第22話
翌日の朝。やってきたのはローデンの領地であった。城の近くにあり、馬車で1時間ほどの距離にある。
昨日の夕方、アイザックにローデンからの相談事を打ち明けた。
「ローデンさんが、王城で使う紙を作ってるっていうのは知ってた?」
「ああ、そういう話は聞いている。それで、何に困っていると?」
「うん……羊皮紙から紙に移って、仕事の需要が増えたのは嬉しいんだけど、忙しさと仕事のきつさでやめちゃう人が多いんだって。特に水仕事もあるし、足腰を痛める人が多くて、せっかく職人さんとして育てても、身体を壊して退職する人が後を絶たないみたいで……」
「……そうか。それはかなり問題だろうな。発注しているこちらとしても、なんとか解決してやりたい話ではある」
「そうなんだよね……。それで、明日ローデンさんの工房を見に行ってみたいんだけど、いいかな?」
「ああ。その代わりソンジは連れていけ。護衛代わりだ」
「わかった……ありがとう」
(なんか、やけにすんなり通ったけど……?)
書類仕事をしながら言うアイザックに、夏美が不思議がる。それに気づいたのか、アイザックが言葉を続けた。
「ローデンからお前に話があるという時点で、何かあったのは察していた。それに、仕立て屋が持っていた布を使った敷物か何かをローデンが持っている時点で、お前の仕業だろうと思っていたしな」
「そう、なんだ……」
言わなくてもすべてお見通しというわけだ。
「ナツミ」
「えっ? うん?」
「くれぐれも安全には気を付けて、お前らしく行ってこい」
「……うん! ありがとう、楽しんでくるね!」
アイザックが自分を信頼して、任せてくれている。そのことが嬉しい。
(名前も呼んでくれたし、なんか頑張れちゃうなー!)
その日はるんるん気分で、明日の用意をしたのだった。
そんなこんなで今日、ソンジを伴いローデンの製紙工房にやってきた。本人は小さな工房と言っていたが、目の前にするとかなりの規模があるように見えた。馬車の音を聞きつけたのか、工房の前につくと中からローデンが出てくる。
「お早いご到着で! おはようございます」
「おはようございます! すごい、広いですね! 全然小さくないじゃないですか……!」
「いやいや。それでもまぁ、少しずつ建て増ししてやってきたので、愛着はあるんですがねぇ」
(ローデンさん、実はこの工房にすごく愛情を持ってるんだろうなぁ)
どこか誇らしげな表情から、夏美はなんとなくそんな気がした。
「もしよかったら、先に見学させていただけませんか? 私、どんなふうに紙が作られているのか知らなくて……それを知ってたほうが、よりお力になれると思うんです!」
「でしたら、最初のほうから見ていったほうがよいか……どうぞ、こちらへ」
ローデンは少し悩んでからこちらへ、と促した。工房の中に入ると、思ったより天井も高く、奥行きもあるが何よりも先にもわっとした暑い空気に驚く。
「わ、暑いですね……!」
「まぁ、火を使うところもあるのでね。いくら窓を開けても、特に風のない日はかなり暑くなってしまうのです」
「そっか……夏はもっと大変ですよね……」
話をしながらやってきたのは、中でも一番外に開けている作業場であった。外から馬の荷台に載せて何やら運ばれてきたものを、男性たちが木や鉄の棒で叩いて砕いている。
「これは何を……?」
「これは、集めてきた麻布の端切れや古い衣服、植物の繊維などを叩いて細かくする工程です。これが紙の原料となるのです」
「へぇ……! そうなんだ……知らなかったです」
男性たちはみなこちらを不審な目で見ている。おそらく夏美の服装で貴族だと気づいたのであろう。貴族が何の見物だ? とでも言いたそうな目つきである。
(わかる……いきなり職場にこんな人来たら怪しむよね……でも、私悪い人じゃない、つもりだから……!)
