第16話
「うわ~~~~!!! すごい、本当に海だ!!」
夏美は馬車の窓から見えるナハルの海に、思わず声を上げた。青い大海原、きらきらと水面に太陽が反射して眩しい。雲一つない青空と、遠くまで見通せる水平線、今見ているものがまるで絵のように美しくて、夏美の心は高揚していた。
「あまり顔を出すな、落ちるぞ」
「大丈夫! あ~……最高、この感じ久しぶり……潮の匂いがする……ほら、わかる? アイザックも──」
隣に座っているアイザックのほうを振り向くと、思いの外優しい眼差しを向けられていて言葉に詰まる。
「久しぶり、か。お前の故郷は、海があったのか?」
「うん、島国だったから」
「そうか。なら海を満喫するといい。ナハルの首都は、どこにいても海が見えるらしいからな」
「そうですよ、今回滞在中に泊めていただける王城も、海の目の前に建っていて、とても眺めが良いと聞いております」
「楽しみですね、ナハル」
同行しているソンジやフィルもそれぞれ、窓から入ってくる潮風を受けて期待が高まっているようだった。
(いい旅に、なるといいな。成果も出して、楽しく過ごして……)
夏美はそんな期待を密かに抱くのだった。
首都は緑の多い、まるでオアシスにある街のようだった。道も広く、沢山の人達が行き来していて、活気がある。おおらかで笑顔の多い街の人達の様子には、アイザックもどこか思うところがあるようで、しばしば観察していた。
そんな首都の端にある王城の一角、大広間の前まで来ていた。
(こっちの文化は勉強したし、ちゃんと準備もしてきた。大丈夫……なはず! でも、やばい、緊張しちゃう……!)
アイザックたちと一緒に正装に着替え、ここまで来るまでは良かった。しかし、異国の人と正式な場での挨拶はさすがの夏美でも緊張してしまう。
(女は度胸!! 女は度胸!!!!!)
心臓をバクバクさせながら入場のタイミングを待っている夏美の顔を、隣にいたアイザックが覗き込んでくる。
「な、何!?」
「緊張しているのか?」
「当たり前でしょ! こんなの、人生でそうそうないんだから……」
(前の世界だったら絶対ありえないシチュエーションだもんな……)
「そうか。お前も緊張するのか。いいものを見た」
アイザックがふん、と口角を上げて笑う。
(こんなときにからかう余裕があるなんて……!)
普段の夏美はそんなことすっかり忘れているだろうが、なんだかんだアイザックは第二王子である。こういう公式の場には慣れているのだろう。
(こんなときまで顔がいいの……ちょっと腹立つ)
頬はすっかり熱を持っているのに、内心で毒づくしか仕返しの方法がない。
「みなさまお揃いですね」
ナハルの貿易担当者の人が聞いてきて、いよいよ扉が開く。
(もうやるしかない!)
大広間は床から天井まで窓が切り取られていて、海が全面に見える。そのおかげか開放感があり、ミストリアの広間よりも広く見えた。天井も高く、ナハルの大きな国旗が天井から吊り下げられている。
「わ……すごい……」
アイザックとともに、部屋の中央で待ってくれているナハルの人たちと対面する。
「はじめまして、ようこそナハル王国へ!」
見た目からおそらく王族の男性と思われる方が、優しい笑顔で切り出した。それからすぐに、隣にいた女性たちが前に出てくる。
(来た!)
