した。
(……ああ、そういえば……ラブホでそのまま泊まったんだ)
意識が覚醒してくると同時に、襲われる空虚感。
(いない……)
ヤることが目的の相手であれば、こういうことは悲しいかなままある。しかし、昨日のあのぴったりとくっついたときの心地よさ……もとい相性を思うと、いつもよりも寂しさを強く感じる。
(予定があったのかもしれないし、ゆきずりの女なんてわざわざ起こして行ってきますを言うような関係でもない)
頭では理解していても、心が追いつかないこともまた、ままある。
(寂しいなぁ……)
そう思いながら身体を起こしたとき、行為後に蹴って下の方に追いやったはずの毛布がかけられていることに気づく。
(こ、れは……)
今の自分は、裸にその毛布だけ。これが冬の気候であったら夜中に震えて目を覚ますだろうが、幸いにも今は寒さを感じる気温ではない。
(……毛布、かけてくれてから出て行ったのかな)
アイザック、と名乗ったあの男が、どこか冷めたような一面も持つあの男が、自分に毛布をかけてくれたのだと思うと、先ほどの寂しさはいくらか軽減された気がした。
(よし……とりあえず、帰るか)
夏美は身支度をして、忘れられない一夜を過ごしたこの部屋を出ることにした。
しかし、その数分後……。
(ここ、絶対日本じゃないよね!?)
街の様子が明らかにおかしい。ラブホテルだと思いこんでいたあの場所も、どうも洋館のようで、街並みはレンガ造り、いかにも西洋風の造りであった。
(馬車、レンガ、石造りの建物、人たちの服装……どう考えても、私の知ってる日本じゃない)
しかも街の人々はせわしなく往来を行き来し、夏美のほうを怪しむような眼差しで見ていた。
(理由は言われなくてもわかる……だってこんな格好してる人、一人もいないもん!)
周囲には、鹿鳴館の資料で見たようなドレスの者もいれば、ワンピース型のペティコートに腰からエプロンを巻いているものもいる。男性はほとんど紳士服姿だった。人によってはこちらをチラチラ見て、何かを話し合っているふうでもある。
「あ、あの……」
近くにいた女性にイチかバチかで話しかけてみるも、嫌そうな顔をして引かれてしまう。
(これはもう、間違いない。完全に、異世界転移しちゃってるやつだ……)
思えばあの事故で、死んでいないはずがない。最近通勤中に読んでいる、異世界転移の漫画作品では定番の死に方をしたのだ。しかも。
(異世界転移モノって……ほとんどの作品で、元の世界に戻れないんじゃ……?)
あくまで夏美の観測史上だが、この手の作品で元の世界に戻れたためしがない。夏美は慌てて手に持っていた通勤用のバッグを開いた。
スマホの画面をタップすると電源はついた。だが、その一瞬の期待を、左上の圏外マークが打ち砕く。
(圏外……充電も少ないし、何もできない)
他になにか役に立ちそうなものはないかとバッグの中を探るが、元々夏美は身軽にしておきたいタイプである。あったのはハンカチ、キーケース、予備のコンタクトケースとあの日買ったコンドームだけ。
(緊急時のことなんも考えてないバッグの中身だな……って、こんな想定できるわけないけど)
人の視線が痛くて、とりあえず近くの狭い路地に隠れる。
(前世の私ってどうなったんだろう? 死んだ……のかな? でも、私トラックに轢かれて転移したから、馬車に轢かれたりしたら戻れたり……?)
パカラパカラと軽快な音を立てて通り過ぎていく馬車を見つめ、真剣にそう考えてみる。おそるおそる路地から通路を覗き込み、次の馬車が来るのを確認しようとしたその時。
(びっ……くりした!!)
びゅう、と眼の前を走っていった大型の馬車に、まさに巻き込まれそうになった。それだけでぞわぞわとあとから追ってやってくる恐怖感。
(あ、あんなのに飛び込める勇気ないよ……!)
再び路地に引っ込んで、これまでに見た異世界転移作品のエンディングを思い出す。
(これが乙女ゲームだったら、理想のイケメンとのハッピーエンドを迎えて元の世界と行き来できるルートがある……?)
それだったら夏美にとっても言う事なしである。イケメンとラブラブしながらこの世界から戻れるなんて、夏美にとってはご褒美だ。
(でも、もし乙女ゲームじゃないとしたら……勇者として魔王を倒して元の世界に戻るとか……? ちょっとそれは考えたくないけど……)
さすがに自分が勇者になって魔王を倒す未来は見えない。それでも、夏美は諦めるつもりはなかった。
(なにか方法はあるはず。私がこの世界で生き抜くための方法が……!)
弾む足取りで歩き始めた瞬間、背後から強い力で引っ張られる。
「な、何!?」
思わず驚いて大きな声を上げたが、周囲の人は夏美から気まずそうに目をそらしたのが目に入った。それを見て、次は自分の背後を見る。屈強な、先ほど見た紳士服姿ではない、薄汚れたシャツとパンツの男たちに裏路地に連れ込まれていた。
「や! やめてください!」
「おい、こいつの口を塞げ」
「嫌! こんなとこで死にたくない!!」
夏美は騒げるだけ騒いだ。さっき自分から目をそらしたあの人達が、何かの心変わりで助けに来てくれるかもしれない。それに何より、なすことなせずに死ぬのが嫌だった。
「だいたい、王族だけやりたい放題なんてずるいんだよ! 俺らにも権利があるだろ!」
(王族? 権利? 何の話……!?)
「おい! そこで何をしている!」
鋭い声に顔をあげると、そこには軍服のようなものを着た男たちが立っていた。
(えっ……何この人たちかっこいい。やっぱり制服って魅力マシマシになるな……)
死にたくないと思って叫んでいた次の瞬間には、もう下心が出ている。夏美は自分のこの現金な性格を、我ながら憎みきれないでいた。
「いや、見慣れない女がいたもんで……」
「……」
愛想よく野蛮な男たちが答えると、軍服姿の男たちの視線が一斉に夏美に集まる。
「……女、お前この国の人間ではないな」
「は、はい……違うと思いますけど……」
「どこから来た」
「日本です!」
夏美の正直な回答を聞いた軍服姿の男たちは、数名で言葉をかわし、頷き合ってからこちらへ歩みを進めてきた。
「その女から離れろ」
その厳しい声に、野蛮な男たちは夏美から手を離す。
(よかった……助けてもらえそう……!)
「ありがとうござい──」
「この女を捕らえろ!」
「えっ!?」
次は軍服姿の男たちに取り囲まれ、両腕を拘束された。
「ニホンなどという国はない。虚偽の申告と不法入国で投獄する」




