第17話
夕食会も終わりに差し掛かった頃。サミラが大きく口を開けて豪快に笑う。
「もう、本当にナツミって面白い! 香油1つでこんなに反応が違うんだもの!」
「だって、この香油たち、みんな一人ひとり想像できる景色が違って!」
ナツミはそう言いながら、サミラが送ってくれた香油の小瓶をテーブルにもう一度並べる。全部で5種類あるそれを、1つずつまた手にとってかいでみせる。
「これが……あ、うん、なんか仕事できる女の人が、お風呂上がりにつけてるにおいだ」
「じゃあこっちは?」
「これは……好きな人のお家に遊びに行くときに、鏡の前でつけて気合入れるときのにおい」
「ふふふ、そんなに細かく状況が決まってるの?」
「そうですよ、これだって……あー……なんか、資格試験の勉強をしなきゃいけないんだけど、甘い誘惑に惑わされたときに嗅いでシャキッとしたいときのにおいです」
「何よそれ! どういう状況なの! もう本当に面白いわナツミ」
サミラはお酒が入って高揚しており、何を言っても笑ってくれる気がする。サミラもラシードも、敬語も取れてだいぶ接し方がフランクになった。
「違いますよ、サミラさんがゲラなんですよ!」
「ゲラ?」
「よく笑う、笑いの壺が浅いってことです!」
「笑いの壺? 笑いに壺があるの? あ~面白いわ。ゲラね、覚えておくわ。なんだか変な響き」
(うっかりナハルの王子妃に『ゲラ』という謎言葉を布教してしまった……)
その様子を見ていた男性陣はその会話を心地よく聞いているようだった。
「サミラがあんなに笑っているのは珍しいよ」
「そうか。あいつはいつもああいう感じだ」
(いつもって……いやまぁそうだけど!)
ラシードとアイザックはそんな話をしている。ラシードのサミラを見る瞳が限りなく優しくて、夏美はサミラが愛されているなぁと実感する。
「ねぇナツミ、明日は何をするの? 夜のパーティまで、スケジュールは空いてるって聞いたけど」
「明日の日中は、観光する予定で、海に行きます! あと、ちょっと街も歩いてみようかなって」
「まぁ素敵!」
サミラは夏美に小さく手招き、自然と夏美も顔を近づける。
「ねぇ、さっきは聞けなかったけど……アイザックとは、良い仲なの?」
「えっ!?」
思わず声があがって、慌てて口を押さえる。
「アイザックの、あなたを見る眼差し、すごく優しいもの」
「へ!? い、いやいやいや、それはさっき私がラシードさんに思ったことです。すごく優しい目でサミラさんのこと見てるなぁって」
「ラシード? ああ、あの人は、私のこと大好きよ。じゃあ、それと同じくらいアイザックもあなたのことが好きなのかもね?」
「えー……? そうですかね……?」
夏美が首を傾げると、サミラが夏美のテーブルの上に置いてある手をそっと握った。
「いい? 明日、浜辺に行ったら貝殻を拾うの。ナハルでは、波に削られた貝殻や硝子片を旅のお守りにするのよ」
「へぇ~! そうなんですね! 素敵……」
「ええ。遠くから流れ着いたものは、また遠くへ行く人を守ると言われているの。アイザック、外交担当なんでしょう? きっとあちこち行くだろうから……」
「まぁ……」
(確かに、今のところあまりそういうのは見てないけど、外交担当だもんね……)
「恋人や家族、親しい友へ贈るの。無事に帰ってくるように、って」
「わかりました、絶対貝殻拾います! 約束!」
夏美は小指を差し出し、サミラにも同じようにしてと目で合図する。
「こう?」
「そうです、私の元いた国ではこうして小指を交わすと約束を守るっていう意味になります」
「まぁ、可愛い! じゃあもっと素敵な約束にしない? 貝殻を拾うのも大事だけど、ほらミストリアとナハルの友情を約束、とか」
サミラは嬉しそうに微笑んで指を絡めてくれる。
「それいいですね! ふふ、じゃあその素敵な約束にしましょう」
夏美も嬉しくなってきゅっと指を絡める。
(この約束が、実現しますように……!)
