第25話
それから数日後の昼過ぎ。
夏美がハンナと一緒に座布団を作っていると、アイザックに呼ばれ、一緒に写字室へ向かう。
「実験の結果が出た」
「あっ、そうなんだ、なんかあっという間だったな……」
一週間と指定したが、その間ゴム手袋の試作品を作ったり座布団を手縫いしたり、『切り株ぐるぐる巻き』を作ったりと夏美の私生活は大忙しであった。とても一週間も経ったとは思えない。
写字室へ入ると、顔を上げたグレインがこちらへ駆け寄ってくる。
「すべての検証が終わりました。なんと、ナツミ様の仮説が見事、立証されました!」
「えっ!? 本当ですか!?」
グレインは手に持っていた紙を夏美に手渡してくれる。夏美はてっきり、自分ですべてのミスや乱れなどを探してデータ化するものだと思っていたので、結果が整然と並んでいる紙を見て再び驚いた。
「ここまでやっていただいたんですか!?」
すると、グレインは少し照れたように頭をかく。
「いやぁ、これやっているうちに私も結果が気になってしまいまして。何人か新入りもいたので、練習として集計してもらったんです」
「そうだったんですね……本当にありがとうございます!」
アイザックも紙を覗き込んで、二人で内容を見ていく。
「ナツミ様がおっしゃるとおり、長時間労働をした組は誤字、書き直し、文字の乱れ、翌日の疲労の残り方がかなり増加しました。一方で、8時間で休みを取った組は、そのような乱れもほとんどなく、疲れも16時間勤務時とは大幅に違い明らかに少ないということでした。これは今度、私たちが交代制を活用する際に有用な情報です」
そう言われ、アイザックと夏美は思わず目を合わせる。
「そうなんですか……! よかった……!!!」
夏美が想像していた通り、交代制を取り入れて人員を増やし、同時間稼働させることで生産性が大幅に上がることが分かった。これはあまりにも大きな収穫である。
「グレインさん、写字室のみなさん、ご協力本当にありがとうございました!」
夏美が皆のほうに向かって頭を下げると、写字生たちからなぜか拍手が上がる。
「みんなにも、この結果を共有しました。写字室の労働環境を改善する足がかりになるので、みなも喜んでいるのです」
グレインも一緒に夏美たちへ拍手をくれる。
「私のほうがお礼をたくさん言いたいのに……本当にありがとうございました」
もう一度夏美は大きく頭を下げて礼を言う。その後も何度も礼を言ってから写字室を出る。
「アイザック」
「ん?」
「ありがとう。こんなふうに実験させてくれて」
「……ああ。お前の気づきのおかげで、これから何事も効率化されていくかもしれない。もし、これが法整備されたら雇用も増えるだろう。大きな一歩だ」
優しくそう言ってくれるアイザックに、心が満たされる。
「もしローデン卿がこれを試したいと言うなら、それを試す用意はある」
「え、用意って?」
「この数日間で、城の中にある紙の在庫を確認した。今のところ、少し余剰がある状態だ。もしローデン卿が人員を増やして試用期間を設けるならば、それに配慮した発注体制にすることができる」
「な、なるほど……!? そんなことまで、してくれたの……?」
驚く夏美に、アイザックが一枚の紙を手渡してくれる。内容は今回のローデン工房で行う発注体制とそれにかかる費用について。内容を読んでいくと、夏美が想定していなかったようなことまでアイザックが先回りして盛り込んでくれていたのがわかる。
(この配慮を行う代わりにこの下のところに書いてあることを守る、と……。品質は落とさないことを条件に、職人の労働時間を短くして、休憩を入れる。お給金は下げない。必要であれば、交代要員を入れるための費用として、国がこれにかかわる費用は出す……!?)
「これって……」
「ただし、これはローデン工房を特別扱いするためではない。王城で使用する紙の安定供給を守るための試験であり、結果が出れば他の工房にも広げる、結果が悪ければ戻すという運用でやる」
「そうなんだ……」
自分の思い付きが、これほどまで色んなところに影響を及ぼすなんて思ってもおらず、アイザックの存在の大きさを思い知る。
(なんてお礼を言っていいのか……)
「えっ、あの……すごい……私一人じゃそんなこと絶対できなかった……ありがとう、本当に」
そう言う夏美に、アイザックが少しだけ笑う。
「俺が勝手に、お前の力になりたくてやっただけだ。気にするな」
「……うん、ありがとう」
(これは、すぐにでもローデンさんに伝えなきゃ……!)
今日はもう議会も終わっているし、このまま馬車に飛び乗れば余裕で日暮れ前にはローデン工房に到着できる。
「じゃあ、このあとローデンさんの工房に行ってくるね!」
夏美はそれだけ言って走り出した。アイザックに手を振ると、小さく手を振り返してくれる。
(えっ、何気にアイザックが手を振り返してくれるの初めてでは……!?)
