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第18話

 昼食に焼き魚を食べ、少し休憩をはさんでから一行は海へとやってきた。


 ナハルの海は夏美が日本のどこで見たものよりも美しかった。透明度は高く、港に浮いているボートたちはどれも空中に浮いているように見える。水が光を反射しなければ、ここが海だとはわからなかったかもしれない。


 港の横を通り抜けて、浜辺へと到着すると、夏美はここでもまた大きな歓声を上げた。


「わー……こんなに透明な海、初めて見た……」


 押し寄せる波に近づき、その指先をそっと浸す。


「あっ、意外とあったかい……結構日差しがあるもんね。アイザックも、触ってみたら? 気持ちいいよ」


「海は……遠くからしか見たことがないな。これほど近くで見たのは、初めてかもしれん」


 そう言いながら、夏美の隣で波に触れる。


「確かに、冷たくはないな。それに、こんなにも美しいとは……」


 両手ですくった透き通った海の水を、アイザックはまじまじと見つめている。


(なんか、ちょっと子どもみたい。アイザックには、海って珍しいものなんだなぁ……)


 興味津々に何度も水をすくってはその水の美しさをかみしめているようなアイザックを横目に、夏美は落ちている貝殻を拾い始めた。


 真っ白な貝殻、そこに絵具を落としたように朱が混じったものや、遠慮がちに黄色や青をたらしたものなどたくさんある。


(どれもきれい……日本で見るものより、全体的にカラフルな感じ……)


 貝殻を選んでいると、中には表面が夕陽に当たってきらきらと輝くものがある。


(えっ、こんなに日本で見たことない……! ラメみたいで可愛い……)


 夏美はその貝殻を顔の前まで持ってきて、夕陽にかざす。角度が変わると表面にまだらに入った細かな光の粒のようなきらめきが、色を変えて太陽の光を反射する。


(この貝殻、たくさん拾おう……すごく綺麗……)


 夏美が周囲にも似た貝殻が落ちていないか見まわしていると、アイザックが近づいてきた。


「何をしている?」


「貝殻集めてるの」


「そんな物、集めてどうする?」


「いいの! これはお土産っていうか……」


「土産なら店で買えばいいだろう」


「そういうのじゃないの! 自分で探すから意味があるの!」


「……そうなのか」


 きっとアイザックはよくわかっていないだろう。サミラからあの話を聞いていなければ、それほど貝殻拾いにもこだわらなかったはずだ。


(でも、手伝ってくれるんだよね……なんだかんだ優しいなこの人)


 隣で夏美にならって貝を拾ってくれるアイザックが愛おしい。


「この色、よくない?」


「ああ、いいな」


「これ見て、なんだかキラキラしてて、光を反射するの。可愛くない?」


「可愛い……? いや、俺にはよくわからないが……」


「え、これ月が出てる夜とか来たら砂浜キラキラしてるのかな? ロマンチック過ぎない……?」


「……」


 アイザックは夏美の言葉を理解するのをあきらめたようだ。黙って砂をかき分けながら、貝を探してくれている。夏美も同じようにして砂をあさっていると、どこか見覚えのあるような色の貝殻に出会った。


「あ、これ……見て、ほら……貝の裏側が七色に光ってるでしょ? 私の国にもこういう貝あった。アワビっていうんだけど……美味しかったな~」


「美味しかった……? お前、なんでも食い物ばかり……」


「そうだよ、私たちの国民性は美味しいもの大好きだったの。なんでも食べるしね。外国では食べないものも食べるから、よくびっくりされたなぁ」


「たとえば?」


「うーん……生の卵とか、海藻類とか、あと納豆って言って発酵した豆とか……」


「……なるほど」


(顔に、「俺は食べたくはない」って書いてある……!)