内心でそう思いながら作業を見学する。ぼろきれを叩いて細かく粉砕する作業は、見ているだけで汗が出そうなほど重労働である。
(こんなときに綿のハンカチとかあればなぁ……!)
そう思いながら、ローデンとともに工房内を歩いていく。
「この次は、くずになった原料を洗って、汚れや糸くずを落とすところです。そしてその流れで原料を水につけて、この薬品で繊維をほぐしやすくするんです」
「ここは……水仕事が多そうですね」
「ええ。いつもみんなあかぎれを作っていますねぇ、特に冬は」
「そうですよね……」
(それ、なんとかしてあげられないかな……? 香油を塗ったら水ははじくだろうけど、紙ににおいが移るかもだし……あっ、ゴム手袋は……!?)
ちょうどナハルから輸入する品目に入っているし、まさに水仕事にうってつけではないかとひらめく。夏美はそれを忘れないようにしっかり記憶に叩きこんでローデンの案内を聞いた。
(なんだか……どの工程も大変そうだな、それぞれ違う悩みがありそう。これは実践したほうが悩みを理解できるかも)
「すみません、ちょっとこの工程、私もやってみてもいいですか?」
「いやいや、お貴族様がこんな作業をしたら、手が荒れてしまいますよ」
その場で作業をしていたおばさまが、横から口を出してくる。
「いや、全然いいんです! やらせてください!」
夏美がそう言うと、ローデンがおばさまに目くばせをしてやらせてあげよう、と言う。
「では、この原料をこの水の中でほぐしてください」
「はい……!」
指定された原料を、少し濁った水の中でほぐすために手をつける。
(わっ、なんかちょっと指のささくれがピリピリする気がする……しかも臭い……ラナ樹液ほどではないけど……)
ぬるぬるとする液体の中でなんとか一つのかたまりをほぐしたが、これはかなり力もいるし、なんといってもこの液体が身体に悪そうである。
(絶対ゴム手袋あったらこれ大助かりだよね……)
そう思いながら同じ作業をするおばさまたちの手を見てみると、みんな手荒れがひどく、この液体につけるだけでも痛そうである。しかもこの作業場の高さがかなり低く、みなかがみ姿勢で作業をしているので腰が痛くなる。
「これ、手荒れ痛いですよね……腰も……」
「ああ、そうですねえ。まぁ、この仕事やってるならしょうがないです」
「あの、今日実はこんなものを持ってきまして……」
夏美はバッグからナハルの薬用香油を取り出した。それをおばさまに手渡す。
「これ、よかったらお仕事終わりに使ってみてください。そんなにすぐは効果でないと思うんですけど……」
そう言いながら手渡すと、おばさまは不思議そうな顔で小瓶を眺める。夏美がゴム栓をはずしてあげると、ふわりと薬用香油の透き通った香りがあたりに広がった。
「あら、すごくいい匂いね」
「やだ、素敵な香り……」
これまで周囲で黙々と作業をしていたおばさまたちも思わずこちらを見てくる。
「これ、どこに売ってるんです?」
「実はナハルで……あ、でも、もう少しでこれ、ミストリアでも買えるようになります! なので、ちょっとお試しで使ってみて、また感想聞かせてください!」
やや強引に香油を押し付けてしまったが、相手も悪い感触ではない。
「にしても、この作業、腰が……ああ~~……」
こちらに来てこれほど身体を酷使したことがなかったことに気付く。腰がもうすでにピキピキと悲鳴を上げていた。
「あなた、貴族なのに気取らないのねぇ」
近くで見ていたおばさまがくすくすと笑い、ソンジたちもつられて笑っている。それをみたローデンが複雑そうな顔で口を開いた。
「この方は、あの第二王子アイザック様の客人ですぞ」
ローデンがそう言った瞬間、さっきまで笑ってくれていたおばさまたちが水を打ったように静まり返る。
「えっ!? あ、あの、私は何も偉い身分とかではないので!! 本当に!! ただ、なんていうか色んな巡り会わせでただアイザックの客人になってるだけで……」
「どんな巡り会わせであろうと、そんなことになりゃせんよ……ねぇ?」
最初に話をしていたおばさまが、冷静にそう言い周りもうなずく。近くでソンジもうんうんとうなずいていた。
(いや、確かに……それはそうだけども……! なんでソンジさんはそっち側!?)
