重なる手
明日と明後日の更新はお休みさせていただきます。
第135話は少し長めになっていますが、ぜひお楽しみください!
皆さんも体調にはお気をつけくださいね〜!(特にインフルエンザ!)
ザッ、ザッ、ザッ……。
俺達は、来た道を引き返していた。
頭上には相変わらず大きな木々が生い茂り、枝葉の隙間から差し込む日差しが、足元をまだらに照らしている。
さっきまで気にならなかった落ち葉の音が、妙に大きく聞こえた。
「……ねぇ、縛。」
「はい?」
「麗子さんって、結局なんだったんだろうね?」
「……なんだった、とは?」
「いや、ほら。急にいなくなったじゃん。」
「そうですね。」
「もしかして、忍者?」
「忍者ですか?」
縛は少しだけ首を傾げた。
「うん!だって、あんなに急に消えたんだよ?」
「確かに、不思議な消え方でしたね。」
「でしょ!?だから、忍者なのかなぁって!」
「そうだと面白いですね。」
「だよね!」
俺が大きく頷くと、後ろから深いため息が聞こえてきた。
「……おい、東雲。」
「はい?」
「お前、少しは否定しろよ。」
柊木さんが呆れたように俺達を見ていた。
「なぜですか?」
「なぜって……。」
「忍者ではないと断言できる証拠もありませんし。」
「…………。」
柊木さんが額に手を当てた。
「……お前も大概だな。」
「そうでしょうか?」
縛は不思議そうに首を傾げた。
……ん?
なんで柊木さん、そんなに呆れてるんだろう?
「でも、忍者だったら狼に乗る必要ないんじゃないですか?」
道徳が笑いながら口を挟んできた。
「……あ。」
確かに。
忍者って、走るの速そうだもんね。
でも……。
「狼の方が速いのかもしれないじゃん!」
「なるほど。」
縛が頷く。
「移動手段としては合理的かもしれませんね。」
「でしょ!?」
「東雲!!」
柊木さんが声を上げた。
「はい?」
「もういい!お前ら二人で好きに話してろ!」
「……?」
……なんで柊木さん、怒ってるんだろう?
俺と縛は顔を見合わせた。
縛は小さく微笑む。
……傍から見たら、真顔だけど。
俺も笑い返した。
……まぁ、いいか。
そんな会話をしながら歩いていると、ようやく森の出口が見えてきた。
木々の向こうには、青い空が広がっている。
遠くから波の音が聞こえ、潮の香りが鼻をくすぐった。
「おおおお!やっと森から抜け出せた!!」
俺は思わず両手を上げた。
「やっと戻って来たぁ!」
目の前には、白い砂浜が広がっている。
太陽の光を反射した海面が、キラキラと輝いていた。
その向こうには、巨大なクルーズ船が停泊している。
……やっぱりデカいなぁ。
何度見ても、あの大きさには驚く。
あんなものが海に浮かんでいるなんて、不思議だよね。
俺がクルーズ船を見上げていると、隣を歩いていた縛が突然足を止めた。
「…………。」
「ん?」
どうしたんだろう?
縛は何も言わず、ゆっくりと後ろを振り返った。
その視線は、俺達が出てきた森の奥へ向けられている。
「……東雲?」
柊木さんも足を止めた。
縛は答えない。
ただ、木々の隙間をじっと見つめている。
……なんだ?
俺も後ろを振り返る。
緑色の葉っぱ。
茶色い木の幹。
風に揺れる草。
……普通の森だけど?
「縛?」
俺が声を掛けた瞬間、縛の目つきが変わった。
「……柊木さん。」
「ああ。」
え?
何?
なんで二人だけ分かってるの!?
柊木さんは小さく頷くと、森の右側へ視線を向けた。
縛は反対側を見ている。
その時だった。
カサッ。
木々の奥で、何かが動いた。
……ん?
人?
一瞬だけ、黒っぽい服を着た人影が見えた気がした。
けれど、すぐに木の陰へ隠れてしまう。
「……誰かいる?」
俺がそう呟くと、縛は俺の肩に手を置いた。
「正樹さん、ここにいてください。」
「え?」
「道徳さん、正樹さんをお願いします。」
「分かりました。」
「ちょ、ちょっと待って!」
俺が止めるより早く、縛は森の中へ駆け出した。
同時に、柊木さんも別の方向から走り始める。
「おい!そっちに回れ!」
「はい!」
二人の姿が、あっという間に木々の間へ消えていった。
「…………。」
……え?
えええええ!?
「ちょっとぉ!?」
俺が後を追おうとすると、道徳に腕を掴まれた。
「先輩、待ってください。」
「でも、縛達が!」
「だからこそ、ここにいてください。」
「……分かってるけど。」
俺は足を止め、森の奥を見つめた。
二人とも、相手がどんな人物か分からないのに追いかけていった。
……大丈夫かな。
「……監視カメラだけじゃなかったんですね。」
道徳が小さく呟いた。
「ん?」
「誰かが、直接僕達の様子を見ていたのかもしれません。」
「…………。」
……そうなの?
