第26話
奥の事務所で、さっきアイザックからもらった紙をローデンに見せる。
「こ、れは……!」
「はい、実はうちの写字室で実験をしたんです。交代勤務にして人員を増やせば、生産量も増えるんじゃないかと思って!」
それから、夏美は長時間労働が離職率を高めていること、むしろ長時間労働を続けていると生産性が下がってしまうこと、交代要員を入れて8時間で区切れば生産性が損なわれず、むしろ長時間労働よりも生産性が高いことなどを訴え、試用期間中8時間労働として工房を稼働させないかと提案した。ローデンは深く息をつき、額を抑える。
「まさかここまでやっていただいていたとは……なんともありがたい」
「あ、こっちの資料の方は、全部アイザックがやってくれたことというか……」
そう言うと、ローデンは意外そうな表情になった。
「アイザック様もお力添えいただいたのですか……!? そうですか……私は、あの方を誤解していたようだ……」
ローデン個人がどうかはわからないが、これまでアイザックが逆境に立たされ続けていたのはなんとなくわかる。それを、ローデンも知っていたのだろうか。ここで断罪するつもりもない、ただアイザックの味方がただ一人でも増えたのが嬉しかった。
「アイザックは、ローデンさんの工房から王城に毎月たくさんの紙が納品されているのを知っています。それに、紙の品質が高いことも。だから、きっと協力してくれたんです。あの人、そういうことを本人には伝えないのもよくないんですけど、ローデンさんの工房の力を信じたからこそ、こういうこともやってくれたのかなって……」
「……そうですか。染み入りますな、ナツミ様の言葉は」
そう言って穏やかに微笑むローデンの姿は、議会場で高尚なふるまいをする議員ではなく、この工房をただ守っていきたいと思っているただ一人の経営者に見えた。
「では……お言葉に甘えさせていただきます。これまでにうちを辞めてしまった人や、仕事に興味がある人たちを集めてみましょう。そうすれば、力になってくれる人がいるかもしれませんので」
「はい……!」
ローデンと熱い会話を交わした後、一緒に工房のほうへ戻ってくると、なんだかわいわいおばさまたちが騒ぐ声が聞こえた。
「ん……? なんかあったんですかね……?」
「さぁ……」
ローデンと顔を見合わせ、少し急ぎ足で近づく。すると、おばさまたちに囲まれたヨハンの姿が見えて、ようやくそこで夏美は気が付く。
(ヨハンさんたち、置いてきてた……!?)
「うん、それを……そう、そうやってはめるだけでいいの。うん」
「ヨハン様、こちらはどうやって使うの?」
「これは寝転んで、腰の下にあてるだけ。それで転がす」
「あらまぁ……」
どうやらゴム手袋やほかに夏美が持ってきた道具の使い方をおばさまたちにレクチャーしてくれているらしい。おばさまたちはみんな目がハートになっているように見える。
(わかる……ヨハンさん、確かにイケメンだしなんだかんだ面倒見いいもんね……)
ヨハンを取り囲むおばさまたちの気持ちも、ものすごく理解できる。
「あ……」
周囲をぐるりとおばさまたちに囲まれたヨハンが、こちらに気が付くと声を上げた。
「ちょっと、助けてくれる? なんか変なことになってるんだけど」
「……ちょっと、面白すぎて助けたくないです」
笑いをこらえる夏美に悪気はない。しかもヨハンのそばにはついでに持ってきていたヨハンの手型が置いてあり、それを一部のおばさまたちが拝んでいる。
「ありがたいねぇ、第三王子さまの手型だよ」
「ヨハン様の手型なら仕事も頑張れそうだねえ」
(やばい、完全にご本尊扱い……! ご利益ありそうだと思われてる……!)
ちょっと優しいところがあるので、ヨハンはそれほど顔には嫌そうなのを出さない。しかし、おそらくこれまで貴族たちとしかかかわったこともなかったであろうヨハンが、こんなに身分を乗り越えて拝んでくるおばさまたちに囲まれている姿は、どう考えても見ものであった。
夏美は笑いを我慢しながら言う。
「いや、……すごく、お似合いですよ? そういう役割」
「僕はそういうの柄じゃないんだってば……」
さすがにかわいそうになってきたので、夏美がおばさまたちに声をかける。
「この手袋、使い心地はどうですか? いや、まだまだ改善の余地はあると思うんですけど……」
するとみんな、思った以上に使って何かを感じてくれたのであろう、おばさまたちが一斉に口を開いた。
「あの水に手が触れないだけでもすごくいいわよ」
「ねえ。使い心地も悪くないわ」
「ちょっと固くて使いづらいところもあるけど、まぁ慣れれば楽になるかもねぇ」
「もう少し薄手だと、細かい作業もしやすいわ」
「あんまり袖口が短いと、水が中に入るから長くしてくれると嬉しいわぁ」
口々に飛んでくるありがたいフィードバックを、ソンジがすべて書き留めてくれる。
「いろんな意見……ありがとうございます、すごく参考になります!」
意見を聞いていると、確かに、と思うことも多く、夏美は脳みそをフル回転させる。
(やっぱり、当事者の方に使ってもらうのって、すごく意味があるかも……!)
