第29話
それから数日後。夏美の体調はすっかり回復し、この日もローデンの工房にヨハンとソンジとともに、訪れていた。
「あ~……早くみんなの喜ぶ顔が見たいなぁ」
今日は、昨日南方から届いた樹液や香油を、直接届けるための訪問である。アイザックが迅速に動いてくれたおかげで、昨日から輸入が解禁され、ローデン工房からあらかじめ聞いていた発注量を届けに来たのだ。
馬車ががらがらと音を立てて工房の中に入ると、ローデンやマーサたちがその音を聞いてぞろぞろと出てきた。
「わっ、みなさん、こんにちは!」
「ナツミ様、ご無沙汰しております。体調を崩されたと聞いていましたが、大丈夫ですか? みんな心配しておりましたよ」
ローデンがそういう隣に、マーサやおばさまたちがあとからやってくる。
「そうだよ、あんたみたいな元気印が倒れたって聞いたもんだから」
「えへへ、でももう大丈夫、すっかり元気だよ!」
夏美は大した筋肉もないが腕の筋肉を見せるポーズをして見せた。
「何やってんだいあんたは。まったく、こんな細いんだから、もう少し鍛えたら丈夫になるんじゃないかね」
「もう十分丈夫だから! それよりね、今日はみなさんに渡したいものがあるの!」
馬車の荷台を指さすと、マーサたちの顔色が変わる。
「まさか、あんた……あれが、来たのかい?」
「はい、来ました!」
「おいあんたら、みんなであの荷台から荷物を下ろすんだよ! ナツミ、割れ物はあるかい?」
「あ、うん、ある! 赤い印が付いてる箱が……」
「おい! 赤い印がついた箱は扱いに気をつけな!」
マーサが取り仕切ると、すぐに職人たちが荷台から荷物を下ろすのを手伝ってくれる。
(相変わらずのリーダーシップすぎる……マーサおばさま、この中で一番強いのでは……?)
注文された薬用香油と綿100%のハンカチ。それとたくさんのラナ樹液とその加工に使う薬品とちょこちょこ夏美とハンナで作っていた座布団と『切り株ぐるぐるまき』を持ってきたのだ。
荷物を工房の中にみんなが運び入れてくれるので、マーサたちの後について中へ入ると、なぜか誰からもよく見える少し高い棚の上に、神々しくヨハンの手型が飾ってある。
「あれ? そういえば、あれ置き忘れて……」
「あれはご本尊だよ」
マーサがそう言うと、近くのおばさまたちもわっと沸く。
「あれに毎朝お祈りすると、その日の仕事ではケガをしないのさ」
「えー! すごい! そんな効果があったんですか!? 見て、ヨハンさん! ヨハンさんの手が、ご利益生んでますよ!」
「変な言い方やめてよ……」
夏美がヨハンをからかうと、迷惑そうな顔をして小さくなる。できるだけ存在感を消そうとしているのだろうか。しかし、ここに来た時点でおばさまのほとんどがヨハンを拝んでいたのを、夏美は見逃してはいなかった。
しかも、おそらく前回ヨハンと話をしたおばさまたちが、前回はいなかったおばさまたちを呼びに行っている。ぞくぞくと周りにはおばさまたちが集まってきた。
「やだ、あの方が本物の……!?」
「あのお手が……」
「とっても素敵なお顔だわ……」
「手だけじゃなくお顔もお綺麗なのねぇ……
生のヨハンを見て拝み始めるおばさまたちに、夏美はつい笑ってしまいそうになりそれを隠すためにうつむく。
(やばい、ヨハンさんがこんなに拝まれるようになるなんて誰が想像した……!?)
確かに前回からおばさまたちには大人気であったが、少し時間が経つとまさに『ご本尊』というレベルで拝まれているのが本当に面白くなってしまう。
「あんたの意見を取り入れて、こっちに休憩室を作ったんだ」
「え! そうなの!? 見たい!」
「こっちおいで」
マーサに呼ばれて後をついて行ってみると、おそらくこの工房内で一番暑くなりにくい場所に休憩室が作られていた。そこには休憩をとっているのだろうおじさんたちがいる。前回木杓を夏美に触らせてくれたおじさんたちが、こちらに気づいてヨッと手を挙げた。
「久しぶりだねぇ。体はもう大丈夫なのかい?」
「はい! もう平気です!」
「あの『切り株ぐるぐるまき』いいねぇ。おかげさまで腰の痛みがなくなったよ」
「俺も、最近は早く帰るから、妻と子どもが喜ぶんだ」
ほかのおじさんたちもわいわいと会話に入ってきてくれ、前回残していったクッズたちがみんなの役に立っていることをたくさん教えてくれた。
(こんなにみんな、活用してくれてるなんて……頑張ったかいがあるなぁ……!)
