第35話
その日の夜、夏美は一人部屋でベッドに座り、窓から外を眺めていた。日本ではありえないほどよく見える星空。街に光はほとんどなく、3階建てのこの位置に届く建物はない。
(なんか……久しぶりに会えてたくさんアイザックにドキドキしたのに、その後の急転直下で現実感出てきちゃったな)
今日は感情が忙しかった。アイザックが無事に帰ってきてくれたのはうれしかった。そのあと転びそうになったのを抱きとめてくれたのも、頭をなでてくれたのも。
(でももうあのとき、すでにアイザックは私を日本に帰そうと思ってたってことだよね?)
そう思うと、あの優しさがとたんによくわからなくなる。
(もう離れるから、最後の優しさってこと?)
考えると考えるほどぐるぐるする。アイザックの本当の気持ちが知りたかった。
(でも、アイザックと今、冷静に話せる気がしない……)
結局動く気になれず、ベッドに寝転がった。
(母国、か……。そういえば……私、あっちの世界では死んだんだよね? 事故に遭ったのが最後の記憶だし。お母さんもお父さんも、泣いてるかな……)
夏美は一人っ子である。田舎を出て、大学で上京するときだってしんみりとしていた両親だ。現代では、両親を泣かせてしまっているかもしれない。
(……ごめんね、お母さんお父さん……親不孝だな、私。親よりも先に死ぬなんて。でも、私は違う世界で生きてるから)
それだけでも伝えられたら、まだよかったかもしれない。それすらままならないまま、両親を悲しませてしまっている。
(はぁ……最悪。なんで私、いままでそんなことに思い至らなかったんだろう)
すっかり現代のことを忘れて過ごしていたが、今思えばとんだ親不孝者だ。しかも今は、好きな人に好きだと伝えることすらできず、どうしていいのか途方に暮れている。
(少し前まで楽しかったのが嘘みたい……なんで、こうなっちゃったんだろう)
この世界に来てから無意識に抑え込んでいた積もり積もったものたちが堰を切ってあふれ出す。
「ううっ……私どうしたらいいの……」
声に出すと自分の声がさらにむなしく響いて、涙が止まらない。夏美はベッドに顔を押し付け、嗚咽をこぼして泣いた。
その嗚咽を、アイザックはドアの外で聞いていた。本当は、さっききつく言ったことを謝りに来たところだった。しかし、夏美の泣くのを聞いたら、手が止まってしまった。
(……そんなこと、初めからわかっていたはずだ)
ここで夏美を突き放し、母国へ帰らせる。夏美は絶対に嫌がるはずだとわかっていた。わかった上で、誰よりも生きていてほしい人を遠ざけたつもりだった。
(まだ、覚悟が足りていなかったようだな)
アイザックはしばらくドアの前から、動くことができなかった。
◇ ◇ ◇
低い曇天に畑の焼かれたにおいが充満している。先回りして偵察するつもりだったのに、行ってみたらそこは戦火の跡地になっていた。アイザックは深いため息をついた。
「この様子だと、思っていた以上に他国が介入しているのかもしれませんね」
騎士団長を夏美のそばに置いてきた代わりに、連れてきた副騎士団長のリヴァン・カーヴェルがアイザックの横に馬を寄せてきて言った。
「かもしれん。まずいな」
「ええ。大きな戦になるかもしれませんね」
アイザックたちの母国であるミストリア王国の西にあるワイズドレア公国が今回の火種である。ワイズドレア公国が戦を仕掛けているのはさらに北西にあるラデンブルク公国という小国である。しかし、この様子だと小国とみて油断していたものの返り討ちに遭ったというところだろう。さらにワイズドレアより西側は宗教的にも東側とは相性が悪い。こすればいつでも火種が発火するような状況である。今回の軍事衝突も必然のように思われた。
「今回、偵察に来た他国の調べはついているか」
「はい。シュレント共和国とエニアール自由共和国、オルディア連邦王国については偵察部隊を確認しています」
「そうか。いずれも大国だな。どこかの国がこの戦に手出ししていないといいが」
「……」
リヴァンは黙ってしまった。ということは、考えているのはアイザックと同じことなのだろう。
(何の策もなしに戦って、ラデンブルクがワイズドレア相手に勝ち目があるとは思えない。ならば今回偵察に来ているどこかの国が資金か武器を提供しているか、もっと言えば軍事力そのものも……)
それほど兵力差は大きい。ラデンブルクがいずれかの国を頼ったことがワイズドレアに知られたら、周辺国を巻き込んだ戦争に発展する可能性は大きい。
(早馬を出してこの状況を国王陛下に伝えるか?)