「いやいや、あの本当に、ここでは私のそういうのは忘れてください、ただの夏美です! みなさん、夏美って呼んでください、ため口でいいですし! ね? ね?」
夏美の必死さが逆に哀れになったのか、さっきのおばさまがぽん、と夏美の肩に手を置く。
「あたしは、あんたを夏美って呼ぶよ。それでいいんだろう?」
「はい!! お名前、教えてください!」
「あたしはマーサだよ」
「マーサさん!」
「マーサでいいのさ、あたしもあんたのことをナツミって呼ぶんだからね」
マーサがニッと笑ってくれる。
「じゃあ、マーサおばさまって呼ばせてください! あ、呼ばせてね……!」
「ああ。いいよ」
(感激する~~!! なんて優しい人なんだ……!)
夏美がマーサの器量に感激していると、横からローデンが「じゃあ、次からの紹介はマーサにお願いしようか」と提案してくる。
「えっ!? いいんですか!?」
「ええ、私は少し書類仕事があるので、マーサがよかったら。ナツミ様を、工房内すべて案内してくれないか?」
「この子を? まぁいいけど。じゃ、私は先にこの香油を試してみようじゃないの。お先に」
同僚のおばさまたちにそう言って手刀を切る姿に、夏美も懐かしさを覚える。
(ああ……なんか、実家のような謎の安心感……)
マーサが香油のゴム栓を開けて手に塗り広げると、さっきよりもさらに香りが広がる。
「あら……これ、すっごくいいかもしれないねえ。傷にもそれほどしみないし、しっかり浸透していく感じがあるよ。これはきっと効果あるね」
「本当? そう言ってもらえると嬉しい……」
なんでもないただのマーサの言葉なのに、なぜか彼女が言うとどんな統計データにも勝る気がする。
「じゃあ、次の工程でも見に行くかね。さ、次もまた大変なところだよ」
マーサに連れられて次の工程へ向かうと、大きな鍋でさっきの原料を混ぜている。大きな木杓で混ぜるのは、とても力がいる作業に見える。
「ほら、あそこに立って中を見てみな」
マーサに言われた通り、夏美の身長以上ある鍋の中を覗き込める、木のはしごをゆっくりのぼって中を見る。
「わ……なんか、とろみがある……? すごい量だね!」
「ああ、そうだ。ここですべてを溶かして、均一な仕上がりにすんだよ。この木杓も重くてね。持ってみな。ああ、重いから鍋に落ちないようにね」
マーサがそういうと、この工程の担当者と思われるおじさまが、横から木杓を持たせてくれる。その柄を持つとずっしりどころではない重みに、マーサが言った「落ちないように」という言葉が現実味を帯びてくる。
「こ、これ重ッ……! なんで!?」
「折れないようにすると、どうしてもそのくらいの丈夫さが必要なんだよ」
「あ、ありがとうございます……」
木杓をおじさんにもう一度任せて、ゆっくりと木のはしごを降りる。
「これ、結構危険とも隣り合わせな気が……」
「大丈夫さ、鍋に落ちても、頭までは浸からない水位にはしてあるんだ。自分でこの鍋をのぼれるかはわからないけどね」
ハハハ、と笑い飛ばすマーサと木杓のおじさんに、アハハ……と乾いた笑いしか出ない。
(紙作り、思った以上に過酷すぎる……)
マーサに連れられてやってきた次の工程は、いよいよここまで作ってきた原料を「紙」にする作業である。1枚1枚木枠ですくい取り、厚さが均等になるようにならしていく。ゆらゆらと木枠をゆすりながら厚みを整えていく作業だ。
「これも、やってみたい!」
「ああ、言うと思ったよ。ほら、これでやってみな」