「今日、樹液は持ってきたんだろう?」
「うん、持ってきたよ!」
「あのあと、みんなであの手袋をどう改良したらいいかってたくさん話し合ったんだ。さっそく、改良を始めようじゃないか」
マーサの指揮で、休憩室に樹液の入った箱が持ち込まれる。
「そうだ、言っておきますけど、これ最初すごく臭いですから──」
言い終える前におじさまが箱を開けてしまい、休憩室中にぶわりと樹液の独特のにおいが広がる。
「うっ……臭! あんた、そういうことは早く言いな」
「おお、これは強烈な……」
近くにいたローデン卿まで鼻をつまんでいる。
「そうなんです、これを加熱しながらこの薬品を入れることで、においも抑えられるし、加工しやすくなるので……」
おじさまたちが休憩室の窓を開けてくれ、何人かが部屋を紙で扇いでくれ、なんとかにおいも薄まって(みんなの鼻がにおいに慣れて)来た頃、ゴム手袋の改良会が始まる。
ここは工房である、小型加熱器もトレーたくさん使っているのでそれを何人かが用意してくれ、一人のおばさまが落とさないよう大事にご本尊も持ってきてくれた。
「指の間に当たる樹脂が分厚いと、指の関節を曲げるのがやりにくいんだよ」
「袖を短くすると水が入ってくるからねぇ」
休憩室で改良会をしているからか、休憩に入ったおばさまおじさまたちが代わる代わる実験を手伝ってくれるし、意見もくれる。
「もうちょっと薄くないとなぁ」
「でも、あんまり薄くするとひび割れちゃうんですって」
「そうかい、なにかうちの薬剤でどうにかならないかねぇ」
(なるほど……?)
確かに、製紙工房でもさまざまな薬品を使っている。それのどれかを使えば、うまく樹液の薄さを保ちながらヒビの入らない強度なものを作れるかもしれない。
(やっぱり、みんなの意見が参考になるなぁ……三人寄れば文殊の知恵、っていうし!)
ここには40人以上の職人たちがいるのだ。三人どころではない。
(これならきっと、改良だけじゃなく量産まで持っていける!)
夏美は内心で、そう確信していた。
その日も結局日没まで改良会をやり、工房のみんなに見送られながら馬車に乗り込む。敷地を出るまでみんなに手を振っていた夏美が、敷地を出たところで振り返るとソンジとヨハンが話をしていた。
「みなさん、とても熱心に手袋の改良をしてくださいましたな」
「うん。材料も渡したし、きっとあの人達自分らで手袋作っちゃうだろうね」
「そうですね……でもそのほうがいいかも。きっと使う人が作る道具のほうが理にかなってるだろうし」
「それもそうか」
ヨハンが腕を組み頭の後ろに持っていく。そのまま窓の外に目をやったが、その横顔を見てまたじわじわと夏美はご本尊のことを思い出していた。
「……にしても、ヨハンさん、すごく拝まれましたね」
「大人気でしたなぁ」
「ねぇ、なんでああなったの? おかしくない?」
「いや、でもわかりますよ、ヨハンさんがおばさまたちから好かれるの」
「ええ、そうですなぁ。なんというか、みなさんの乙女心をくすぐっていたと言いますか……特にほら、あのマーサさんと最後のほうに一緒にいた……」
「ドリスさんね」
「えっ!? 名前まで覚えてるんですか!?」
「いや、たまたま会話が聞こえてきただけで……」
「じゃあ、あの木杓のおじさんの名前も覚えてます? 最後少し話してましたよね?」
「あー、ロルフさんね」
「あ、そうだ、ロルフさん!」
「ヨハン様は、実はこう見えて大変優秀な方なのですよ」
「こう見えて、って何? いらないよねその言葉」
「勉学の覚えも早かったので、きっと記憶力がいいのでしょうなぁ」
「すっごーい! ヨハンさん、天才ですね! これは可愛がられるわ……」
「そういうのいらないってば」
面倒くさそうにしながらも、決して無視したり話の腰を折ったりせず付き合ってくれるヨハンは優しい。本人の繊細さゆえに、他人の痛みにも敏感なのだろう。
(あのブラコンお坊ちゃんが、まさかこんなに庶民のみなさんに馴染んでるなんて……)
夏美は謎の感慨深さを覚える。なんだかんだ、ローデンの件で一番仲が深まったのはヨハンであろう。いつのまにかソンジも、昔ほどとまではいかないのだろうがヨハンとの距離を埋めている。
結局ヨハンをソンジと二人でいじり倒している間に城の前に到着した。話が尽きないのがこの三人なのである。馬車が城門から中へ入っていくと、何やら兵たちがせわしない様子で動いているのが分かった。
「え……? 何かあったのかな……?」
馬車の中から外を見ていると、その中にアイザックもいるのに気づく。
「あ! すみません、馬車止めてくれませんか!?」
夏美は御者に聞こえるように、窓から大きな声で伝えると、すぐに御者がそれに気づいて馬車を止めてくれる。三人で外に飛び出すと、アイザックに駆け寄った。
「アイザック!」
「お前たち……どうせまた遅くまで帰ってこないだろうとは思っていたが」
「ごめん……それより、なんかあったの?」
「ああ。先日、ワイズドレアとラデンブルグの国境で軍事衝突があったのだが……少し長引いているようでな。その様子を、視察しに行く」
「それ、お兄ちゃんが行かなきゃいけないの?」
(え……?)
