第24話
翌日、言われた通りアイザックの執務室に議会前に立ち寄った夏美を、アイザックはある場所へと連れてきてくれた。
「写字室……?」
聞きなれない単語に首をかしげながら、アイザックの後ろについてその部屋に入った。すると、まるで学校の教室のように机が並び、それぞれ一人ひとりがそこに向かって何かを書いている。
「えっ……? ここ、何の部屋……?」
「ここは書字生と言って、俺たちが仕事で使う書類を作ってくれたり、速記でとった議事録を正式文書として残すために文書化したりする者が勤める部屋だ」
「へぇ……! なるほど……!」
パソコンがないこの世界では、夏美たちが普段自分で作る資料をかわりに作ってくれる人たちがいる。
(パソコンの中の人みたい……!)
「彼らにお前が思ったことを試してもらって、立証すればいい」
「昨日のあれだよね?」
「ああ。まずは挨拶からだな。グレイン、来てくれないか」
「はい」
アイザックに呼ばれた男性が、こちらへ急ぎ足でやってくる。そして夏美を見て、深々と腰を折った。
「私、写字室室長のグレインと申します。よろしくお願いいたします」
「グレインさん……私は、粟野夏美です。よろしくお願いします!」
シェイクハンドをかわし、挨拶をする。
「昨日メモ書きで伝えた件だ。協力してほしい。どうか頼む」
アイザックがそう言ってグレインたちに頭を下げた。夏美も一緒に腰を折り、お願いすると、グレインたちが慌ててそれを止める。さすがに第二王子に頭を下げられては、使用人たちも驚いてしまったのだろう。
「アイザック様、ナツミ様、落ち着いてください。我々も、昨日提案いただいたこの取り組み、興味があるのです。ぜひやらせてください!」
「ああ、そう言ってもらえると助かる。あとは、ナツミとうまくすり合わせしてやってくれるか」
「はい、承知いたしました」
グレインがアイザックの言葉を受け、夏美に向き直る。それを見たアイザックは夏美に目で自分から話すよう促してくれた。
「改めて、よろしくお願いします、グレインさん」
「はい、よろしくお願いします。昨日アイザック様からメモをいただいたので、概要は把握しております。うちはちょうど常勤が32名おりますので、実験には最適かと」
写字作業も紙漉きと同じく、長時間の集中力と手元の正確さが必要な作業である。アイザックが実験対象として選定した意味がよくわかる。
「実験についてなんですけど……できれば、組み分けは能力でばらつきがないようにしていただきたいのと、1日だけじゃなくて、できれば数日かけて行っていただきたいんですが……あ、でも、お仕事に支障が出たらいけないので、もし途中でうまくいかないようだったら、教えてください!」
夏美はグレインに実験の詳細を説明する。グレインはさすが室長を務めているだけあって理解も早く柔軟であった。
それからグレインの提案もあり、比較するのは、単純な枚数だけではなく、誤字、書き直し、文字の乱れ、翌日の疲労の残り方、と決めた。グレインもこの生産性向上の取り組みには興味を持ってくれているようで、今朝この時間までに色々と考えてくれていたらしい。
「この、交代制というのは新しい概念ですね。ナツミ様が考えられたのですか?」
「あ、いやまさか……! ただ、私の国でそうやっていたので、それをミストリアでもやってみたらどうかな? って……」
「その観察眼、さすがでございますね。それでは、このあと9時から実験を開始します」
「はい、よろしくお願いします!」
夏美とグレインが話を進める様子を近くで見守ってくれていたアイザックが、かすかに口角を上げる。
「気負わずにやってくれ」
「承知いたしました」
アイザックの言葉に、夏美もコクコクとうなずく。まさかこんな実験までさせてもらえるとは思っていなかったが、これがもし立証できれば、ローデン工房の労働環境もかなり改善されるだろう。
(ローデンさんの件は、一人で頑張ってみようと思ったけど、なんだかんだアイザックに助けられてるな)
それでもできるだけ夏美を信頼して、多くを任せてくれるアイザックの心遣いが嬉しい。その後も議会開始までのギリギリまでグレインと打ち合わせを行い、写字室を出る。
「この実験、うまくいくといいな」
夏美の言葉に、アイザックは黙っていたが同じことを思っているだろう。二人は急ぎ足で議会場へと向かった。
それから数日後の午後。
