日の出
「…………。」
目が覚めた。
……ん?
俺はゆっくりと目を開ける。
薄暗い部屋。
カーテンの隙間から、ほんの少しだけ光が差し込んでいた。
……朝?
俺は枕元の時計を確認した。
「…………。」
おお。早い。
めっちゃ早い。
普段なら、まだ夢の中にいる時間だ。
……でも。
俺には、どうしてもやりたいことがあった。
コーンスープ。
昨日の夜、飲めなかったコーンスープ。
……一口も飲んでないんだよねぇ。
あの粒入りコーンスープ。
せっかく買ったのに、全部こぼしちゃった。
「…………。」
思い出したら、また悲しくなってきた。
……よし。
飲みに行こう。
俺は隣に目を向けた。
「…………。」
縛が寝ている。
……お?
珍しい。
いつも俺が起きる頃には、縛はもう起きている。
だから、寝顔を見る機会なんてほとんどない。
……初めて見るかも。
俺はそっと顔を近づけた。
「…………。」
……寝てる。
うん。
寝てるねぇ。
まつ毛、長いなぁ。
……へぇ。
寝てる時は、こんな顔してるんだ。
俺はしばらく眺めていた。
……さて。
コーンスープ!
俺は布団から抜け出そうと、ゆっくり身体を起こした。
「……正樹?」
「……っ!」
……え?
俺は動きを止めた。
今、呼ばれた?
……いやいや。
寝てるよね?
俺はそーっと振り返った。
「…………。」
縛は目を閉じている。
……寝てる。
うん。やっぱり気のせいだよなぁ。
うん!
俺は一人で納得すると、再び布団から出ようとした。
その瞬間。
ぐいっ!!
「……っ!?」
身体が後ろへ引っ張られた。
「な、なに!?」
ぼふっ!!
気づけば、俺は布団の中に引き戻されていた。
しかも。
「…………。」
目の前にあるのは――。
胸筋。
そして、少し視線を下げると。
……腹筋。
割れてる。
めっちゃ割れてる。
「…………。」
……え?
俺はゆっくり顔を上げた。
縛が俺を抱き寄せたまま、眠っている。
「……んぅ。」
……寝言?
いや、それより。
……なんで寝てるのに、こんなに色気あるの!?
え!?
ちょっと待って!?
近い近い近い!!
「…………っ!」
俺の心臓が、ものすごい勢いで鳴り始めた。
ドクドクドクドク!!
……落ち着け、俺!!
相手は縛だ!!
いつもの縛!!
……いや、いつもの縛なんだけど!!
「……正樹さん!」
「はいっ!!」
思わず背筋が伸びた。
……え?
起きた!?
「……今日の夜ご飯は、ラーメンですよ。」
「…………。」
「……むにゃ。」
「…………。」
……うん。寝言だ。
完全に寝言だ。
俺は縛の顔を見つめた。
……ていうか。
夢の中ならラーメン許可してくれるんだぁ。
普段は栄養がどうとか、食べすぎがどうとか言うくせに。
……ふふ。
今度言ってみようかな。
「夢の中では許可してくれたよ!」って。
……絶対、覚えてないって言われるな。
俺は小さく笑った。
そして、縛の腕をそっと持ち上げる。
……重い。
なんでこんなに重いの。
「…………。」
よいしょ。
……よいしょ。
ようやく腕の中から抜け出すと、俺は静かにベッドを降りた。
よし!
脱出成功!!
……コーンスープ!!
部屋を出ると、廊下はまだ静かだった。
窓の向こうには、薄い朝焼けが広がっている。
……おお。
日の出だ。
俺はそのまま船の外へ出た。
ひんやりとした空気が頬に触れる。
「……さむ。」
思わず肩をすくめた。
けれど、目の前に広がる景色を見た瞬間、寒さなんて忘れてしまった。
「…………。」
海。
どこまでも続く海。
その向こうから、太陽がゆっくりと顔を出そうとしていた。
……そういえば。
ここ何日も、ずっとバタバタしてたなぁ。
事件が起きて。
誰かが怪我をして。
森に行って。
屋敷に行って。
また事件のことを考えて。
……あれ?
俺、一人でゆっくりする時間、ほとんどなかったんじゃない?