夏美もそれに従って前に進み出て、ソンジが手渡してくれた香油の瓶を手に持つ。
ナハルでは、女性同士が初対面の相手を歓迎するとき、相手の髪や手首に香油を少しつけ、薄布の飾り紐を贈る慣習があるのだ。
「お名前は?」
「夏美、と言います」
「ナツミ、とても素敵なお名前ですね。あなたの今回の旅が、素敵なものになりますように」
香油を少し手首に垂らしてくれ、夏美はその香油をそっと手首同士をこすりあわせて広げる。すると体温で蒸発した香油がふわりと広がり、甘い花の香りが鼻に届いた。
「わ……とってもいい香りがします。あなたのお名前も、聞いていいですか?」
「ええ。サミラです。この人の妻よ」
夏美は緊張で震える手をなんとか香油の瓶をサミラに見せる。するとサミラは少し驚いた表情でナハルの男性の方を振り返った。
「おお、ナツミさん、ナハルの文化を勉強してきてくれたのですか?」
「あ、はい、少しだけ……」
「申し遅れました、私はこの国の第一王子、ラシード・ナハル、通商を預かる身です。みなさま、よろしくお願いします」
「こちらも申し遅れました、ミストリア王国第二王子、アイザック・アルセンブルグです。その執事のソンジ・エルウィックと、客人で服の仕立て屋をしているフィル・アクロイドです」
(えっ!? アイザックもソンジさんも、苗字あったんだ……いや、そりゃそうか、でも知らなかったよ……!)
ここにきて衝撃の事実を知るが、そんなことは今はどうでもいい。思い残すのは自分のことを苗字付きで紹介できなかったことだけ。
「さっきサミラも驚いていましたが、ナツミさんが我が国の文化を知っていてくれたことに驚きました」
ラシードがアイザックたちと握手を交わしながら言う。
「ナツミさん、さっきの続きをお願い。私の手首にも、あなたの香油をつけて」
「はい!」
夏美はこの日のために城に出入りする商人から取り寄せてもらった香油を取り出す。ミストリアでは香油の文化がほとんどなく、これも国内少数の作り手から買い取ったものだった。
サミラが差し出してきた手首に香油を数滴垂らすと、サミラは美しい所作でその香油を手首同士をすり合わせて広げた。
「あら、すごくいい香り……これは、ミストリアの花で作ったの?」
「そうみたいです。ミストリアの北の方で取れるお花で作ったと聞きました、とってもいい香りですよね! 私もこの香り、もう試しに嗅いだだけで一目惚れ? っていうか一嗅ぎ惚れ? っていうか──」
「その話は夜のパーティーのときにどうだ」
話し始めたら止まらない夏美に、アイザックが声をかける。夏美はこの場が初対面の場であることをすっかり忘れてしまっていて、はっと自我を取り戻す。
「あっ、すみません、あとでお話したいです!」
「ええ、私も。ナハルではね、香りを交わした相手はもう客人ではなく、友人の始まりなの。あとでたっぷりお話しましょうね! あなたとは気が合いそうだもの」
「はい……!」
サミラの魅惑的な笑顔に、女性ながら胸がときめく思いがした。
(やだ、サミラさん素敵すぎる……!)
それから改めてアイザックから今回の招待への礼を伝え、今回南方3国が輸出したいと希望している品目を実際に展示場で見ることとなった。
「こちらへどうぞ」
ラシードに案内された展示場には、一覧表で見た品たちが整然と並んでいる。そしてサルヴァナとミナトラの貿易担当の役人のような人たちもそれぞれのテーブルで待機してくれている。
「どこからでも好きにご覧ください。係の者が説明いたしますから」
ラシードにそう言われて、アイザックがこちらを振り返った。
「品目が多いから、少し手分けして後で感想を持ち寄ろう。国別に分けるか?」
「そうですな、それがいいかもしれません」
アイザックの相談に、ソンジが頷く。
「だったら、私はサルヴァナがいいですね。この国の中では、一番行った回数が少ないから」
フィルがそう言うので、夏美もここに便乗する。
「あ、私は……その、ナハルの文化が知りたいから、ナハルがいい!」
(本当はコンドームの原料になりそうな樹液が見たいから、とは絶対に言えない……)
本音と建前、とちょっと近くて遠いような言葉で自分を誤魔化しておく。
