第20話
ナハルの旅を終え、ミストリアに帰国してきた一行。
まだ夏美はナハルの旅気分が抜けないというのに、アイザックは旅行中に腕がなまったといい、早朝から剣の稽古へ出かけて行った。
(さすが、ミストリアの国民性なだけある……真面目だ……)
もちろん一緒に寝ていた夏美もそれに伴い起きたが、このあとどうしようか迷っている。二度寝してもいいが、午前の議会には参加したい。少しだけ時間をつぶせる何か……と思ったところでひらめく。
(そうだ、もらってきたラナ樹液を試してみよう!)
そう思い立ってすぐ行動する。部屋を出て、ソンジの部屋のドアをノックした。
「ソンジさん、夏美です」
「おや? おはようございます」
ソンジはすぐにやってきて、ドアを開けてくれた。
「どうされましたか? お早いですね」
「はい……二度寝しようかなとは思ったんですけど、ちょっといいこと思いつきまして!」
「いいことですか?」
「はい。このお城の中に、火を使ったり、匂いが出ても問題ないような部屋ってありますか?」
「ほう? なかなか難しいご注文ですな……それなら、物置部屋が最適ですかな? ちょうど書庫の隣に使っていない物置部屋があるのです。そこならよいでしょう」
「え、そんなすぐに使えるんですか?」
「ええ。その部屋の鍵は、私の管理下ですので」
思いがけずすんなりと話が通って驚くとともに、進展があることに喜びを感じる。
「では、鍵を開けに行きましょうか」
「はい!」
ソンジにラナ樹液の試行錯誤をしたい旨を伝えると、ソンジが必要そうなものを一緒に考えて手配してくれた。
一見アルコールランプのように見えるこのガラスの瓶に入った装置は灯油の小型加熱器らしい。それと金属で作られたバケツ、いくつかの同じようなトレーをもらった。それらを抱えて物置部屋へやってくると、少し埃くさいが実験部屋にしては十分な広さもあるし、テーブルもある。カーテンを開けて部屋を換気すればすぐに使えそうだ。
「この部屋はどうですかな?」
「はい、十分です! ありがとうございます!」
荷物をテーブルに置いてソンジにお礼を言う。
「私は朝礼に参加してきますから、その間は何事も起こさないようにお願いしますよ?」
「大丈夫です、わかってますって!」
「火の扱いだけはお気をつけて。庭に井戸がありますからね、そこから水を使ってくださいね」
「はい! わかってますって!」
ソンジに念には念を押され、夏美は笑顔で手を振ってソンジを見送る。
(じゃあ、まずはこのバケツに水を汲んでこようかな。火を使うから、何かあっても困るし……)
あれだけソンジに念を押されたのに、ボヤ騒ぎでも起こしては困る。夏美はバケツを持って庭に出た。
庭で井戸から水を汲んでいると、背後から声をかけられた。
「おはよう、こんなところで何してるの?」
まだ眠そうにあくびをしながら、ヨハンがこちらを覗き込んできた。
「あ、ヨハンさん! おはようございます。今は……水を汲んでるところですね」
「うん、見ればわかるよ。それを何に使うの?」
「ちょっとラナ樹液を……あ、そうだ、スナ君いますか?」
「君はさ、もう少し僕の話を聞いたらどうかと思うんだけど」
そう言いながらヨハンが庭から書庫の中を覗き見る。それから、スナ、と声をかけた。
「あ、スナ君いるんですか? おはよう!」
スナが目をこすりながら本を大事に抱えて書庫から出てくる。
(うわー、こうやってみると子どもっぽくて可愛い……!)
普段は無口だったり、聡明そうな一面が見える分、こういう無防備な姿を見ると実年齢を思い出す。
「あのね、スナ君に教えてもらったラナ樹液、ナハルでもらってきたよ! 見る?」
「ラナ樹液……見たい」
眠くても知的好奇心は抑えられないのか、そう答えてきた。夏美はバケツいっぱいの水を持ち、手招きして物置部屋に戻る。ヨハンとスナがその夏美のあとについて、物置部屋にやってきた。
「これこれ、この白い塊!」
「こんな感じなんだ……実物、初めて見る」
「そうでしょ? 私もナハルで初めて見たときは結構びっくりしちゃった。なんか、臭いし、べたべたするし……」
「それで? そんなもの使って何しようっての?」
スナと夏美の会話に割って入ってきて、ヨハンが怪訝な目を向けてくる。ヨハンは完全に夏美の悪だくみだと思っているようだ。
(で、でもこの極秘プロジェクトの内容は、さすがにこの二人には言えない……!)
