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人類の罪  作者: 華
幸せの形
139/144

コーンスープ

「……おばちゃん?」


獅鳳くんの声が、静かな廊下に響いた。


「…………。」


俺は獅鳳くんを見上げた。


……おばちゃん?


誰のこと?


視線を戻すと、さっきの綺麗な人が廊下の向こうに立っている。


「……獅鳳くん?」


「…………。」


返事がない。


獅鳳くんは、その人を見つめたまま動かなかった。


「……どうしますか?」


縛が小さな声で尋ねる。


「……いや、でも……。」


獅鳳くんは何かを言いかけて、口を閉じた。


……ん?


どうしたんだろう?


「……声、掛けてみる?」


俺が尋ねると、獅鳳くんは眉を寄せた。


「……待ってくれ。ちょっと考えさせて。」


「……うん。」


俺たちは、その場に立ち止まった。


声を掛けるべきなのか。


それとも、もう少し様子を見るべきなのか。


……うーん。


俺にはよく分からない。


その時だった。


コツ、コツ、コツ……。


廊下の反対側から、一人の男性が歩いて来た。


背が高く、がっしりとした体格。


爽やかな雰囲気の男性だった。


その人は、綺麗な人のところまで来ると、優しく声を掛けた。


「知佐。冷えるよ。」


そう言って、自分が持っていた上着をそっと肩に掛ける。


「……ありがとう。」


綺麗な人が微笑んだ。


……知佐?


名前かな?


「…………。」


獅鳳くんが小さく息を呑んだ。


縛も二人の様子をじっと見つめている。


……んー。


どうしようかなぁ。


俺は二人を見比べた。


そして――。


スタスタスタ……。


歩き出した。


「……え?」


後ろから縛の声が聞こえた。


「正樹さん?」


「……正樹くん?」


俺はそのまま歩いて行く。


綺麗な人と男性の横を通り過ぎ、廊下の角を曲がった。


------------------------------------------------


「…………。」


「……縛さん。」


「……はい。」


「正樹くん、どこ行った?」


「……分かりません。」


「…………。」


「…………。」


二人は顔を見合わせた。


------------------------------------------------


「ただいまぁ!」


しばらくして、俺は二人のところへ戻って来た。


両手には、温かい飲み物。


「……正樹さん?」


「はい!」


俺は縛に飲み物を差し出した。


「温かいの!」


「……え?」


「寒いでしょ?」


「……ありがとうございます。」


縛が戸惑いながら受け取る。


「獅鳳くんも!」


「……あ、ありがとう。」


獅鳳くんにも飲み物を渡した。


よし!


……あ。


俺は自分の手を見た。


……ない。


「……あっ、自分のない。」


「……え?」


「もう一回行ってくる!」


「正樹さん、待っ――」


縛が手を伸ばした。


けれど、その手が届く前に、俺は再び歩き出していた。


「…………。」


「……縛さん。」


「……はい。」


「正樹くんって、いつもあんな感じ?」


「……だいたい。」


「……大変だな。」


「……ええ。」


------------------------------------------------


「ふんふふーん♪」


俺は片手に温かいコーンスープを持って、廊下を歩いていた。


……やっぱり寒い時はこれだよねぇ。


しかも、粒入り!


最高!!


紙コップを覗き込むと、黄色いコーンがぷかぷか浮いている。


……ふふ。美味しそう。


そのまま歩いていると、さっきの綺麗な人と男性が見えてきた。


……あ、まだいたんだ。


俺は二人の横を通り過ぎようとした。


その時。


ガッ!


「……え?」


足先が段差に引っ掛かった。


ぐらっ。


……あ。


やばい。


「うわぁぁぁぁ!!」


バシャッ!!


ドサッ!!


「……っ!」


「…………。」


……痛い。


床に倒れたまま顔を上げると、目の前にさっきの綺麗な人がいた。


そして、その人の服には――。


コーンスープ。


「…………。」


……え?


……ええええ!?


「す、すみません!!!大丈夫ですか!?」


俺は慌てて飛び起きた。


「コーンスープが!!服に!!あああ、拭くもの!!」


……ハンカチ!


どこ!?


「正樹さん!!」


後ろから縛が駆け寄って来た。


「大丈夫ですか!?怪我は!?」


「俺は大丈夫!!……って、あっつ!!」


……熱い!!


「服!!熱い!!」


俺は慌てて上着を脱いだ。


……うわぁ。


自分にも掛かってる!!


「正樹さん、腕を見せてください。」


縛が俺の腕を確認する。


「火傷はしていませんか?」


「……たぶん大丈夫!」


「本当に?」


獅鳳くんも心配そうに覗き込んできた。


「うん。ちょっと熱かっただけ。」


「……ならよかった。」


その時だった。


「…………。」


綺麗な人が、獅鳳くんを見た。


一瞬、目を大きく見開く。


けれど、すぐに何事もなかったように微笑んだ。


俺はそんなことにも気づかず、慌てて頭を下げた。


「ご、ごめんなさい!!お姉さん、大丈夫ですか!?」


「……僕は大丈夫ですよ。」


「……え?」


……ぼく?