今日も夏美は、ローデン工房から帰った翌日から始めたゴム手袋づくりに勤しんでいた。物置部屋には座布団を他の議員のために作るハンナと、夏美の奇行(試作品づくり)を見守るスナとヨハン、そして見守り役のソンジがいる。少し前まで埃臭い誰にも使われていなかった部屋とは思えないほどの人口密度である。
「これは、次にローデンさんの工房に行くときに持っていくセットで……」
ゴム手袋づくりの合間に、夏美は次のローデン工房訪問時に持っていけるものを整理してまとめていた。ナハルからお土産として買ってきた綿100%のハンカチ、腰痛をほぐすために筋膜ローラーを模して綿と布を切り株に巻いて作った『切り株ぐるぐるまき』、薬用香油20本、ハンナと一緒に作った座布団10枚、など持っていけるものはすべて持っていく精神である。
「あとは、このゴム手袋の試作品ができれば完璧なんだけど……」
道具の整理を終えた夏美が、火にかけたトレーを覗き込む。すると、ラナ樹液は今までよりもどろりとした液状になっている。
「わっ! なんかいい感じかもしれない! ちょっと混ぜてみて……」
夏美が金属のスプーンで樹液をゆっくりとかき混ぜる。混ぜると確かにまだ多少においがするが、これまでよりはかなり抑えられている気がする。
「うん、いい感じじゃない?」
夏美と一緒にヨハンがトレーを覗き込む。その隣で本型のメモを見ながらスナが口を開いた。
「この薬品は樹液と1:10の比で混ぜるといいみたい。今回はこの塩梅だった」
「そうなんだ……! スナくん、記録係ありがとう。一人じゃ記録しながら作ってくなんて思いつかなかったよ、こういうとき役立つね!」
夏美が褒めると、スナは少しだけ嬉しそうに耳を赤くする。それでも表情筋が動かないのがスナらしい。
「では、これに手型を浸けて乾燥させるのですな。型を作る用の粘土と、石膏は用意してありますぞ」
「ありがとうございます! じゃあ……」
ゴム手袋の型にするため、事前にソンジに時間経過で固まる粘土と、石膏を用意してもらっていたのだ。この粘土で一度手型をとったあと、乾燥させてからその中に石膏を入れて、手の形をした型を作る。それを樹液に浸せば、ゴム手袋ができるという流れだ。
夏美は粘土の中に手を押し込むため袖をまくったが、ふと動きを止める。
(アイザックにも言われたけど、私、手小さいんだよね……)
夏美はほかの女性に比べてもやや手が小さい。それは日本にいた時から言われていたことだった。
「これ、私の手だと小さいかも……」
「ヨハンお兄ちゃん、出番」
夏美がぽつりとこぼした言葉を、スナがしっかり拾ってくれる。それを聞いたヨハンは少し嫌そうに首を振った。
「いや、僕はそういうの柄じゃないから」
「えっ、ヨハンさん、手見せてください」
夏美はヨハンの手をふんだくり、じっと見つめる。夏美の手と比べると一回りから二回りほど大きいが、触った感じアイザックほど大きくはない。
(これ、女性用としては最適なのでは……!?)
「ヨハンさん、いい感じに手が小さいですね……」
「あのさ、それ失礼だよ? 僕だってそんなこと知ってる」
「いいかも! ヨハンさん、お願いします!」
夏美はヨハンに粘土の入ったバケツを差し出した。しかしヨハンは自分の手を守るように後ろ手に回してもう一度首を振る。
「嫌だ嫌だ、ありえない。僕は自分の手が嫌いなんだよ。そんなの、形に残したくない」
「いや、ヨハンさんの手はとっても美しいです! 大きくて、安心感のある手……」
「さっき君、僕の手を小さいって言ったばかりだよね? 信じられない」
「いいんです! こういうのって、大は小を兼ねるっていうんですよ!!」
夏美は目をキラキラさせて、ヨハンを説得する。
「何それ、ことわざ? 知らないんだけど」
「いいのではないですか、ヨハン様。ささ、ほら、粘土もヨハン様を待っておりますぞ」
「いや意味わかんないから」
「ヨハンお兄ちゃん、人の役に立つ時が来たよ」
「スナさ、ちょっと僕のことバカにしてるよね?」
ツッコミの追い付かないヨハンが逃げ回るのをなんとかみんなで仕留めて、粘土に左右の手を押し込む。
「うわ……何これ感触気持ち悪い……」
「もうちょっと粘土が固くなるまで待っててくださいね! 絶対抜いちゃだめですよ!?」
「はぁ……なんでこんなこと、僕が……」
居心地悪そうなヨハンをみんなでホールドして時を待つ。ヨハンは嫌そうにしながらも、別に身体に力は入れていない。本気で嫌がってはいなさそうだ。
(なんだかんだ言うこと聞いてくれるの、次男って感じだなぁ……!)
アイザック、ヨハン、スナ。母親は違ってもなんだかんだ次男みを感じる夏美であった。