夏美は目を閉じてその未来が遂げられるよう心から祈った。
翌日。ミストリアから持ってきた平服を着て、観光地へ向かう。
ミストリアの城は高い城壁に囲まれているが、ナハルは城から街まで遮るものが何もない。ナハルの首都はどこにいても、海が見えるのはあまりに壮観であった。
城から街まで馬車で行くほどでもなく小さな首都なので、みんなで歩いて街へと向かう。
「ナハルは晴れの日が多いようで、この美しい青空と海がよく見えるようですよ」
「気候にも恵まれてるんですね! いいなぁ、街のどこからもこの海が見える景色……」
(そういえば……)
「私、ミストリアの人たちがどんなふうに暮らしているか知らないな……」
夏美がぽつりとこぼした言葉に、隣にいたアイザックが顔を上げる。
「確かにそうだな。今のミストリアは治安が悪いからあまりお前を外に出したくなかったが……帰ったら連れて行ってやる」
「本当? ありがと」
「街を見ておくのも勉強になるだろう」
(あ……なんか、嬉しいかも。私、この世界で生きていっていいんだ……)
アイザックが、この先もミストリアで夏美が生きていくことを前提とした言葉だった。ただそれだけのことなのに、嬉しい。
夏美はアイザックに見られないように、海の方を向いて微笑む。するとフィルとともに背後を歩いていたソンジから声が飛ぶ。
「そろそろ人通りが増えてきましたので、みなさんはぐれないようにしてください」
前を見ると、どうやら日本で言うところの商店街のようなところに差し掛かるところだった。両側にたくさんの店が並び、活気に溢れている。
「ん? なんか美味しそうな匂いもする……魚?」
サンマを焼いたような香ばしいにおいがして、ふんふん、とにおいの出どころをして視線を漂わせる。すると向かいから来た人に気がつけず、肩がぶつかってしまいバランスを崩した。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
「はい、こちらこそよそ見していてすみません!」
声をかけてきた男性に謝っていると、アイザックが近づいてくる。しかし夏美はそれを手で小さく牽制し、男性に話しかける。
「あっ、あの! 一つ聞いてもいいですか? この魚のにおいってどこから……」
「ああ、あそこの奥にある緑色の看板の店だよ。朝市で買い付けた鮮度の良い魚を焼いてるんだ。ぜひ行ってみて。俺のおすすめの店さ」
男性は爽やかな笑顔でそう教えてくれる。
「ありがとうございます! 行ってみます!」
夏美は男性にそうお礼を言ってからアイザックに駆け寄った。
「何を話してた?」
「この魚のにおいがするのはどこのお店ですかって聞いたら、おすすめのお店教えてくれた!」
「そうか。魚のにおいにつられて人にぶつかるとは」
「今後、食べ物のお店がある道ではナツミ様の動向に気を付けなくてはなりませんな」
「でも、確かにいい匂いですよね。つられてしまう気持ちは、よくわかりますよ」
ソンジの言葉に、フィルがフォローしてくれる。
「ご迷惑おかけしてすみません……なのですが、あの緑の看板のお店には、後で行きたいです!」
「では、お昼はそちらでいただきましょうか。私もアイザック様も内陸育ちで、あまり魚というのを食べたことがありません。食事に出ても、切り身になっておりますので」
「あっ、そっか……確かに、ミストリアでのご飯で魚ってあまり見たことないかも……」
「お前は島国出身だと言っていたな。魚はよく食べたのか」
「そうだね……だからつい、においにつられちゃって……」
そう夏美が言うと、アイザックが無言で手を差し出してくる。
「あまりふらふらすると周りにも迷惑だ。つかまっておけ」
「……うん、ありがとう」