「リヴァン。ここからミストリアに早馬を出したら何日かかる」
「早くても3日はかかるでしょう」
「……なら自分で帰って直接話をつけるか。王妃側の動きも知りたい」
早駆けで4日ほど、だったら手紙ではなく直接伝えてその後の動きもこちらである程度掌握できたほうがいい。
「でしたら、私が残って状況を知らせましょうか?」
「ああ。だが、俺も明日明後日は残る。その間にどこの国が支援したか調べる」
「わかりました。ではすぐに分隊を出しましょう。戦況はそちらに任せて、明日は他国の偵察部隊へ直接当たってみては」
「近くにいるのか?」
「ええ。噂では今日この山のふもとでシュレント、オルディアが野営をすることになっているようです」
「エニアールは?」
「そこから少し行ったところにある川沿いだと」
優秀な部下は仕事が早い。アイザックは太陽の傾きを確認し、頭の中で他国の偵察部隊野営地までにかかる時間をはじき出す。
「この夜を移動に使えばすべて当たれるな」
「はい。私も同行します。あまり人数は多くないほうがいいでしょう」
「ああ、俺とお前2人でいい。敵意はないと伝える」
アイザックの中で、ある程度今後の動きの方向性は決まった。リヴァンと2人そろって馬を駆り、橙色の空の下を走るのだった。
翌日の夜。無事他国の野営地に挨拶をして回った後、もう一度山を登らなければならないのでその手前で野営をする。といっても2人しかいないので火を焚いて寝袋を出すだけである。
「さすがに疲れましたね」
「ああ」
「あ、そういえば」
焚火で向かい合っていたリヴァンが、胸ポケットから何かを差し出してくる。受け取って近くで見てみると、それは夏美がいつか髪に着けていたリボンであった。
「数日前に、殿下の上着から落ちましたので、大事なものかと」
「……ああ。気を使わせて悪いな」
「いえ。それより、今日は眠れますか?」
「……」
身体に疲れはある。気疲れもした。各国の偵察部隊との会談や夜通し馬を走らせたことで体力的には疲弊しているに決まっている。
それでも、だったらすぐに眠りにつけるかといわれるとそんな気はしなかった。
「血統主義側は他国の侵略をし領土を広げることが目的だから、今回の戦争にも必ず参戦したいと言うだろうな」
「ええ、そうでしょうね。ただ、国内の情勢を考えると今戦争はしたくないと考えるのが妥当な気がします」
「そうだな。武器の製造なども追いつかないだろうし、体力もない。むしろ攻め入られる可能性を考えるとどうしても判断がつかない」
そういうとアイザックは無意識にため息をついた。本当は国内の情勢を早く整えたい。それでも容赦なく他国の状況も動く。
(帰ったら、まずは国王陛下に相談するべきだな。できるだけ血統主義側には漏らしたくはないが……)
「殿下の来賓も、母国へお帰しになったほうがいいでしょうね」
「……ああ、そうだな」
(そうだ……あいつはこの国の人間じゃない。帰すべきだ)
何が火種になるかわからない。戦争になりうるできる限りの可能性を排除するべきである。他国のいざござで死ぬ必要もないのだ。
アイザックはそのまま、何も言わず寝袋に横になった。明るい焚火に背を向けて。目を閉じるものの、眠れる気はしない。
そして無意識に、さっき渡されたリボンを握りしめる。ここへ来る前、そういえば貝殻もお守りだと言ってもらった。
目を閉じるが、どうしても眠りに落ちることができない。眠りにつこうとするが寝付けない。だからいつも女のもとへ行って体温を借りていたのだと思い出す。
(あいつの隣では、よく眠れたな)
借りてきた体温ではない、自分を求め寄り添ってくれる温かみは、アイザックの心を埋めた。毎日夜になると自分を蝕む不眠は、夏美の隣にいれば忍び寄ってくる気配すらなかった。
(今頃どうしているだろうか……いや、あいつのことだからソンジと楽しくやっているだろうな)
夏美の適応力の高さには驚かされるばかりだ。ソンジだけでなくハンナなどの周囲のメイドや、フィルなど外部の人間にも平和的に接し、そればかりか尋常でない早さで相手の心を掴んでいる。ハンナから様子を聞く限りでは、もうすっかり周囲の人間たちとは親しくなって、冗談も言い合える仲だという。