そう内心興奮しながらも自室へ走っていく。その後ろでアイザックが「そそっかしい奴だ」と微笑んでいるのも知らずに。
その日、ローデン工房に向かう馬車に乗っていたのは、ソンジと夏美だけではなかった。
「何? なんか文句ある?」
「いえ! なんか、むしろ嬉しいです。来てくれて。私のやってることに興味持ってくれたんですもんねー?」
「別に。暇だったから来ただけ」
素直に認めないヨハンをソンジとほのぼのと眺めながら、ローデン工房までやってきたのだ。
到着すると、ちょうどマーサが原料を運んでいるところであった。夏美は馬車が止まるとすぐに飛び出し、マーサに声をかける。
「マーサおばさまー!」
手を振って駆け寄ると、マーサが驚いたような顔でこちらを見た。
「なんだいあんた、久しぶりじゃないか。もう来ないかと思ってたよ」
「うふふ、また来ちゃいました! 今日はローデンさんたちにいい報告をしようと思って!」
「あの人なら奥にいるよ。ついておいで」
「あ、待ってマーサおばさま。今日は新しく紹介したい人がいるの」
馬車から降りたソンジとヨハンのほうを振りむき、夏美がヨハンをマーサに紹介する。
「この人、第三王子のヨハンさんです! 興味があるっていうから、連れてきちゃった」
「は……? いや、あんたその程度で振り回す相手じゃないだろうに」
マーサは夏美の言葉に驚いていたが、ヨハンに会釈をする。ヨハンもどうしていいのかわからないようで、気まずい会釈を返した。
「さ、ローデンさんのところ、行きましょ!」
「いいけど……あの人もかい? みんなおったまげちまうよ」
「いいからいいから!」
夏美に押されてマーサは原料をその場に置き、みんなをローデンのもとへ案内してくれる。中へ入ると、何人かがこちらをちらちらと見ている。それは以前のような視線ではなく、親しみのあるまなざし。その中でも、おばさま二人が声をかけてきた。
「この間、香油をくださった方よね?」
「あ、はいそうです! 使ってくださいましたか?」
「あれ、とーってもよかったわよ! 主人にも、最近手がきれいだななんて言われて!」
「私も! 香りもいいんだけど、次の日には痛みがすっかり引いてね!」
そう言って二人は手の甲を見せてくれる。確かに、以前来た時のようなあかぎれではなく、かなり状態がマシになっているようであった。
「えっ、すごくいい感じになってますね!? これはご主人がきれいになったっていうのもうなずけます!」
「でしょう? しかも少しつけるだけでよく伸びるから、日持ちもするのよ!」
「そうそう、みんなで毎日塗ってるけど、まだあるもんねえ?」
「え~! 本当ですか!? それは知らなかったです」
おばさまたちと、まるで数年来の知り合いのように話す姿を見て、ヨハンがソンジに耳打ちをする。
「この人、どこでもこんな感じなの? 馴染みすぎじゃない?」
「ええ、ナツミ様はどこにでも馴染むのです。すぐにご友人を作っていらっしゃいますよ」
「ふーん……変な人」
二人のそんな会話はまるで夏美にもおばさまたちにも聞こえていない。
「ねぇちょっと、これ、どこで買えるの?」
「私も欲しいわ~」
二人の反応が嬉しくて、夏美もついテンションが上がってしまう。
「本当ですか!? よかった~~! 効き目あったんですね! これは、もうすぐ南方から輸入されてくると思います。そしたら皆さんの分も買ってきますね! あ、そうだ……」
どうせこのあとローデンのところへ向かうのなら、先に渡しておいたほうがいいだろうと思い、今日のために持ってきた特製グッズたちが入ったバッグを差し出す。
「これも皆さんで使ってください! 全員分はないと思うんですけど……これが綿100%のハンカチと、切り株ぐるぐる巻きと……」
一つ一つにおばさまたちが「あら何これ!?」「どう使うの!?」と返してくれるのですべて説明する。そして最後に取り出したのは、試作品のゴム手袋。
「あと、これはまだ試作品なんですが、ゴム手袋というものです! 水仕事をするときに手にはめてみてください、水がしみ込んでこないので、手荒れは防げるかなと……」
「あら、それいいね」
隣で見ていたマーサがゴム手袋を手に取りはめてみてくれる。
「どうですか?」
「大きさはぴったりだ、これはいいかもしれないねえ」
「おおお……! じゃあ後で使ってみて感想を──」
「おや、皆さまいらっしゃっていたのですか!」
話をしているとローデンがやってきた。誰かから話を聞いたのか、それとも騒がしく話しているせいか。
「あ、ローデンさん! すみません、事前にご連絡できずに来ちゃって……」
「いえいえ、とんでもない! こちらこそ、お迎えにいけず申し訳ないです。さっき別の者からナツミ様たちが来ていると報告を受けまして」
「あの、ローデンさんに私も至急報告したいことがあってきたんです!」
「そうですか! では、奥へどうぞ」
「はい!」
このとき夏美は気づいていなかった。ソンジとヨハンをローデンと一緒に連れていくことを。そしてヨハンの紹介もしていなかったことを。