俺は顔を上げた。


「……ぼ、く?」


「はい。」


綺麗な人が微笑んだ。


「こう見えて、男性なんですよ。」


「……えええ!?」


思わず声が裏返った。


「男の人なんですか!?」


「ええ。」


「すっごく綺麗なので、女の人かと思いました!!」


「…………。」


その人の表情が、一瞬だけ曇った。


……ん?


なんだろう。


少し、痛そうな顔をしたような……。


けれど、すぐに微笑んだ。


「……よく言われます。」


「……そうなんですねぇ。」


……本当に綺麗な人だなぁ。


「正樹さん。」


縛が俺の肩に手を置いた。


「それより、服のことを。」


「……あっ!!」


そうだった!!


「本当にすみません!!服、汚しちゃって……。」


俺はもう一度、深く頭を下げた。


「気にしないでください。少し掛かっただけですから。」


「でも、熱かったですよね!?」


「大丈夫ですよ。」


すると、隣の男性がポケットからハンカチを取り出し、知佐さんに渡した。


「知佐、本当に平気?火傷してない?」


「うん。大丈夫。」


知佐さんはハンカチで服に付いたスープを押さえた。


「……ならいいけど。」


男性は俺にも目を向けた。


「君も怪我してない?」


「はい!大丈夫です!」


「それならよかった。」


……優しい人だぁ。


「……でも、服が。」


俺が申し訳なく思っていると、知佐さんが小さく笑った。


「本当に大丈夫ですから。そんなに気にしないでください。」


「……ありがとうございます。」


……よかったぁ。


縛は床に広がったスープを確認すると、近くの船員に声を掛け、清掃をお願いした。


「……あの。」


その時、獅鳳くんが口を開いた。


「……はい?」


知佐さんが振り返る。


「……どこかで、お会いしたことはありませんか?」


「…………。」


知佐さんは少し考えるように首を傾げた。


「……いいえ。初めてだと思いますが。」


「……そうですか。」


「どなたかとお間違えでは?」


「……いえ。すみません。」


獅鳳くんが小さく首を横に振る。


「よく似た方がいらっしゃるんですね。」


知佐さんは穏やかに微笑んだ。


「…………。」


獅鳳くんは何も答えなかった。


……ん?


なんか、変な空気。


俺は二人を見比べた。


そして――。


「……あっ!!」


全員が俺を見る。


「コーンスープ!!」


「…………。」


「……正樹さん。」


縛が深いため息を吐いた。


「もう、全部こぼれていますよ。」


「……あ。」


床に転がった空っぽの紙コップ。


……俺のコーンスープ。


……一口も飲んでないのにぃ。


「…………。」


悲しい。


「……ふふっ。」


顔を上げると、知佐さんが口元を押さえて笑っていた。


「……面白い方ですね。」


「……え?」


「いえ、何でもありません。」


……ん?


笑われた?


まあ、いっか。


「正樹さん、そろそろ戻りましょう。」


縛が言った。


「……うん。」


「それでは、失礼します。」


縛が二人に頭を下げる。


「本当にごめんなさい!」


俺ももう一度頭を下げた。


「お気になさらず。」


知佐さんが微笑む。


隣の男性も軽く会釈をした。


「おやすみなさい。」


「おやすみなさーい!」


俺は手を振った。


そして、縛と獅鳳くんと一緒に廊下を歩き出した。


------------------------------------------------


「…………。」


しばらく歩いたところで、獅鳳くんが口を開いた。


「……そっくりだった。」


「……え?」


俺が振り返る。


「誰に?」


「……千代子おばちゃんに。」


「…………。」


獅鳳くんは足を止めた。


「遠くから見た時も驚いたけど……近くで見たら、もっと驚いた。」


「……そんなに?」


「ああ。」


獅鳳くんは静かに頷いた。


「……瓜二つだった。」


「…………。」


俺はさっきの綺麗な人を思い出した。


……確かに。


写真の子にも似ていたよね。


「……でも。」


獅鳳くんが呟く。


「千代子おばちゃんは、もう死んでる。」


「…………。」


誰も答えなかった。


静かな廊下に、俺たちの足音だけが響いていた。


------------------------------------------------


「…………。」


三人の姿が廊下の奥へ消えていく。


知佐は、その後ろ姿をじっと見つめていた。


「……知佐?」


隣に立つ男性が声を掛ける。


「……ん?」


「大丈夫?」


「……うん。」


知佐は小さく頷いた。


男性は、三人が消えた廊下に視線を向ける。


「……まさか、もう一人いたとはね。」


「…………。」


「……どうする?」


知佐はしばらく黙っていた。


そして、ゆっくりと口を開いた。


「……とりあえず、様子見。」


「……分かった。」


「……それにしても。」


知佐は小さく息を吐いた。


「本当、そっくりすぎて……。」


その表情から、先ほどまでの穏やかな微笑みが消える。


「……忌々しい。」

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