「ソンジはどうする。俺はどこでもいい」
「そうですか……では……私もナハルを見てみたいですなぁ」
夏美一人では不安だろうと思ったのか、ソンジが気を利かせてくれた。夏美は内心感謝する。
「なら俺がミナトラのものを見てこよう」
「自分の担当のものを見終わったら、適宜好きなところへ合流してもいいですか?」
「ああ、もちろんだ」
フィルもおそらく夏美とソンジの企みに気づいているのだろう。あっ、と思った夏美に、フィルが口角だけで微笑んでくれる。
「では、また後ほど」
ソンジのその言葉で解散し、夏美とソンジは二人でナハルの輸出可能品目が並ぶテーブルへと向かう。
「ナハルは樹液以外に、何かめぼしいものはございますか?」
「うーん、そうですね……でも、香油は試したいなぁ……ミストリアにも、香油の文化は馴染みますかね?」
「どうでしょうな……ナツミ様の祖国ではいかがでしたか?」
「そういえば……私の国では香水って言ってたんですけど、それなりに馴染んでましたよ! 女性からふわっといい香りがするとキュンとするって男性も多かったですし、逆に男性でも体臭を隠すためとか、単純におしゃれでいいにおいでいたいって人もいて……」
「なるほど、おしゃれと捉えられているのですね。おそらくナハルや周辺国も、香油は病気除け……つまり、蚊が病気を媒介するので、その虫除けとして使っていることが多いかと」
「あ、そうなんですね! 売り出し方にもよりますね……」
そう言いつつ、ナハルのテーブルについたので並んでいる品物の話題に移る。
「お、さっそく樹液がありますね」
「えっ!? こんな感じなんですか!?」
テーブルに置かれているのは乳白色の塊。真っ白でもなく、確かに多少木の皮などもまじっていて、有り体に言えば少し汚い。
「こちらはラナの木の樹液です。触ってみますか?」
「い、いいですか……?」
近くに立っていたナハルの職員らしき人が笑顔で差し出してくるので、夏美はいかにも触ってみたかったですという笑顔を作ってそれを受け取る。
「え……なんか、思ってたより硬いかも……しかもなんか、ねたねたする!」
「しかも少しにおいますな……」
「これ、どうやって加工するんですか? 硬いですよね? このままは使えないってことですか?」
どうにかここからコンドームをイメージしたくて、質問に質問を重ねる。
「これは木から落ちてくる樹液をそのまま固めたものなので、加工するにはこれを熱して、柔らかくする薬品を入れる必要があります」
「薬品……!」
(なるほど? 確かになんとなくこれを熱すれば伸びそうな感じがある。そこにさらに薬品も入れるんだ……)
前世でコンドームの作り方など知ることもなかったので、ここで知識を入れていくしかない。
「こちらが、ラナの樹液を使った小瓶の栓です」
紹介された小瓶の栓は、コルクではなかった。乳白色の樹脂を丸く固めたもので、指で押すとわずかに沈み、すぐに元の形へ戻る。
(えっ!? もうこれ、ゴムじゃん! これゴム栓だよね!?)
「ほほう、これは便利ですなぁ」
ソンジは感激したように小瓶を手にとって、しげしげと眺めている。
「これのおかげで液漏れせずに液状のものを輸送できるので、重宝しています」
「かなり生産量はあるのですか?」
「ええ。ラナの木はナハルの南部に多く群生しており、今は植林もして大量生産を行っています」
「なるほど。これでかさばらない袋を作ることはできますかな? 大事なものを入れるための」
「布に厚く塗り込めば、簡易の防水袋にはなります。ただ、折り目から割れやすいので、柔らかい袋には向きません。弾薬などはこの防水袋で持ち運ぶと、戦場で濡れても乾かす手間がないと聞きます」
熱心に説明してくれるナハルの職員のくすみのない眼差しに、なんだか妙な罪悪感が募る。
(ごめんなさい、たぶんその袋じゃないんです……ソンジさんが聞いてるのは、イチモツを入れるための……)
いや、むしろそういうことを考えている自分が邪悪で、本当にソンジは弾薬のことを聞いているのかもしれないという葛藤が芽生えてくる。
(いやいやいや、今それどころじゃないから!)