マーサが木枠を手渡してくれたが、これもまた重い。マーサがそんなそぶりを一ミリも見せないので軽いものだと思って受け取ったがために、重心のバランスを崩しそうになった。
「え、この木枠も重いの!?」
「重いって言ったってあんた、このくらい持てないと何の仕事もできないよ」
「そうなんだ……」
「あんた、ほっそい腕してるねぇ」
夏美の腕を見て、マーサが驚く。確かに、たくし上げた袖から見えるマーサの腕は、かなり鍛えられているようだ。
「えっ、すごい……! マーサおばさん、力持ちなんだ……」
「あんたが非力なだけだよ。ほら、こうやってすくって」
マーサが隣で実演してくれるので、それを見ながら夏美も真似してみる。
「おっ、どうどうこれ! かなりいい感じでは……!?」
「これじゃ、原価の何倍の価格で売り出せば利益が出るやら」
「そ、そんなにひどい? 結構いい出来だと思ったのに~!」
「あんた思ったより自意識過剰だね?」
マーサがそう言うと、周囲の人たちがわっと笑う。
(マーサおばさん、ここで長く働いてるんだろうなぁ……! みんなからの信頼を感じる)
「いいかい、紙は何よりも薄くて丈夫に作るのが大事なんだよ」
(『薄くて丈夫』? なんかそのワード、すごく聞き覚えが……)
少しのひっかかりを残しつつも、ほかの工程もすべて見学し終えた。そこへちょうど、ローデンがやってくる。
「マーサ、どうだ、終わったか」
「終わったよ。ちょうどね」
「そうか。ありがとう。じゃあ、夜のろうそくを用意しておいたから、各工程に配っておいてくれ」
「はいよ」
(えっ、夜のろうそく……!?)
気になった夏美は、ローデンとマーサに尋ねる。
「皆さんは、何時に上がるんですか? 夜の番もあるんですか?」
「上がる? いやいや、食事と睡眠以外は働くんだよ」
マーサが当然のように言うので、夏美はカルチャーショックを受ける。
「そ、そうなの……!? 私、8時間でもつらかったのに……!?」
「8時間!? あんた、細いもんねぇ。あたしらなんか、16時間くらいへっちゃらだよ」
「16時間!?」
「それが普通なのさ」
(そうか、この世界ではそれが普通なんだ!?)
ソンジが陰でうなずいているのを見ると、どうもそうらしい。
(それはさすがに、体壊すよ……)
「じゃあ……もし、働くのが8時間だけでいいよっていう工房があったら、そこで働きたいと思う?」
「そりゃあそうだろうねえ。1日、たったの8時間しか働かなかったら……他にいろんな事ができるもんさ。家の修繕もできるし、畑もできる」
「そうだよね……」
「でもそれでお賃金が下がるっていうんだったら、ちと考えるけどねえ」
マーサの言葉を聞いて、夏美もはたと思考が止まる。
(確かに……でも、そのほうが絶対に効率は上がるはず。生産量で給料が決まるとしたら、なんとか給与水準維持できないかな?)
夏美が考え込んでいると、ローデンがマーサにもういい、と合図をしているのが見えた。
「じゃ、あたしは行くわ」
「あっ!」
マーサが去ってしまうのを見て、慌てて夏美が声を上げる。
「マーサおばさん! あの、ありがとう! すごくためになった! また、会いに来るね!」
「あいよ。今度はあんたの職場を見学させてほしいもんだ」
マーサはそう言って後ろ手を振り、颯爽とどこかへ消えてしまった。
「またすぐに会えますよ、きっと」
ちょっと寂しさを覚えている夏美に、ソンジがそう言ってくれる。
「では、一通り見学も終わったということで、そろそろ会議を始めましょうか」
「はい!」
ローデンの言葉にうなずいて、工房をあとにした。




