第31話
その日の午後、ずっと部屋にいるのも暇だとヨハンに言われ、城内を散歩することに。ソンジはヨハンがいるなら、とここぞとばかりにこれまでナハル旅の間たまっていた仕事を片付けるために事務室へと消えて行ってしまった。
「あーあ。結局僕が子守りか」
「いいじゃないですか! 私、あんまりお城の中って知らないんです。よかったら案内してくださいよ」
「えー。どこに行きたいの」
「まず何がどこにあるかもわからないです。私が行ったことあるのは、議会場と、書庫と、その隣の物置部屋……くらいですかね? あ、あとはパーティがあったので中庭とか!」
「つまりこっち側ね。まぁ、あっちは行ってもあんまりいいことないけど……」
夏美にはよくわからないが、確かに最初ソンジに案内してもらった時も大きく3つの棟に分かれていると聞いたことがある。夏美は議会場に行く一瞬だけ中枢機能が置かれている中央棟に行くが、それ以外は行ったことがない。まして中央棟を隔てた奥の居住棟などもってのほかである。
「……せっかくだから、ちょっと冒険をしようか」
ヨハンがそう言ってくるりと踵を返し、中央棟へと歩いていく。いつも議会場へ行く廊下をそのまま素通りして、これまで行ったことのない別の居住棟へと入っていった。
(うわ、こっち初めて……!)
建物自体は同じつくりのはずなのに、なぜだか空気が違うように感じる。夏美たちがいる中庭ではいつもだいたい貴族のご令嬢がパーティを楽しんでいるというのに、こちらは人もいない。
「なんかこっち、静かですね?」
「うん。こっちは主に、血統主義派の人たちが暮らしてる。僕の母さんとかね」
「あ……そうなんですね! なんか空気感があっちと違う……」
「こっちの人たちはあまり互いに干渉しあわないんだ。お互い何を背負ってるかわからないからね。だから一枚岩ってわけでもないし、絆があるわけでもない」
「へぇ……」
「昔から国に仕えている重鎮と言われる人ばかりだから、血統主義ってところで利害が一致しているだけで、腹の底では相手が何を考えているかわからないってのが、本当のところだね。そんな相手と、中庭でパーティしてはしゃぐなんて、できると思う?」
「……できないですよね……」
妙な話ではあるが、どことなく納得できるところもある。夏美が会社内の派閥争いに巻き込まれた時も、社歴の長い社員たちは過去の栄光や失敗、仲のいい社員や悪い社員がいて、新しく入社してきた人たちはそれに抗うように一致団結していた気もする。
(人間ってどこで生まれても、そういうところ大して変わらないんだ……)
「しっ」
ヨハンが夏美が歩くのを制し、壁側に引き込む。隠れてから、角を曲がって歩いてくる人たちの気配に夏美も気が付いた。3人並んで議員らしき人が話しながらこちらへ来るが、その真ん中にいるのはあのフラネルである。
「明日の議会で、必ず参戦表明をするんだ。いいな、奴が帰ってきたら面倒だ。君のところは金属加工をやっているんだから特需で生まれる利益を考えたら十分だろう」
「それは大変ありがたいのですが……ワイズドレアはまずいんです、領地が近いので、うちの両親が巻き込まれてしまったら……」
「ふん、今のうちに引っ越しをさせておけ。それから、君のほうは今のうちに大量の麻布と革を仕入れておくんだな。損はさせんぞ」
「では私も参戦表明を。フラネル卿とは今後も長いお付き合いになりそうですな」
(何の話……? 参戦表明って……戦争になっちゃうの……?)
フラネルを含む3人の議員たちは足早に中央棟のほうへ向かって歩いて行ってしまった。彼らがさらに議会場へ続く角を曲がると、少しだけほっと気を緩める。
「さっきの、フラネルは君もよく知ってるよね」
「はい、知ってます」
「右にいたのはミケル・グランツ、グランツ家の長男で最近代替わりしたばかりだね。家業は金属加工で、確かに領地もワイズドレアに近かったはずだ。もう一人はガルド・ベルグ。血統主義派でも昔から中心人物だ。フラネルとも歳が近いし、一緒にいるのをよく見る」
3人が通り過ぎていくのを見送って、ヨハンがそう教えてくれる。
(グランツさんのほうは確かにちょっと二人に比べて若かったな……ああいう人が血統主義派なんだ……)
「それにしても、これはかなり貴重な話を聞けたんじゃない? 彼ら、今回の軍事衝突が戦争に『変わる』ことを、知ってるみたいだったし」
「そう、ですね……でも、参戦表明って、ミストリアも今回のワイズドレアとかの戦争に加わるってことなんでしょうか?」
「そうだろうね。脇にいた二人も、戦争をすることで自分たちが儲かるんだ。……いや、もしかしたら、それさえも含めてフラネルが声をかけたのかも」
ヨハンは一人で考え込んでしまう。
「アイザックが偵察に行ってるってことは、まだどんなことがワイズドレア周辺で起きているのか、わかってないんだと思ってたんですけど……フラネルさんたちは、その情報をどこかから別で仕入れてるってことなんでしょうか?」
「その可能性が高いだろうね。今回の偵察も、わざわざフラネルがお兄ちゃんを行かせるように仕向けたのかもしれない。『奴が帰ってきたら面倒だ』って言ってたしね」
(フラネルさんの言う『奴』は……アイザックのことだよね)
目の敵にされているとは気づいていたが、まさかそこまでとは思っておらず複雑な気持ちになる。
「僕の大好きなお兄ちゃんのこと、悪く言うなんて許せないなぁ……」
そう言うヨハンの横顔には、フラネルに対する深い憎悪が見て取れた。顔は笑っているが、目は据わっている。もうブラコンを隠しもしない。
「聞いてしまった以上、僕らも慎重に動く必要があるね。君、そういうのできる?」
「はい、頑張ります。戦争なんて、絶対行かせたくないですから」
アイザックを思う気持ちの種類は違えど、熱量は似たようなものである。ここにかつてないほど強固なタッグが生まれた。
「でも、もう少し情報収集が必要だな。お兄ちゃんがいつ偵察から帰ってくるかも知りたいし──」
「おや。ヨハンや。何をしておる」
(うわっ……! びっくりした……!)