 貝を拾いながら聞いてくれているアイザックの表情を見て、つい笑いそうになってしまう。それを隠そうと貝拾いの続きをしようとして、同じ貝をつかもうとしたアイザックと手が重なる。


「あ……」


 瞬時に顔を上げると、同じように顔を上げてこちらを見ていたアイザックと目が合う。


「……」


「……」


 なんだか何も言えなくて、波音だけが二人の間を縫っていく。


「……悪い。俺はこっちを探す」


「あ、うん……」


(あー!心臓に悪い……顔がよすぎる……!)


 本当は結構集まったから、もう拾わなくていいかもしれない。これを持ち帰ったらソンジに「こんなにたくさん!?」と驚かれるかもしれない。けれど、今はそうするしかない。


(ナハルで、アイザックとの距離が近づいた気がする……旅って、いいな)


 アイザックに見られていないのをいいことに、夏美は照れ笑いを隠すこともなく貝を拾い続けていた。






 その日の夜。


「ナツミ……とっても綺麗よ。似合ってるわ」


「そう、ですかね……? でも、この伝統衣装、すごくかわいいです」


 夏美は、ナハルとの最後のパーティで、ナハルの伝統衣装を着せてもらえることになった。サミラがそれはもうノリノリで、髪飾りまで自分でつけてくれる。


 鏡の前に立った夏美は、その衣装のあまりの可憐さに胸が高鳴った。


 肩から腕にかけて透け感のある布が優しく覆い、 胸元や腰まわりは刺繍入りの布でしっかり留めてある。そしてなんといっても、足首まである軽くて薄い巻きスカート。各所を止めるボタンは金色でいいアクセントになっている。


(こんなに透けてるのに上品なのはなぜ……!? めちゃくちゃ可愛いよ……!)


「さ、これでアイザックに会いに行って。きっと驚くわよ。あ、やっぱりその顔見たいから、私も一緒に行くわ」


 控室の椅子から立ち上がり、さっそくみんなが待っているパーティ会場へと向かう。その途中の廊下で、サミラが夏美の腕に自分の腕を絡めてくる。


(この人、天性の人たらしだ……!)


「せっかく仲良くなれたのに、2日間だけなんて寂しいわ」


「私も寂しいです。でも、今後はナハルとの交易路もできるって聞いてますから、またすぐに会えますよ!」


「そうよね……今度は私が会いに行くわ。ミストリアを見てみたいの。あ、あと結婚式は呼んでね」


「結婚式!? そ、れは……誰の……?」


「もう、馬鹿言わないで。あなたとアイザックのに決まってるでしょ?」


「ええー!? いやいや、そんなことは起こらないと思うんですけど……」


「じゃあ、さっき見せてくれたあの貝、誰に贈るの?」


「アイザックです!」


「そうでしょう? ほら、行ってきて。綺麗って言わなかったら私がお仕置きしちゃうんだから」


 会場の前でサミラが背中を押してくれる。夏美は緊張しながら会場の中からアイザックの姿を探す。


(あ、いた!)


 せっかく容姿は整っているのに、壁の花を決め込んでいるようだ。振り向くと、サミラがいってらっしゃい、と手を振ってくれ夏美もうなずく。そしてアイザックに近づいた。


「あの……アイザック?」


「……」


 アイザックが視線を上げ、隣にいたソンジとフィルも一斉にこちらを見る。


「どう……? 似合う?」


 驚いたように見開かれたアイザックの瞳、その次に移り変わるのはどんな感情なのか、それをただじっと待つ。


「……」


「……もう、なんか言ってよ」


 アイザックが何も言わないから、ソンジとフィルも口をつぐんでいる。その空気に耐えられなくなった夏美がアイザックに抗議する。


「……まぁ、似合ってはいる」


 口元に手を当て、アイザックは何とも言えない顔でそう言った。


「……ありがとう」


 微妙な雰囲気になりそうで、夏美は礼だけ言ってさっさとアイザックのターンを終えて、ソンジとフィルの感想を聞こうとしたその時。


 アイザックがおもむろにジャケットを脱いで、夏美の腰に巻き付ける。


「えっ……?」


「ナハルの伝統衣装であることはわかってはいるが、やや……目に毒だ」


 見たことのないアイザックの表情、顔が少し赤い。


(これはもしや……恥ずかしい感じ……?)


