第37話
翌日。ヨハンとアイザックは別々に議会場へ入った。フラネルは、この日も何食わぬ顔で椅子に腰かけ、ふんぞり返っている。今日も夏美は、アイザックの後方に座っていた。
(昨日も結局、ほとんど執務室にいなくて何も話せてないし……こんな状況、いつまで続くんだろう)
「では、えー、本日の議会を始めます」
いつもの調子で議長が進行する。
「昨日、アイザック・アルセンブルグ議員より、本件を本日改めて議題に上げるよう申し出がありました。今回の軍事衝突、および戦争への備えについてですが……」
まどろっこしい議長の説明に、アイザックが挙手をする。
「ではアイザック・アルセンブルグ議員」
「はい。昨日は議事録をしっかり読めていなくて大変失礼しました。フラネル議員、私がいない間にずいぶん活躍されていたようだ。しっかりと読みましたよ」
「嫌味かね。君が不在だったのだから、私が議会を回すしかなかったのだ」
フラネルは席に座ったまま不機嫌そうに言う。
「いや、それについては助かりました。これまで見事に愛国者の顔をしていらっしゃったが、私の不在中にようやく尻尾を出してくれた。感謝しています」
(えっ……!?)
アイザックの言葉に、フラネルが思わず立ち上がった。夏美も、これまで見せたことのないアイザックの挑発的な態度に内心驚く。
「さすがに聞き捨てならん。なんだその言い方は。国のために立ち上がった者に、そのような言いぐさかね。悠長な殿下は、議事録を読み終えた今でも、事の重大さが分かっていないようだ」
「いえ、重々承知しております。フラネル議員。あなたのことを少し調べさせてもらいましたが……どうも、あなたは戦争と深い縁のあるお方のようだ。あなたの長兄オズヴァルト卿は、家督争いの末に他国へ出た。その後、滞在先の国で軍事衝突が起き、所在不明となった。次兄レオニス卿は軍での失態を責められ、同じく国外へ出たのち、戦時中に他国の間者として処刑された」
アイザックの言葉で、議会場がざわつく。それでも気にせず、アイザックは淡々と続けた。
「そして、その二人の周囲にいた家臣たちには、同じ系列の商会から金が流れていた。のちにアルヴァン黒馬交易商会へ吸収された商会です」
アイザックの発言で、さらに議会場は騒然とした。これにはフラネル派の議員たちも激しく動揺したようで、ざわついている。そしてフラネルも、鋭い瞳で怒りをあらわにしていた。
「偶然ですな。人の不幸を拾い集めて、何を言いたいのかね」
「偶然ならば、なおさら奇妙です。あなたの兄たちが失脚したときも、国外で戦火に巻き込まれたときも、その周辺に黒馬商会につながる商人がいる。そして今回も同じだ。ワイズドレアとラデンブルグの衝突が起き、あなたは真っ先に参戦を唱えた。しかも、参戦派議員の家業には、黒馬商会を通じた発注予定がすでに回っている」
「いくら殿下とはいえ、あまりに無礼で聞き捨てならん。私が戦争を誘導したと言いたいのかね」
アイザックは静かに答えた。
「いえ。ただ、私の報告を待つより先に、あなたはある筋からの情報だけで、戦争の準備を進めている。準備には金がかかるものだ。多くの議員は渋ります。まだ確定情報でもないのに、金をかけて準備をするなど。戦争が起きなければ、無用の長物だ。しかし、あまりに平然と準備を進めている。まるで戦争が起きた後それを上回る利益が見込まれているとでも言わんばかりだ」
「国防に必要な準備です。戦になる前に備えるのは当然でしょう」
「そうでしたね。あなたは昨日、参戦理由を三つ挙げた。北西交易路の保全、国防、周辺国への牽制」
アイザックは机の上に書類を置いた。それはすべて、今回の軍備を整えるための発注書である。
「ではお尋ねします。参戦派議員の家業に事前発注を回すことは、交易路の保全ですか。黒馬商会を通じて物資の流れを押さえることは、国防ですか。軍事衝突のたびに同じ商会が利益を得ることは、周辺国への牽制ですか」
「すべて憶測ですな。商会が利益を得たからといって、それが罪になるのですか。戦時に商人が動くのは当然。議員が国防のために商会と話をするのも当然。殿下は、国を守るために動いた者を、商いをしたというだけで罪人にするおつもりか?」
「ならば、正式に調査しましょう」
アイザックは議長のほうへと向き直る。
「議長。アルヴァン黒馬交易商会と参戦派議員の関係、ならびに今回の物資調達案について、正式な調査委員会の設置を求めます」
「フン。調査など、いくらでもなさればよろしい。私は何ひとつ恥じることなどありませんからな」
フラネルはそう言って笑った。しかし、その指先だけが、椅子の肘掛けを強く握っている。
(フラネル議員……すごく動揺してる……アイザックが言ったこと、本当なの?)
