第36話
アイザックが帰国してきた翌日。議会で中心となるのはもちろん、アイザックが偵察から持ち帰ってきた情報である。いつものように夏美はアイザックの後方の傍聴席に座っているが、アイザックを直視できなかった。
(結局今日も、まだ何も話せてない……)
いつもはアイザックが夏美の部屋に来てくれるか、夏美がアイザックの部屋に乱入するかで一緒に議会場へ来ていたが、今日はそのどちらもなかったがために、別々の入場となった。
「えー、それでは本日の議会を始めます。まずは、アイザック・アルセンブルグ議員から、今回の軍事衝突の偵察結果から報告を」
「はい」
アイザックが立ち上がる。いつも見ているはずの背中が遠く感じた。
「今回は、ワイズドレア公国とラデンブルグ公国の国境線沿いにある、ローヴァン渓谷、およびその北側に位置するハルツ砦周辺に偵察に行きました。本件について、ワイズドレアとラデンブルグの軍事衝突と事前に聞いていましたが、実際には、周辺諸国の偵察部隊も複数確認されています。本来であれば、小規模な国境紛争で済むはずの衝突でした。しかし、現地では、想定を超える兵力と軍需品の流入が確認されています。偵察部隊を確認したのは、シュレント共和国とエニアール自由共和国、オルディア連邦王国……」
アイザックの報告を、フラネルは興味なさそうに聞いていた。夏美は、あの日参戦表明をした議員たちの表情をこっそり観察する。
(参戦派の人たちは、誰も真面目には聞いていなさそう……)
腕を組んだまま目を伏せている者、隣の議員と小声で言葉を交わす者、わざとらしく退屈そうに息を吐く者。少なくとも、アイザックの報告を真剣に受け止めているようには見えなかった。
「……以上、報告を終わります」
アイザックが席に着くと、フラネルがすぐさま挙手をする。
「では、シュレント共和国とエニアール自由共和国、オルディア連邦王国の三国を含んだ戦争になりそうである、というのが殿下の見立てですか?」
「……そうは言っていません。ただ、戦争になる可能性は十分あります。我が国がそのときどう振る舞うかは、これからしっかりと検討すべきですが」
「これから? ハッハッ、殿下は悠長ですな。私はある筋から、すでに戦争になりそうだという噂を聞いておりますぞ。殿下がいない間にも、こちらはすでに備えの必要性を議論しておりました」
フラネルのその言葉を聞いて、アイザックが動きを止めた。
「……そうですか。私の情報のほうが遅かったようだ。それは、どういう筋の情報ですか?」
「北西を行き来する商人どもからの情報ですよ。議場に座っているだけでは得られぬ、生きた情報というものです」
「その商人というのは?」
「アルヴァン黒馬交易商会です。北西交易に関わる者なら、誰もが名を知る商会ですがね」
フラネルの嫌味にも、アイザックは顔色一つ変えない。
「ああ、アルヴァン黒馬交易商会ですか。よく存じております。それと……備えの必要性を議論していた、ということは、戦争になった場合、我が国も参戦すべきだというお考えですか。フラネル議員はなぜ参戦すべきと思うのですか?」
「無論ですな。第一に、我が国の北西交易路を守るためです。ワイズドレア周辺が戦火にのまれれば、我が国の商いは大きな打撃を受ける。今のうちにワイズドレア側への支援を示し、戦後の発言権を確保しておくべきでしょう。国内の商売を枯らしておきながら、平和を叫ぶというのはなかなか滑稽でありますからな」
「ほう」
「第二に、国防のためです。戦火が国境近くまで及んでから兵を動かしても遅い。今、軍備を整えることこそ、民を守る政治です。第三に、周辺国への牽制です。ミストリアが腰抜けだと思われれば、次に狙われるのは我が国かもしれません。戦える国であると示すことは、今後の戦を避けるためにも必要なのです」
「なるほど。交易路の保全、国防、周辺国への牽制。そのために軍備と物資調達が必要だと」
「ええ。その通りです」
「よくわかりました」
(え……? アイザック、言い返さないの?)
夏美は思わずアイザックの背中を見つめた。しかし、アイザックはフラネルを睨むでもなく、怒るでもなく、ただ静かにうなずいただけだった。
「では、現時点では参戦を前提とした物資調達案の作成を、フラネル議員に任せるということでよろしいか」
議長の声が響く。夏美の胸がざわついた。
(それで、いいの……? 戦争になっちゃうかもしれないのに……?)
「ええ。一旦はそうしておきましょう。それにしても、偵察の間に話がずいぶん進んでしまっているようだ。あとで議会の議事録を読んでおきましょう」
「悠長な。偵察中、議会に出られなかったのなら、帰ってきてすぐに読んでおくべきでしょうに」
フラネルは苦虫を嚙み潰したような表情で、アイザックをこき下ろす。
「おっしゃる通りです。明日までには読んでおきますので、この件については明日もう一度議題にあげてください。いいですか、議長」
アイザックは、議長がうなずくのを見てから着席する。夏美には一瞬だけ見えた。アイザックが目を伏せたその口元に、感情のない薄い笑みが浮かんだのを。
(何か、アイザックには今の話でつかめたことがあったのかな……?)