頭を振って気持ちを切り替え、ナハルの職員さんへの質問を再開する。
「あの……これを、薄く伸ばす技術はありますか?」
「薄く、というと? どのくらいを想定されていますか?」
「0.01ミリ……あっ、いや、えっとこの世界の単位を知らないんですけど、できれば羊皮紙くらいには……」
「羊皮紙ですか!? それは……かなり難しいかもしれません。そこまでの薄さは誰も試したことがありませんし、おそらく時間が経つと割れてしまうかと……」
「そっか……」
(ある程度厚みのあるものならできるけど、薄いと割れちゃうんだ……これは改良しなきゃいけないよね)
「でも、なんかとても使えそうです! ね、ソンジさん」
「ええ。活用のしがいがありそうですね。汎用性も高いですし」
(あとでアイザックにどうプレゼンしようか、考えておかないと……)
「ほかのものも見られますか?」
職員さんに案内され、樹液以外の品目も見ていく。
「これは……木材ですか? あっ、すごくいい香り! ちょっとなんていうか桐箪笥みたいな……」
「桐箪笥……ですか?」
「はい、私の国にあったタンス……クローゼットに使う木みたいなにおいがします」
「これは防虫効果があるので、衣装棚を作ることが多いですね。服を虫が食うのを避けられます」
(えっ! すごい、桐箪笥と同じ……!)
夏美は自分の成人式のときに来た振袖を、祖母が大切に桐箪笥にしまってくれたのを思い出す。確か桐箪笥は虫がつきにくいから大事なものをしまうのだと話してくれたはず。
「そしてこちらは結構おすすめなのですが、月灯油と言います。今主に流通しているのはおそらく蝋燭だと思いますが、こちらの油に糸を垂らして火をつけると、普通の蝋燭の10倍の時間持ちます」
「10倍!?」
「はい、しかもうちでは量産体制をとっているので、通常の蝋燭とそれほど変わらない価格でご提供できます」
「それはすごいですね……蝋燭にかかる経費がとても浮きそうです。場所も取りますからね、これは輸入品目決定かもしれませんなぁ」
(職員のお兄さんもなんかノリノリになってきてる……! 国の大事なことだけど、こうやって1つずつ見ていくの、なんだかウインドウショッピングみたいで楽しいなぁ……)
夏美は久しぶりに心に栄養が行き届くような気がした。それからしばらくソンジと二人で見て回る。そろそろすべて見終わるかというところへ、フィルがやってきて声をかけてきた。
「お二人は、めぼしいもの見つけられましたか?」
「お、サルヴァナはいかがでしたかな?」
「ええ、とても有用な時間でした。サルヴァナはやはり森林地帯が国土の多くを占めるので木材が多かったですし、あとは綿花かな。そういえば、以前ザブトン?を作るときにナツミ様は綿がほしいとおっしゃってましたね?」
「はい! そっか、綿花あるんだ……じゃあコットン100%の服とか作れば、汗ばつぐんに吸いますね!」
「綿花を服に……? なるほど、そういう発想もあるのですね。ナツミ様は本当に刺激の多い人だなぁ」
「えへへ、そうですか? じゃあサルヴァナもかなり収穫があったみたいですね!」
「ミナトラもだ」
「へ? あ、アイザック!」
ミナトラ担当だったアイザックもやってきて、話に加わる。
「かなり時間をかけて見ていたようだが、なにかいいものがあったか?」
「うん! かなり……!」
「そうか。ならまたあとで話そう。少し部屋で休憩してから、夕食だ。休憩の際に意見をまとめておこう」
今日の予定は輸出可能品目を実際に見たあと、夕食にお呼ばれするのである。ナハルの王族だけでなく、サルヴァナ、ミナトラの王族たちも出席予定なので、夏美もぎちぎちにこちらのテーブルマナーを叩き込んだのだった。
(今日の第二の難関は、夕食会だ……!)
サミラと仲良くなるためにも、ここは絶対に外せない。
(もう1回、最後にソンジさんに確認しておこう)
不安は解消して、全力で楽しみたい。ラシードたちに声をかけられ、部屋に戻るまでずっと、夏美は頭の中でテーブルマナーの確認を繰り返していた。