アイザックの不器用な優しさを感じて少し照れ臭くなる。それはアイザックも同じだったようで、そっぽを向いていた。その様子を見ているソンジとフィルがにやにやしているのはわかりつつ、アイザックと手がつなげるのはうれしいので、夏美はためらうことなくその手を取った。
「もう少しいろんなものを見てから、さっきの店に入ろう。それまで自由行動で。お前は俺と一緒に来い」
「はーい」
行動が限定されたとしてもアイザックとならうれしい。フィルとソンジは一緒に行動するようで、二人は「お幸せに~」などと茶化しながらどこかへ消えていった。
「気になるものがあったら言え」
「うん」
道を歩きながら、両側の露店を見て回る。
「あっ、これ香油? 虫除けの……」
「気になるかい? 試しにつけてみな」
お店の人が夏美に気付いてくれ、店頭に置いてあったサンプル用の小瓶を手渡してくれる。小瓶のゴム栓を見て、こんなところにも使われているんだなぁと思いつつ、においを嗅いでみる。
「わっ、すごくいい匂い……アイザックも嗅いでみて」
「……確かに、すっとするにおいだ」
アイザックも気に入ったようで手の甲を差し出してきたので、夏美は自分のとアイザックのに小瓶の香油を数滴たらす。
「肌についてもスースーして気持ちいいね。夏はかなりいいかも」
「この香油を外国に輸出したら、そこで虫を媒介する病気がぐんと減ったらしいんだ。あくまでも噂だけどな。でも、つけていて本当に効果があるって実感するよ」
「へぇ、すごい……!」
「こっちに売ってるこのシャツ、綿花でできてるんだ。暑い夜はこれを着て、この香油をたらして眠る。そうすると、寝苦しさがなくて快適に過ごせるんだ」
「ほう……」
「これ、私の国にもあったんだよ。綿花100%で作られてるシャツ! すごく気持ちいいの!」
夏美はアイザックにコットン100%のよさを伝えたくて、つい店員目線になってしまう。
「肌触りもいいし、汗も吸収してくれて、すごくいいですよね!」
「ああ。ねぇ君、うちの店員になるかい? たくさん売ってくれそうだ」
店員が夏美にそう声をかけると、アイザックが素早く財布からお金を出して店員に手渡した。
「これとこれをくれ」
「おう、ごめんよ兄ちゃん。あんたの恋人をナンパしたわけじゃないんだ。気を悪くしたらごめんな」
店員のお兄さんがからっと笑い、アイザックは何とも言えない顔をしている。
(ナハルでしかこんなの見られないよね!? 陽キャな人に絡まれてるアイザックなんて……)
笑ってしまいそうになりながら、なんとか笑顔のまま店員さんにお礼を言う。
「ナハルの人って、みんなすごくフレンドリーだね」
会計を済ませ、店を離れたところで夏美がアイザックに言う。
「そうだな。ラシード王子曰く、天気がよい日が多く国民たちもみんな太陽のように明るい、だそうだ」
「わかる」
そういえば、と思い会計時に離れてしまった手を、夏美からもう一度触れてみる。
「ミストリアの国民性は真面目で堅苦しく、物静か、らしいが……」
「ナハルとは真逆だね!?」
「ああ。だから南方貿易反対派は文化的ななじみがないと言っていたのだろう。だが、俺はこの感じ、嫌いではない」
「えっ、なんか意外……かも」
アイザックのことだから、ナハルのような正反対な気質には少し身構えているものかと思った。
「嫌いだったら、お前のことも遠ざけていたと思わないか」
笑い半分、あきれ半分でアイザックが言う。
「それは、確かにそうかも……?」
「ナハルの人間がこれだけ明るく生きられているのは、政治がいい循環を生んでいる証拠でもあると思っている。天気がいいだけでこれほど陽気になれるわけがない」
「なるほど……」
アイザックらしい視点に感心する。
(やっぱり、アイザックはなんだかんだ言うけどきっと政治のお仕事は向いてるんだろうなぁ)
それから少し時間をつぶし、お昼ご飯を食べに緑の看板の店へと向かった。