「…………。」
俺はデッキに並んでいるリクライニングチェアの一つに腰を下ろした。
背もたれを倒し、ゆったりと身体を預ける。
波が静かに揺れている。
少しずつ、海の色が変わっていく。
暗い青から、淡い橙色へ。
そして――。
キラキラキラ……。
太陽の光が、海面に反射し始めた。
「…………。」
……すごい。
俺はその光景をじっと見つめた。
「……きれい。」
思わず、声が漏れた。
風が吹く。
俺の髪が、ふわりと揺れた。
「…………。」
何も考えず、ただ海を眺める。
久しぶりに、時間がゆっくり流れているような気がした。
その少し後ろには、いつの間にか縛が立っていた。
縛は何も言わず、朝日に照らされた正樹の後ろ姿を静かに見守っていた。
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必要最低限の家具。
綺麗に整えられたベッド。
机の上には、ほとんど何も置かれていない。
クルーズ船の一室。
そこには、生活感と呼べるものがほとんどなかった。
荷物はすべて、いつでも持ち出せるようにまとめられている。
衣類も。
書類も。
必要な道具も。
決められた場所に収められていた。
……いつでも、この部屋から消えられるように。
それは、小鳥遊が長年の間に身につけた習慣だった。
「…………。」
小鳥遊は机の前に座り、書類を眺めていた。
その時。
『電話ですよ〜!電話ですよ〜!』
突然、部屋に明るい声が響いた。
正樹の声だった。
「……はいはい。」
小鳥遊はiPhoneを手に取った。
「もしもし〜。小鳥遊ですよー。」
『おはようございます。』
電話の向こうから、落ち着いた男性の声が聞こえてきた。
「おはよう。朝早くからどうしたの?」
『尾野家について、少し進展がありまして。』
「……へぇ。」
小鳥遊は椅子に深く腰掛けた。
「それで?」
『以前お話ししていた、尾野雅臣が支援していた施設についてです。』
「……ああ。あれね。」
『現在も調査を続けていますが、まだ施設そのものは発見できていません。』
「……まだ見つからないんだ。」
小鳥遊は小さく息を吐いた。
「結構、時間掛かってるねぇ。」
『申し訳ありません。ただ、場所については、ある程度目星がついています。』
「……ふーん。」
『問題は、施設への出入り方法です。』
「……出入り方法?」
『はい。入口と思われる場所が確認できても、開けるための鍵が分からないんです。』
「……鍵?」
小鳥遊は眉を寄せた。
『以前、その施設で働いていた職員から話を聞くことができました。』
「……ほう。」
『その職員によると、施設に出入りする際、必ず腕時計を身につけていたそうです。』
「……腕時計?」
『はい。通常の腕時計とは少し違うものだったようで、施設の出入りに関係していた可能性があります。』
「…………。」
小鳥遊は机に肘をついた。
「……それならさ。」
『はい?』
「その人に鍵を探してもらえば早いんじゃない?」
『……いえ。それは難しいかと。』
「……なんで?」
『その施設には、まだ稼働しているカプセルが残されている可能性があるんです。』
「…………。」
小鳥遊の表情が変わった。
『当時の職員の証言では、施設が閉鎖された後も、一部の設備は停止されていなかったそうです。』
「……へぇ。」
『もし、その証言が正しければ……。』
電話の向こうで、男性が一度言葉を切った。
『……まだ、生まれていない者がいるかもしれません。』
「…………。」
小鳥遊は目を細めた。
「……あー。」
しばらくして、小さく呟く。
「……そういうこと。」
『はい。ですから、慎重に調査を進めています。』
「……なるほどねぇ。」
小鳥遊は椅子から立ち上がった。
そして、窓の外へ目を向ける。
朝日が海を照らしていた。
その光の中に、一人の青年がいた。
「…………。」
正樹だった。
デッキチェアに身体を預け、海をじっと見つめている。
その少し後ろには、縛の姿もあった。
小鳥遊は二人を眺めた。
『……小鳥遊さん?』
「……ん?」
『今後の調査についてですが……。』
「……うん。」
小鳥遊は静かに答えた。
「分かった。」
『では、引き続き――』
「よろしくね。」
そう言って、電話を切った。
「…………。」
小鳥遊はしばらくiPhoneを見つめた。
そして、もう一度窓の外へ目を向ける。
「……さて。」
小さく呟いた。
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「…………。」
キラキラ。
キラキラ。
海が光っている。
俺はリクライニングチェアに寝そべりながら、じっとその光を眺めていた。
……綺麗だなぁ。
太陽は、もうすっかり海から顔を出している。
さっきまで薄暗かった空も、明るくなっていた。
「…………。」
俺は少しだけ顔を上げた。
その瞬間。
キラッ!!