その後も、夏美が持ってきた他のグッズたちへのフィードバックを聞いて周り……その日もやはり、夏美が自室のベッドで横になったのは日付を超えた後であった。
「──ナツミ様。ナツミ様」
「んん~~……」
だんだん意識が覚醒して、それがハンナの声であると気づく。
(あ、そうだ、私朝起こしてくださいってお願いしたんだ……)
そんなことを考えてから、やっと目が開く。身体と意識、どちらが先に覚醒するかと言ったら、夏美は意識が先なのであった。気合を入れて、がばっと上半身を起こす。
「ひっ……!」
すると近くにいたハンナが驚いたようで声を上げた。
「あっ、すみません、驚かせちゃって……」
「人間ってあんなに急速に起き上がれるのですね……」
しっかりハンナを驚かせたようである。ハンナは夏美に一通の手紙を差し出す。
「こちら、届いておりましたよ」
「えっ……」
手紙を受け取り裏面を見ると、差出人はリネット・ローデンと書いてある。
「あ、リネットさんだ……!」
先日会ったローデン卿の娘である。最近はローデン一族と距離近づきまくりだな、と思いながら封を開けて中を読む。
内容は改めて、先日の靴擦れ防止リボンが周囲からとても好評であったこと、数日後の昼に行われるティーパーティで友人たちにも紹介したいので来てほしいというものであった。
「パーティ……! 本当に呼んでくれたんだ……!」
起き抜けに幸せな知らせを読んで嬉しくなる。すると封筒の中に小さな花の栞が入っているのに気が付いた。それに、なぜか封筒からいい香りがする。
(わぁ……可愛い女性の香りがする……! こういう気遣い、すごくいいなぁ……)
夏美がにやにやしているのに気づいたハンナが、夏美の手にある栞を見て微笑む。
「あら、素敵ですね。この花、ミストリアの国花ですよ」
「え! そうなんですか! 素敵……!」
少なくとも、夏美が日本で見たことのある花ではなかった。小さな花がいくつも寄り集まり、ふっくらとした房を作っている。花弁の色は薄紅で、白い線が一本入っていた。
しばらく見入っていたが、すぐにハッと現実に気が付く。
「そうだ、追加で靴擦れ防止リボン作らなきゃ!」
「私もお手伝いします」
「あ、でもみなさんの希望を聞いて作ったほうがいいですかね? せっかくお金も出してくださるっていうから、フィルさんにもそれぞれの希望に合った布を取り寄せてもらって……」
「だったら、今日は参考になるリボンをいくつか作るだけでいいのではないでしょうか」
ハンナの言葉がしっくりくる。確かに今日大量に作らなくても、明日見本にできるものだけを作って持っていけばいい。
「それもそうですね! あとはみなさんから聞いた注文をメモできるように紙を用意して……」
ベッドから降りて早速行動を開始する。すると、ハンナが服の着替えを手伝いながら、顔を覗き込んでくる。
「ナツミ様、最近あまり眠れていないようじゃありませんか? 無理なさらないでくださいね。他のメイドも誘って一緒に作らせましょうか? その間、お休みになります?」
「大丈夫です! 私もちゃんと作れるようになりたいので」
アイデアを出したのは夏美だが、それを形にしてくれたのはハンナである。ハンナは1つ30分もかからずに作ってしまったが、夏美が作ればどうなるかわからない。
「作るのは、とっても簡単ですよ。必要な材料があれば、1日で20個も30個も作れてしまいます」
「そんなにですか? じゃあ、私でもできるかな──」
そこでコンコンとドアがノックされた。
「ソンジでございます」
「あ、おはようございます! どうぞ!」
部屋に入ってきたソンジは朗らかな笑みで朝の挨拶をする。
「先ほど、ちょうどローデン卿とお会いしてな。話をしました」
「そうなんですか!? どんなお話を?」
「今回の融通にとても感謝されていると、何度もおっしゃっておりました。昨日、夜通しあの紙に目を通されたようで、アイザック様とナツミ様のご配慮に大変感銘を受けたと。今日にでも職人のみなさまに声をかけて、短い時間での勤務を推し進めるとおっしゃっておりました」
「そうなんですね……よかった……!」
「しかも、ナハルの香油と綿のハンカチも、職人様方から直接注文したいというご要望があったとのことで、このように発注書までいただきました」
ソンジが見せてくれた発注書には、ナハルの香油と綿のハンカチそれぞれ40個の記載があった。
(そんなに……!? みんなで買う気だ……)
「また、ラナ樹液で作った手袋も大変好評のようで。注文できるならすぐにでも欲しいとまでおっしゃっておりました。ですが、まだ試作品であることを踏まえ、もしできるなら手袋の改良や量産も手伝いたいと」
「え……!」
もし改良や量産を手伝ってくれるのなら、これほどありがたい話はない。
「むしろあれを商品として売れば、女性たちに愛される高売り上げの商品になるに違いないとまで、特に女性陣から言われたようで。ローデン卿もラナ樹液の輸入開始が待ち遠しいとおっしゃっていました」
「そんなに、ですか……!」
「ええ。樹脂も香油も、輸入開始の日取りは決まっておりましたかな」
「そうだ、アイザックに確認しないと」
今日最初にアイザックと交わす会話が決まった。議会の前にでも確認しておこうと思う。ローデンも昨日の今日で大変だろうに、わざわざソンジに声をかけてまで話してくれたことを、改めてうれしく感じる。
「……でも、うまくいっててよかった」
どれだけ眠れずとも、喜んでくれる人がいればいい。偽善でもなんでもなく、そう感じられるのだった。