「アイザック……ちゃんと見てくれた?」


「ああ、見た。もういいだろう」


「え~……もっと感想ほしいんだけどなぁ……」


 こういうときにうずいてしまうのが夏美である。アイザックのジャケットをそのまま受け取り、胸元に抱いてもう一度全身を見てもらう。


「どう? アイザック」


「わかったわかった、綺麗だ。そういうのが似合うのも天性のものだろう」


 口では面倒くさそうに言うも、まだ少し耳が赤いのを見て胸が甘くうずく。


「え~本当に? ちゃんと見た?」


 そう言いながら向こうを向いてしまったアイザックの顔を覗き込むと、しんと澄んだ瞳が向けられる。


「お前をどこかに隠しておきたいと思ってしまうくらいにはちゃんと見た。綺麗すぎて言葉もない」


(!)


 夏美だけに聞こえる声で、耳元で言われる。次は夏美が顔を赤くする番だった。思わず手に持っていたアイザックのジャケットで顔を隠す。


(アイザックって、こういうのわかってやってんのかな!?)


 どくりどくりと鼓動が早鐘を打つ音が、聞こえてしまうのではないかと思うほど大きい。


「おや、アイザック様どこへ?」


「飲み物をもらってくる」


「おや? ナツミ様どうされましたか?」


 ソンジがまだ顔の赤い夏美のほうを不思議そうに見ている。


(言い逃げした……)


 アイザックの背中を見つめながら、悔しいような気恥ずかしいような気になる。


「あら、アイザックはどこへ?」


 そこへラシードと一緒にサミラがやってくる。サミラは夏美の顔を見るとだいたい何があったのか察したのだろう、にやりと笑みを浮かべた。


「ナツミ、ナハルのパーティはどう? 楽しんでる?」


「はい! 飲み物もご飯もおいしいし、みなさんすごく社交的で楽しいです! あと、この音楽とか……」


「これは古くからナハルで愛されてる音楽なの。あの楽器隊も、すべて王室で保管している由緒あるものよ」


「え、そうなんですか……! じゃあ今私たち、めちゃくちゃ一流の音楽を聴いてるってこと……!?」


 夏美は驚いて耳を澄ます。楽器隊たちはそれぞれ自分の奏でる音にほどよく酔いしれて、ばらばらに見える楽器たちが1つの音楽といううねりを作り出している。


 重い弦の響きではなく、指先で弾く軽やかな弦、波のように寄せては返す太鼓の音、ときどき風のように流れていく竪笛の音色も気持ちいい。


「ナハルの音楽は気に入ってくれた?」


「はい!」


「あ、アイザック! 戻ってきたわね」


 サミラがそう言うと、夏美のぶんも併せて飲み物を持ってきたアイザックが怪訝そうな顔をする。


「何を企んでいるのですか」


「あなたとナツミに、ミストリアのダンスを踊ってほしいのよ」


「えっ!?」


 思わず声に出たが、アイザックに話しかけているところを遮っては悪いかと慌てて口をつぐむ。


(どうしよう、私ミストリアのダンスなんて踊ったことないよ!?)


「実はね、楽器隊にミストリアの音楽を頼んでおいたの。楽器が違うから同じものにはならないと思うけど、こちらの編曲で聞いてみたくない?」


「……悪くないな」


 ソンジとフィルもどうやら興味をひかれているようだ。


(いや、私そもそもミストリアの音楽も知らないんだけど……!?)