悪だくみだと思われるのは少々いやだが、仕方がない。
「これでね、ちょっとこういろんな商品を作ってみようかなーと思って。お二人にも、意見がもらえたらなって!」
「ナハルでは、これはどうやって使われてるの?」
「ナハルでは、小瓶の栓とかに使われてます! こうやって触ってみると、ちょっとぶよぶよするので、これで小瓶の中身がこぼれないような栓が作れるんですって!」
夏美の言葉を聞きながら、ヨハンとスナは樹液の塊をおそるおそる触ってみている。
「こんなの、どうやって栓にするの?」
「あ、それは……これを、こうやってちょっとだけ切って熱すると……って、あれ? なかなか切れない……」
持ってきたナイフを樹液の塊に通してみるが、思うように切れない。
「貸して。僕の力でなら切れるかも」
「本当ですか? じゃあお願いします!」
ヨハンが腕をまくってそう言ってくれるので、夏美は包丁を手渡した。刃物をヨハンが持っていても、もうまったく怖くない。
(まさかあの初対面のときは、こんなふうに接せるようになるとは思ってなかったけど……)
ヨハンが小型加熱器で包丁を温め、樹液に差し込んでいく。するとさっきとは見違えるようにするりと切れるようになった。
「だいたい加熱して加工するものは、こうやって包丁を温めるとうまくいくんだよね」
「すごい! ヨハンさん、ありがとうございます! じゃあ、これで実験しますね!」
ちょっとどや顔のヨハンをあえてスルーして切れた樹液をトレーにのせる。そして加熱器の上でしばらく加熱すると、樹液がどろりと溶け始めた。と同時に。
「くっさ……!!!」
加熱とともに部屋に広がる樹液独特のにおいに、3人とも耐え切れず鼻を押さえた。もうすでに窓は全開にしてある。それでも風がないのでにおいが流れていかない。
「僕が扇ぐよ」
「お願いできる……?」
スナが近くにあった厚紙のようなものを持ってきて、夏美の手元を扇いでくれる。
「これで、ちょっとはマシ……だよね?」
スナがこくこくとうなずく。それでもまだ臭そうな顔はしているが。
「一応、少しずつ溶けてきてはいるよね……? でも……ん!? なんか、別の臭さが……」
「ねえ、焦げてるよ」
「本当だ!」
ヨハンに指摘され、夏美とは反対側の樹液の底が焦げて異臭を放っていることに気付く。
「火が強すぎるんじゃない?」
「僕もそう思う」
プスプスと音を立てて沸騰している焦げ部分を見ると、やはり二人の意見が正しいらしい。
「でもこの加熱器、なかなか火の調整ができなくて……」
「だったら、このトレーをもう少し高い位置で火に当てたほうがいいよ。そこで調整するしかない」
「あ……! なるほど!」
ヨハンに言われ、トレーを固定していた金属製の土台を持ち上げる。
「この下に置ける物……何か……」
「本は燃えると危ないから、これがいいかな」
古びた暖炉の近くに積んであったレンガを、ヨハンが持ってきてくれた。そして夏美が支えている土台の下に差し込んでくれる。
「ありがとうございます! これでちょっとは焦げ付くのも回避できそ──」
そこに、コンコンとノックの音がする。
「夏美様、そろそろ議会の時間ですぞ。入ってよいですかな?」
「はい! どうぞ!」
夏美が返事をすると、すぐにドアが開いた。
「どうやら大人しくして──クサッ!」
初めて聞くソンジらしからぬ声に、夏美は思わず振り返った。顔の前で手を振りながら唇をゆがめている。
(ソンジさんのあんな声と顔、初めてだ。これやっぱ相当臭いよね?)