夏美は続く議論を聞きながら、そんなことを考えていた。
アイザックの執務室には、ヨハンとスナ、そしてソンジがそろっていた。みんなで向かい合ってソファに座る。
「まず、俺の不在時によく調べてくれた。ヨハン、スナ。二人のおかげでフラネル卿の思惑を暴けそうだ。心から、礼を言う」
「うん。このくらい朝飯前だから、気にしないで」
「僕も、ただ名簿を見ただけだから」
「……お前たち、性格もよく似ているな」
二人ともちょっと素直ではないところがよく似ている、とアイザックは思う。
「このまま、なんとか戦争も食い止めよう。フラネル卿の悪事を議会で暴いて、その思惑に乗るべきではないって主張すれば、少なくともうちの参戦はなくなりそうだよ」
「……そうだな。今日の議会でも、フラネルは参戦すべき理由を3つにまとめてきた。だが、どれもでまかせだろう。情報の出先はごまかしていたが、やはりアルヴァン黒馬交易商会だろうな」
「ああ、それだけど。スナ、話せる?」
話を振られたスナは、頷いてから持っていた本を開いた。そこにはフラネル一族の遍歴が書かれている。
「フラネル議員は、若い頃から自分で表に立つより、人を動かすのがうまかったみたい」
「人を動かす?」
「うん。フラネル家には当時、家督を継ぐはずだった長兄と、軍で評価されていた次兄がいた。フラネル議員は三男で、家督からは遠かった。でも、数年のうちに兄弟仲が急激に悪化している」
「原因は?」
「記録には残っていない。ただ、長兄の側近が突然入れ替わった時期と、次兄の婚約が破談になった時期が重なってる。その直後、両方の家臣に金を貸していた商人がいた」
「黒馬商会か」
「当時はまだ別名義。それまでは別の人間が会長を務めていたんだけど、長兄と次兄に金を貸した翌年に、会長はフラネル議員になってる。前会長は、病死したみたい」
スナが取り出したのは、これまでアルヴァン黒馬交易商会に吸収された商会の一覧である。それを覗き込みながら、ヨハンが口を開く。
「病死ってのも、かなり怪しいよね。書類上でいくらでも偽装できる」
「うん。たぶん、最初からアルヴァン黒馬交易商会の隠れ蓑としてこれらの商会は運用されてたんだと思う。全部最終的には特に抵抗なくアルヴァン黒馬交易商会に吸収されてるから。しかも都合がいいことに、これらの商会はいろんな国の議員が会長だったんだ」
「……おい、それはもしかして、かなり大事になるんじゃないのか」
「僕も、今朝スナから話を聞いてぞっとしたよ。アルヴァン黒馬交易商会は、各国の議員とのつながりを持ち、彼らを動かして次々戦争を引き起こし、利益を得ているんじゃないかってね」
「そう。そう。少なくとも、北西のいくつかの戦争には、アルヴァン黒馬交易商会が深く関わっている可能性が高い」
3人はあまりの規模の大きさに、押し黙ってしまう。
「少しだけ話を戻すけど、フラネル議員の家族について。結局、長兄は失脚し他国へ追放。次兄は軍での失態を責められて、この人も他国に追放されてる。そのあとフラネル議員は、荒れた家を立て直した功労者として父親に評価されている」
「なるほど」
「でも、長兄がいた国はその数年後に戦火に巻き込まれて現在所在不明。次兄のいた国も、派手な軍事衝突があって、次兄はそこで他国からのスパイ扱いされて処刑されてしまう」
「……偶然とは思えないな」
消えてほしい人物を追放した先で、戦争を起こす。そしてその命ごと抹消する。
「昔から同じなんだと思う」
スナは、机の上の紙を見つめたまま言った。
「フラネル議員は、争いが起きたから利用したんじゃない。争いを起こして、そのあとで一番得をする場所に立つ人なんだ」
「つまり、今回も同じってことでしょ。ワイズドレアとラデンブルグの戦を見つけたんじゃなくて、広がるように手を入れてる可能性があるってことだね」
「ああ」
アイザックが低くうなるようにうなずく。
「家を盤面にしていた男が、今度は国を盤面にした、ということか」
「僕らの母さんに近づいたのも、ヨハンお兄ちゃんが生まれてからだよ。それまでは、王妃派の中心ではなかった」
「僕が生まれてから?」
「うん。第二王子であるアイザックお兄ちゃんと、王妃の子であるヨハンお兄ちゃん。どちらを次代に推すかで議会が割れ始めた時期に、フラネル議員は急に王妃派の重鎮になってる」
ヨハンの表情が、わずかに強張った。
「ふーん。僕のことも、駒として利用していたってわけか。余計に許せなくなってきた」
「スナ、これらはすべて証拠のある話か? 奴の悪事をすべて白日にさらす」
「状況証拠なら、かなり揃う。書庫にある記録だけでも、フラネル議員と黒馬商会のつながりは追えると思う」
「決定的な証拠は」
「そこまでは、まだ」
スナがそういうと、アイザックは立ち上がった。ヨハンもスナも一緒に立ち上がる。3人で書庫に向かって歩き出した。
「とりあえず、すぐに集められる証拠はすぐに揃えてフラネルにゆさぶりをかけよう。明日の議会が楽しみだ」
「だが、油断はするな。こちらが握っている情報がすべてとは限らない。奴は身内すら手に掛ける冷酷さもある」
「そうだね。あ、そういえばあの子は放っておいて大丈夫なの?」
「あの子?」
「ナツミのこと」
「……ああ。今は話をしている時間はない。万が一戦争になったら、どうせ国に帰すんだ」
「だけど、昨日泣いてたよ? お兄ちゃんも、知ってるよね?」
「……見ていたのか」
「うん。あの子の様子が気になってね。いつもバカみたいに元気なのに、昨日はやけに狼狽してたし」
「今はあいつの話はなしだ。目の前のことに集中する」
アイザックはヨハンのほうを見ずに言い放つ。ヨハンはそれ以上なにも言えなくなって、3人の靴音だけが廊下に響いていた。