「できるか?」


「え……いや……」


 乗り気なみんなに水を差すようで何も言えなくなってしまった夏美に、アイザックが耳打ちする。


「俺に合わせれば良い。恥はかかせん」


 返事をするより先にアイザックが夏美の手を引いて、会場の中央へ進み出た。それを合図に、楽器隊たちが奏でる曲を変える。


 アイザックが曲に合わせて手を引き、体の重心をコントロールしてくれる。


(これ、私ちゃんと踊れてるのかな……!?)


 不安になって周囲を見回すが、誰一人として心配そうな顔はしていない。ソンジやフィルも笑顔でこちらを見守ってくれている。


(大丈夫……そうなんだよね、きっと)


「周りが気になるか?」


「あ、ううん、ごめん、集中します!」


「下手に力むと、転ぶぞ」


 見上げると、どこか余裕ありげな表情のアイザックがこちらを見下ろしている。


(なんかちょっと悔しい……! っていうか、アイザック、ダンス踊れるんだ……そりゃ王子だもんね)


 普段の接し方からときどき立場を忘れてしまいそうになるが、これでも一国の第二王子なのである。しかも王位継承者。


(今更だけど、この人絶対モテるよね? こうやって、他の女の人とも手を握って踊ったりしたのかな……)


 想像してみるとなんだか胸がむかむかする。自分が見たこともない女性たちに嫉妬しているのがわかって、夏美は急いでその妄想を頭から追い出した。


(そういえば、私アイザックの過去の恋愛とか何も知らないな?)


 あれだけ勉強したつもりでも、ミストリアの音楽もわからないし、アイザックの恋愛遍歴も知らない。


(でもこの顔だしね……モテるよね絶対)


 考え出したら止まらないのは夏美の悪い癖だ。それでもなんとか気持ちを持ち直してダンスを終えた。


「最高よ、アイザック、ナツミ!」


 サミラが大きな拍手で二人をたたえる。会場中が温かい視線をくれていた。アイザックに手を引かれ、ソンジたちのもとへ戻る。


「ナツミ様、お上手でしたよ」


「ええ。お二人、息ぴったりでした」


 ソンジとフィルが声をかけてくれる。


「ダンス経験がおありなのですか?」


「いえ、初めてです。アイザックがすごく慣れてて……」


 サミラは楽器隊に目配せをして、次の曲へ移らせる。それから、ラシードと並んでこちらへ戻ってきた。


「初めてなの!? それであれだけ踊れるなら、ナツミはアイザックに身を預けるのが上手なのね」


「へっ!?」


「踊りの話よ?」


「本当に踊りの話ですか!?」


(絶対違うこと考えてるよね!?)


 サミラの真意ははかりかねるが、それ以外と言われても納得できてしまう。隣から、ラシードが声をかけてきた。


「お二人は、まだ結婚しないのかな?」


「やだあなた、この二人、まだ恋人同士でもないのよ」


「ええっ? それは失礼した、ごめんね、二人ともとってもお似合いだったから」


 敬語が取れたラシードは、より一層ほんわか感が満載である。サミラが明るくて豪快な妻だとしたら、ラシードはそれをニコニコと見守っている優しくてちょっと天然ボケの入った箱入り夫という感じだ。


「そろそろ、パーティも終わりかな。なんだか名残惜しいけど、二人とはまたすぐに会える気がするよ」


「ラシード、今度の旅行はミストリアにしましょう?」


「ああ、いいね。今度はミストリアを案内してくれるかい?」


「はい、もちろんです! ね? アイザック」


「ああ。もちろん、いつでも招待する」


 ミストリアとナハルの心の距離は数週間前からぐんと近づいた。そう夏美が実感できるほどには、この二日間はとても有意義だったものだと思う。


「じゃあ、また明日! 朝、見送りするからね」


「ありがとうございます! じゃあ、おやすみなさい!」


 手を振ってラシード夫妻と別れる。このときが名残惜しくて、少し目頭が熱くなるのをなんとかこらえ、夏美は笑顔で手を振りながら客室へと向かった。



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