考え込んでいたヨハンと夏美に、気配もなく近づいてきていたのは一度だけしか見たことはないが強烈なインパクトとともに脳裏に焼き付いている、氷の女王その人であった。
さすがのヨハンさえ気づいていなかったようで、肩に置かれた女王の手に驚いて振りむいていた。
「母さん……いや、なんでもないよ。ちょっと散歩してただけ」
「珍しいのう。このあたりで散歩なんて。いつもはスナとあっちの書庫にいるではないか」
「うん、ちょっと気分を変えたくて」
ヨハンが自分の背後に夏美を隠そうとしてくれたのがわかったが、それよりも先に氷の女王が動いた。夏美の髪をそっと指先で撫でる。
「そなた、アイザックの客人であろう。確か名前は……ナツミと言ったか」
「は、はい……」
夏美も突然の彼女の行動に驚きを隠せないが、ここでその手を振り払うこともできず、ただされるがままになるしかない。
(この方、なんか圧倒的な威圧感があって、前はすごく怖かったんだけど……)
ソンジが『身内を殺すことも厭わない方』と言っていたが、それでも、ヨハンを見る目を見るとどうもそんなふうには思えなかった。
「私から彼女をかばおうだなんて、ヨハンも変わったねぇ。私の可愛い坊や」
「坊やは勘弁してって……」
二人のやり取りを聞いて、夏美は少しだけ笑ってしまう。すると氷の女王が驚いたように首を傾げた。
「おや、私の前で笑う子なんて初めて見たねぇ。私が怖くないのかい?」
「えっと……」
ヨハンに目だけで答えていいのか確認する。ヨハンは仕方がないとでも言うようにうなずいた。
「最初にお会いした時は、正直ちょっと怖いなって思ったんですけど……今は、ヨハンさんとお話しされてるところを見たら、親子だなぁって……微笑ましく思いました」
思ったことをそのまま言葉にする。
「そなた、見た目以上に肝が据わっているねぇ。面白いじゃないか。聞いたかい、ヨハン。私を見て微笑ましいだって」
「うん……この人はそういう人だからさ……もういい? 僕たち戻るよ」
「そうかい。また顔を見せておくれ、可愛い坊や」
もうヨハンは何も言い返さない。ただ夏美に行こう、とだけ言って中央棟の方へと引き返した。夏美も軽く会釈をしてから、ヨハンのあとを追った。
そのまま部屋に戻り、自然な流れでヨハンと隣に座りリボンづくりを再開する。あれからヨハンはリボンも座布団も作り方を勝手に覚えて、一緒に作ってくれるようになった。もともと手先も器用らしく、なんなら夏美よりもきれいに作ってしまう。
「ちょっとした冒険のつもりが、大収穫だったね」
「そうですね! でも、戦争になったら……って思うと不安です」
「いや。フラネルたちがああ言ってるってことは、まだ戦争は始まってないってことだよ。これから麻布とか革を仕入れておけって言ってたでしょ」
「あ、そっか、確かに! じゃあ……」
「そう。まだ戦争を止める手立てはあるってこと」
「よかった……!!! もう、全力で止めましょう!!」
「僕もそのつもりだよ」
ヨハンの言葉で、暗くなりかけていた夏美の心に光が差す。
「明日の議会で、フラネルのほかに参戦表明をする人をちゃんと見ておこう。彼らは敵だから」
「わかりました!」
「……となると、議員の顔を知っておくべきだけど……記憶力には自信ある?」
「自信……はないですけど、気合で覚えます!」
「よし。じゃあ書庫に行こっか。議員名簿があるはずだから」
ヨハンが立ち上がり、夏美の手を引っ張り上げて立たされる。それからぽんと背中を押され、ヨハンが長い足でスタスタ歩き出すのを追いかけた。後ろから見る背中が、アイザックのそれと重なる。
(ヨハンさんって、アイザックと同じか、それよりも少し背が高いかも? スタイルもいいし……)
「そういえば、ヨハンさんってお母さん似って言われます?」
「……認めたくはないけどね」
「やっぱり! なんか、目元とか結構似てました」
ヨハンの隣に並ぶとその顔を見上げ、さっきの王妃との会話を思い出す。
「あの人のこと、怖くないの?」
「うーん、なんか前回会ったときは怖かったんです。でも、今日は威圧感はあったけど、怖いかって言われたらそうでもなくて……」
「ふーん。君も大概神経図太いんだね」
「うん……そうかもしれません」
「そこ認めるんだ。変な人」
そう言うヨハンの顔を見て、なんとなくわかった気がする。
(そっか……前回よりも怖く感じないのは、ヨハンさんとお顔の雰囲気が似てるからかな?)
「『可愛い坊や』……」
「やめて」
「いつもそうやって呼ばれてるんですか?」
「そんなわけないでしょ」
「いいと思いますけどね~、『可愛い坊や』。私もそう呼ぼうかな──」
「次それ言ったら、置いてく。もう知らない。お兄ちゃんに言いつけてやる」
「言わないですって~! 待ってくださいよ、速い!」
そう言って大股で歩き始めたヨハンをなだめながら、書庫へ向かう廊下を足早に進むのであった。