アイザックが言ったことが事実であれば、あまりにも悪人である。身内すら、自分の利益のために消してしまうかもしれない。しかも戦争を起こして、利益を得るついでに。
「えー、それでは、本件について調査委員会を設置することとし……」
議長が話を進める。議会場はまだざわついたままで、議長の声もあまり聞こえない。それでも、フラネルが奥歯をぎりりと噛んでいるのが、夏美には見えた。
その日の夜。夏美はソンジとともに部屋で荷物の整理をしていた。
(最近は話し合いにも呼ばれなくなっちゃったな……きっとヨハンさんとスナ君と、うまくやってるんだろうけど……)
兄弟で力を合わせて今回の件にあたっているということはソンジから聞いている。事実だけ見たら微笑ましい。夏美もそれを望んでいた。それでも、その場に夏美がいないことが、あまりにも苦しかった。
「あー、座布団たくさん作ったなぁ……! クローゼットが座布団でいっぱい。靴擦れ防止リボンもたくさん……」
「ナツミ様、寝る時間も惜しんで作っていらっしゃいましたねぇ」
ソンジは一つ一つ丁寧に木箱に入れてくれる。一応建前としては、この国を離れるその日に備えての身辺整理である。今でもそんな日が来ることを、夏美は信じたくないが。
「リボンはもう、全部リネットさんにお渡ししちゃおうかなぁ。発注された分は、たぶんほとんど完成してるし……まだできてない分は、フィルさんにお願いすることになるかもだけど……」
「ええ。ですが、ナツミ様のせいではありませんので、お気になさらないでください」
「……ありがとうございます、ソンジさん」
夏美の言葉に、ソンジは優しく微笑む。そしてクローゼットの奥にしまってあったものを、どんどん夏美の前に持ってきてくれる。夏美はそれを仕分けしていく。
「あ! これ私がこっちに来た時に持ってたバッグ……懐かしい……!」
財布や化粧ポーチと一緒に、コンドームの箱も入っている。
「結局、コンドームづくりもなんだか中途半端になっちゃって──」
夏美がそう言った瞬間、外でパリン、と何かガラスのようなものが割れたような音がした。続いて、廊下の向こうから短い悲鳴が上がる。
「火だ!」
「えっ……? 何……!?」
誰かが叫ぶ声がして、夏美が思わず立ち上がるがそれをソンジが制した。
「ナツミ様、私が様子を見てきますので、ここでお待ちください」
「わかりました……」
ソンジが警戒した様子で部屋の外へ出ていく。ぽつりと一人残された夏美は、仕分けを続ける。ナハルでもらってきた薬用の香油のビンを見て、思わずゴム栓を開けて手首につける。
「ああ……やっぱいい香り……! ナハルのこと、思い出すなぁ……」
夏美はふと思い立って、しまっていた貝殻たちを取り出した。
「ナハルで私が集めた貝殻……これ、綺麗なんだよね」
月に貝殻をかざすと、きらきらと光の粒が光る。貝殻たちをすべて麻の袋に入れ、フィルからもらったかわいらしいリボンを取り出し、それで袋の口をきゅっと締めた。ソンジからもらった麻の袋がパンパンである。
「にしても、さすがに取ってきすぎ? この袋にいっぱいある──」
夏美がそう言いながら一人で笑っていると、突然背後から口元を抑えられた。
(んっ……!)
「おい、静かにしろ。黙ってついてこい。声を出したり、命令に背いたら、殺す」
背後から聞こえた声は、夏美の知らない人のものである。夏美は慌てて貝殻の袋を自分のスカートのプリーツの間に隠し、男の指示に従う。口を麻の布のようなもので縛られ、腹にはロープのようなものを巻き付けられる。それだけで、自分がどこかへと連れ去られるのだとわかった。
(さっきの何かが割れる音……きっと陽動だったんだ)
夏美は妙に冷静になってそんなことを考える。窓の外には、庭師や修繕職人が使うような細い作業足場がかけられていた。いつの間に、と思うが、きっと最初から誰かがそう見えるように置いておいたのだ。さすがに3階なだけあって高さがあり怖かったが、動揺しないように自分を律してなんとか地面に降りた。3階を見上げたが、まだソンジが部屋に戻ってきた様子はない。
「おい、女! 走れ!」
男がロープを引っ張り、夏美も一緒に走る。部屋にいたから裸足のままで、いくら城の庭が芝生で整えられているといっても、ときどき石を踏んでしまって痛い。
男は庭園の奥にある通用門へ向かった。普段は庭師や搬入の者が使う門だと、以前ソンジから聞いたことがある。その門が、今夜だけ開いていた。
(でも、この人に抵抗して殺されるのだけは絶対に嫌!)
夏美は自分でも訳が分からない涙が出てくるが、それを闇の中で首を振って逃がした。泣いている場合ではない。このままどこかへ連れられたら、もう二度とアイザックと会えないかもしれない。
(絶対に隙をついて、逃げる……!)
そのためには、まずは何よりも殺されないこと。夏美はそれを肝に銘じて、男に従い走っていくのだった。