「……っ!」
海面に反射した光が、まっすぐ俺の目に飛び込んできた。
……まぶしっ!!
俺は思わず目を閉じた。
その時だった。
『お主の目は、もう答えを見ておる。』
「…………。」
……あれ?
頭の中に、麗子さんの言葉が響いた。
『……腕時計。』
『……あの写真の子、誰なんだろう。』
『……おばちゃん?』
『……こう見えて、男性なんですよ。』
「…………。」
次々と、今までの光景が浮かんでくる。
海に漂っていたマネキン。
三本足のカラス。
森の奥にあった祠。
屋敷の隠し部屋。
短い髪の子どもが写った写真。
そして――。
昨夜、廊下で出会った綺麗な人。
「…………。」
……ん?
その瞬間、別の光景が頭に浮かんだ。
クルーズ船に乗り込んだ時。
大勢の乗客で賑わう通路。
『正樹さん、逸れないでくださいね。』
『分かってるって!』
縛と話しながら歩いていた、あの時。
……あれ?
人混みの奥に、誰かいたような。
二人の人影。
一人は背が高く、もう一人は……。
「…………。」
……ん?
次に浮かんだのは、結婚式の会場。
大勢の参列者。
賑やかな笑い声。
『正樹くん、こっちだよ。』
『はーい!』
誰かに呼ばれて振り返った時。
視界の端に、二人の姿が映っていた。
……あれ?
あの横顔。
どこかで……。
さらに、森へ向かう前。
『正樹さん! 走ったら転びますよ!』
『大丈夫だよーー!』
砂浜へ向かって走っていた俺。
その時、木陰に並んで立っていた二人。
風に揺れる髪。
隣に立つ、背の高い男性。
「…………。」
……待って。
そして、昨夜。
『……知佐。』
『……僕は大丈夫ですよ。』
『……こう見えて、男性なんですよ。』
コーンスープをこぼしてしまった、あの綺麗な人。
その隣で、上着を掛けていた男性。
「…………。」
……あ。
俺はゆっくりと目を開けた。
……あの二人。
前にも見てる。
一回じゃない。
二回でもない。
クルーズ船に乗ってから、何度も。
しかも、ほとんど俺たちの近くにいた。
……偶然?
いや。偶然にしては、多すぎない?
「…………。」
……もしかして。
あの二人。
ずっと俺たちの近くにいた?
「…………。」
そして――。
「あーーーーー!!!!!!」
俺は勢いよく上半身を起こした。
「……っ!?」
周囲から、驚いたような声が聞こえた。
「……ん?」
俺は辺りを見回す。
いつの間にか、太陽はすっかり昇っていた。
そして。
「……正樹さん?」
「……ん?」
声の方を見る。
縛がいた。
片手にはコーヒーカップ。
「突然どうしたのですか?」
「……え?」
「急に大きな声を出して。」
「…………。」
……あれ?
いつ来たの?
「そうだぞ、佐伯。」
今度は反対側から声がした。
「突然大きな声を出して。見ろ、結愛が驚いているじゃないか。」
「……ん?」
振り返る。
そこには、サンドイッチを頬張る柊木さんがいた。
その隣には、パンケーキを持ち上げたまま固まっている結愛ちゃん。
「…………。」
「……あらあら。」
真美ちゃんが、困ったように笑っている。
「……え?」
さらに。
「船上では静かにしてくれると嬉しいなぁ。」
「……ん?」
昨日の夜、一緒に廊下へ行った獅鳳くん。
その隣では、道徳と穂乃果が朝食を食べていた。
「…………。」
俺はもう一度、辺りを見回した。
縛。
柊木さん。
真美ちゃん。
結愛ちゃん。
獅鳳くん。
道徳。
穂乃果。
「…………。」
……あれ?
いつの間にか。
……皆いる。
「…………。」
俺は首を傾げた。
……おかしいなぁ。
さっきまで、一人だったはずなんだけど。
「……正樹さん?」
縛がもう一度声を掛けてくる。
「それで、何か分かったのですか?」
「…………。」
俺は縛を見つめた。
そして――。
「……あ。」
「……はい?」
「……コーンスープ。」
「…………。」
縛が目を細めた。
「……まだ飲んでいなかったんですか?」
「……うん。」
「…………。」
「……忘れてた。」
「……正樹さん。」
縛が深いため息を吐いた。
……でも。俺はもう一度、昨夜出会った二人の姿を思い浮かべた。
……あの二人。
一体、何者なんだろう?