(あいつは、どこへ行ってもやっていけるんだろう)
そう思うと、どこか切ない思いが胸をよぎる。最初は庇護している立場だった。はずだった。それでも今は、どこか彼女の強さに守られているような気がする。
(俺は、あいつを必要としているのか……)
自分の心が、どこへ向かって傾いているのか、誰の温もりを求めているのか、そのことに今、気がついた気がする。
(これが、恋というものなのだろう)
今まで生きてきて、味わったことのない感情に戸惑う。しかし、悪い気分ではない。しいて言えば、今感じるこの寂しさだけは苦しい。
(これから大きな戦いが起きるかもしれないというのに)
離れることが決まってから自分の思いに気づく我が愚かさを呪う。
(それでも、あいつがどこかで生きていてくれればいい)
母国へ帰したあと、この決定を後悔する日が来るだろう。それでも、この戦いで彼女の命を失うよりはずっといい。
アイザックは夏美からもらったリボンをポケットにしまい、お守りの貝殻を握りしめながら、目を閉じた。
数日後、アイザックは城に戻ってきた。当初の予定よりも早く。それはソンジが早馬を出して、城で何が起きているかを知らせてくれたからだった。
城の入口で待つソンジと夏美の姿が目に入る。しかしなんとなく、自分の気持ちを自覚してからどうも夏美を直視できない。アイザックは視線をそらしながら近づいた。
「なんだお前ら、いたのか」
声をかけ下馬すると、夏美が泣きそうな顔でこちらへ駆け寄ってきた。
「アイザック!」
そして石畳の段差に足を取られ、つんのめって転びそうなところをアイザックが反射的に抱きとめた。
「お前な……足元気をつけろ」
その瞬間、彼女の香りが鼻腔の奥に届く。それだけで、じんわりと心を満たすものがある。
(やはり、これが恋なのだろう)
アイザックは自分の心を認めざるを得なかった。
それから執務室へ移動し、この偵察中に何が起きていたかを主にヨハンから聞いた。自分がいない間に、義理の弟は持ち前の優秀さを発揮し、見事に敵が誰かをあぶりだしてくれていたようだった。
「ヨハン」
「何?」
「これだけの短期間でよく調べたな」
「……僕だけじゃないよ。この人も、スナも、ソンジもネイトも。みんなが動いた結果だから」
ヨハンを動かしたのも、結局は夏美なのである。やめろと言っても、なんだかんだ隙を見てはヨハンに接触していたのをソンジやネイトから聞いて知っている。だから今回も、ヨハンとともに夏美はよく動いてくれたのだと思う。
「ナツミも、ソンジもよくやった。ここからは、俺も戦う。フラネルを暴いて、参戦派をつぶすぞ」
話を真剣に聞いていた夏美を、アイザックはここにきてなかなか直視できないでいた。見たら揺らいでしまうかもしれない。
(お前のことが大切だから、ここじゃない場所でも生きていてほしい)
あまり間髪を入れず、アイザックは自分の気持ちが心によどむ前に、視察の間決めたことを打ち明ける。
「ナツミ。お前を母国に帰す。ここにいても、命の保証はない」
「……えっ?」
戸惑ったヨハンとソンジがこちらを見てきて、夏美がうろたえているのが分かる。それでも、アイザックは構わず続けた。
「俺たちはこの国の人間で、俺とヨハンは王位を継承する可能性のある立場だ。国が戦争になったとき命を賭すのは当然だが、お前は違う。ソンジ、すぐにこいつの母国・ニホンを探してくれ。地図には載っていないが、こいつがそこから来たという以上、探せば必ず見つかるはずだ」
「いや、ちょっと待って、それはわかるけど……」
「話は以上だ。ヨハン、ソンジ、ほかに何か報告はあるか?」
「……ございません」
「僕もないよ」
「わかった」
これ以上ここにいて、不用意に何かを話してしまうのを恐れた。アイザックは迅速に立ち上がり、部屋を出ていく。
「待って、アイザック……!」
夏美の声が背後から聞こえたが、アイザックは初めてその声を無視して部屋を出た。
◇ ◇ ◇