あまりの刺激臭に驚いたようだ。
「これは……!? 鼻が曲がりそうですぞ……」
「すみません、ラナ樹液をどうにかして柔らかくしようとしてるんですけど……」
そこまで夏美が言うと、においよりもいよいよここに誰がいるかということに気が付いたらしい。
「と、お待ちください。ヨハン様までいらっしゃるとは……。ナツミ様、少し距離をお取りください」
そうソンジが言うと、ヨハンが両手を挙げてみせる。
「この子には何にもしてないよ、しようともしてないし」
「そうなんです、ヨハンさんとスナ君のことは私が完全に巻き込みました! なのでちょっとだけ、目こぼししてください……!」
夏美がソンジに懇願する。ソンジはその夏美をじっと見つめてから、はぁ、とため息をついた。
「大人しくしてくれていたと思ったらヨハン様まで巻き込んで……この老いぼれをそろそろ安心させてくださいませナツミ様……」
「ごめんなさい、でもわざとじゃないっていうか、こうなったほうが楽しいかなーって……」
露骨に目元を抑えて疲労感をアピールしてくるソンジに、えへへと笑って見せる。このソンジの感じなら、許してくれたのだろう。
「こんなところ、決してアイザック様には見せられませんなぁ……」
「それは、もう秘密ってことで! そこは一つ、お願いします! ほら、ヨハンさんも!」
「え? なんで僕が……ソンジ、秘密でお願いします」
ヨハンが一緒に頭を下げてくれる。なんだかんだ乗ってくれるのがヨハンのよいところだ。冷たく見えて実は優しいので断れない。
(なんか、ヨハンさんのことわかってきたぞ……)
「ヨハン様、頭をお上げください。そこまでされたら……まぁ、よいでしょう。ナツミ様はあとでお話がありますからね」
「ですよね……!」
こってり絞られても文句は言えまい。夏美は覚悟する。
「それから、そろそろ議会の時間ですぞ。簡単に片づけて、向かいましょう」
「はい!」
小型加熱器の火を消し、窓を閉める。
「ちょっとにおいがこもりそうだけど……しょうがないよね」
「そうですな、いくら城内とはいえ開けっ放しにするわけにもいきませんので」
「議会、ヨハンさんも行きますよね?」
「うん、行く。でも大丈夫。少し遅れていくから。さすがにお兄ちゃんに見られるわけにはいかないし」
(まぁ、そうだよね……)
夏美からも、さすがに一緒に行きますかとは少し言いづらい。ささっと片づけると、夏美はヨハンに向き直る。
「じゃあ、私先に行きますね! 議会場で待ってます」
ヨハンに手を振って、ソンジとともに物置部屋を出た。
(ヨハンさんとアイザック、もう少し雪解けがきたらいいんだけどなぁ……)
「ナツミ様。何を言われるかわかっておりますね?」
「はい、もう重々承知です!」
「ヨハン様は敵性人物なのです。お気持ちはわかりますが、あまり親しくされないようにお願いしますよ。私が怒られるのですから」
「すみません……あの、聞いてもいいですか?」
「何をでしょう?」
「アイザックと、ヨハンさんの間に、何があったんですか?」
夏美が尋ねると、ソンジは難しい顔になった。それから、絞り出すように言う。
「……あのお二人は、本当に仲の良いご兄弟だったのですよ。異母兄弟というのが、まるで嘘のようでした」
「えっ! そうだったんですか?」
「ええ、それはもう。幼い頃、お二人で仲睦まじく遊んでいらっしゃる様子は天使のようでした。とても可愛らしく、愛嬌のあるお二人でして……」
深々とうなずきながら語るソンジを見ると、普段接しているソンジと同じはずなのに、この人にはこの人の人生があったのだという当たり前のことが、夏美の目の前に立ち上ってくる。
「愛嬌……なんか、今のアイザックからはあんまり考えられないような……」
「ええ、そうでしょう」
「ソンジさんは、いつからアイザックに仕えてらっしゃるんですっけ?」
「アイザック様が生まれた頃からですねぇ。なので、アイザック様のあんなところやこんなところまで……」
「いい話っぽく聞いてたのに変な言い方やめてください……!?」
ソンジの突然のおふざけに情緒が一気に吹き飛ぶ。それでも、ソンジの表情を見たら、そのくらいライトにでなければ話せないようなことなのかもしれないという予感がする。
「とにかく、ある一件があるまではとても仲が良かったのです」
「……その、一件っていうのは……」
「アイザック様のお母様が、亡くなられたことです」
なんとなく想像はしていたが、いざ突きつけられると言葉に詰まる。
「それは……アイザックのお母さんの死に、ヨハンさんが関係してたってことですか?」
「……そこまではっきりとはわかりません。あの頃アイザック様のお母様、アイリーン様は、ただでさえ死に至る病に臥せっておられましたので。詳しいことは、私の口からはお伝えできません」
「……すみません、こんなこと聞いて」
「いえ。ですが、またいつかはあの頃のように……お二人で話すところを、見てみたいものですなぁ」
なんだかんだ言って、ヨハンのことをソンジも気にかけているのだと思う。アイザックに仕えている以上、一番に守らなければならないのがアイザックであるというだけで、幼い頃から見ていたのならそれなりに情もわくだろう。
そう思いながら歩いていると、ちょうど議会場前の廊下でアイザックの姿が見えた。
(今度、もし聞けたら……アイザックにも、聞いてみようかな)
実は夏美よりも先に駆け出しているソンジのあとを追いながら、夏美はそう思うのだった。