どうやら、ヨハンは軍事衝突の件をすでに知っていたようだ。ソンジも真剣な顔でアイザックのほうを見ていて、どうやら事情を知らなかったのは自分だけだと悟る。
「軍事衝突って……そんな危ないところに行って、大丈夫なの……?」
「これが俺の仕事だ」
「わかってるけど……」
軍事衝突という物々しい言葉に、夏美はつい弱気になってしまった。もしアイザックの身に何かあったら、と思うと胸がざわざわする。
しかも同行する軍隊や、周囲からの話を聞いている限り、今回の軍事衝突はかなり規模が大きいゲリラ行為だったようで、周辺国の関係にもヒビが入りそうだという。いくら他国の第二王子であっても、軍事衝突に巻き込まれない保証はない。
身動きをよくするために、少数精鋭で向かうことから、いつものように馬車での移動ではなく、今回はアイザック自身も馬を駆って隣国へ出ていくようだった。
「ソンジ、ヨハン。こいつを頼むぞ」
「はい、お任せください」
「うん、任せて」
(あっ……そういえば……!)
いつか、ナハルでサミラに言われて拾った貝殻を、アイザックにまだ渡せていない。
「アイザック! あとどのくらいで出るの!?」
「そうだな……準備が整い次第だから、10分もすれば出る予定だが」
「じゃあ、ちょっと待ってて!」
夏美は自室に向かって走り出した。背後から制止するソンジの声も聞かず、とにかく全力で走る。
──「いい? 明日、浜辺に行ったら貝殻を拾うの。ナハルでは、波に削られた貝殻や硝子片を旅のお守りにするのよ。遠くから流れ着いたものは、また遠くへ行く人を守ると言われているの。恋人や家族、親しい友へ贈るの。無事に帰ってくるように、って」──
サミラの言葉を頭の中で反芻する。
(アイザックが、無事に帰ってくるように……)
自室にやってくると、急いで貝殻をしまっていた引き出しを開ける。あの日一緒に拾った貝たちの中から、二人が同時に拾おうとしたあの貝を取り出した。
(まだ出て行ってないよね!?)
そう思い見た窓から、ぞろぞろと馬たちが動くのが見えて、夏美は慌てて引き返す。もう衣服の乱れなども気にしていられない。なんとか城門まで戻ってくると、いよいよ出発間近であった。
「アイザック!」
なんとか引き留めようと、声を張り上げる。
「お前……どこへ行ってた」
「これ! あの、……よかったら、持って行って! これも、一緒に……」
夏美は貝殻と、自分の髪を結んでいたリボンを取り外してアイザックの手に預けた。息が切れてうまくしゃべれないが、アイザックはそれを受け取ってくれる。
「これは……ナハルでの?」
「そう……ナハルでは、遠くへ行く人が、無事に戻ってくるようにってお守りとして、貝殻を渡すって──」
そこまで言うと、アイザックが夏美を抱き寄せた。そして肩にあごを載せ、耳元でささやく。
「必ず帰ってくる。だからお前は、笑って待っていろ」
「……うん、わかった」
アイザックが夏美の背中をポンと優しくたたくと、すぐに身体は離れた。それが切なく感じてしまう。しかしすぐにアイザックは連れていた馬に飛び乗った。
「くれぐれも、無理はするなよ」
「アイザックこそ……!」
「ああ、大丈夫だ。じゃあ、行ってくる」
アイザックはそう言うと、馬を駆り颯爽と城門を出て行ってしまった。その後姿が見えなくなっても、夏美は見続けるのをやめられない。
(アイザックが、無事に帰ってきますように……)
「部屋に、戻りましょうか」
ソンジが促してくれ、ヨハンとともに部屋へと戻った。