俺は再び森を見つめた。
風が吹くたびに木々が揺れ、その奥にあるものを隠してしまう。
もし、本当に誰かが俺達を見ていたのだとしたら。
……いつから?
屋敷に近づいた時?
祠を見つけた時?
それとも……。
もっと前から?
「……ねぇ、道徳。」
「はい?」
「さっきの人、逃げたよね?」
「そうですね。」
「じゃあ、俺達に見つかりたくなかったってことかな?」
「その可能性は高いと思います。」
「……でもさ。」
俺は腕を組んだ。
「俺達が森から出てくるまで、ずっとそこにいたのかな?」
「……え?」
「だって、森って広いじゃん。たまたま同じ場所にいたなら、あんなにすぐ逃げなくてもいいと思うんだよね。」
「…………。」
道徳は少し考え込んだ。
「……確かに。」
「それに、監視カメラがある場所から、俺達が出てくるところまで、結構距離があるでしょ?」
「そうですね。」
「だったら、俺達がどこを通るか知ってたのかなぁって。」
「…………。」
道徳の表情が変わった。
「……先輩。」
「ん?」
「それ、縛さん達が戻ってきたら伝えた方がいいと思います。」
「そう?」
「はい。」
……そっか。
俺はもう一度、森を見つめた。
誰かが、俺達の動きを知っていた。
もしそうなら……。
どうして、わざわざ姿を見せるような場所にいたんだろう?
「…………。」
なんか、変だなぁ。
そう思っていると、隣から小さなため息が聞こえた。
「……はぁ。」
……ん?
獅鳳くん?
俺は振り返った。
獅鳳くんは少し離れたところに立ち、俯いていた。
片手をポケットに入れ、もう片方の手で顎に触れている。
その表情は、いつもの獅鳳くんとは少し違っていた。
……なんだろう。
さっきから、珍しくずっと静かだ。
「獅鳳くん?」
「…………。」
「獅鳳くーん?」
「……え?」
ようやく顔を上げた獅鳳くんは、少し驚いたように俺を見た。
「あ、正樹くん。どうした?」
「それ、こっちのセリフだよ。」
「ん?」
「なんか、さっきから変だよ?」
「……そうか?」
「うん。」
俺は大きく頷いた。
「なんか考え事してる。」
「…………。」
獅鳳くんは、しばらく俺を見つめていた。
それから、困ったように笑う。
「……分かる?」
「分かるよぉ。」
「そっか……。」
そう言うと、獅鳳くんは再び俯いた。
そして、ゆっくりとポケットからiPhoneを取り出す。
画面を操作し、一枚の写真を表示した。
「……実はさ。」
「ん?」
「さっきの祠のことなんだけど。」
「祠?」
「ああ。」
獅鳳くんは画面を俺に向けた。
そこには、苔に覆われた小さな祠が写っていた。
中央には、三本足のカラス。
……あ。
さっき撮ってたやつだ。
「……この祠の模様に、俺、心当たりがある。」
「…………。」
……え?
「えええええ!?」
俺は思わず大声を上げた。
「ちょ、ちょっと待って!本当に!?」
「ああ。」
「どこで見たの!?」
「……昔、家にあった巻物だ。」
……巻物?
「ま、巻物!?」
俺は目を丸くした。
巻物って、あのクルクル巻いてあるやつ?
時代劇とかに出てくる!?
「忍者の巻物!?」
「いや、忍者じゃないけど……。」
「じゃあ、宝の地図!?」
「……正樹くん。」
獅鳳くんが苦笑いを浮かべた。
「ちょっと落ち着こうか。」
「はい。」
俺は背筋を伸ばした。
……危ない危ない。
つい興奮してしまった。
「それで、どんな巻物なの?」
「尾野家に昔から伝わっているものなんだ。」
「へぇ〜。」
「俺も小さい頃に一度見せてもらっただけだから、詳しい内容までは覚えてないんだけど……。」
獅鳳くんは写真を拡大した。
画面いっぱいに、三本足のカラスが映し出される。
「この模様が描かれていたんだよ。」
「…………。」
……同じ模様?
「本当に?」
「ああ。多分、間違いない。」
獅鳳くんは少し考えるように目を伏せた。
「確か、双子に関する伝承だったと思う。」
「……双子?」
「ああ。」
……双子?
俺は思わず獅鳳くんを見つめた。
「どんな話なの?」
「それが、詳しい内容までは覚えてないんだよ。」
「えええ!?」
「仕方ないだろ。小さかったんだから。」
「そ、それはそうだけどぉ!」
俺は頭を抱えた。
……惜しい!
めっちゃ重要そうなのに!
「ただ、巻物にこのカラスが描かれていたのは覚えてる。」
「なんで?」
「……気味が悪かったから。」
「気味が悪い?」
「ああ。普通のカラスと違って、足が三本もあったからさ。」
獅鳳くんはそう言うと、画面を消した。
「当時は、変な鳥だなって思っただけだったんだけど……。」
「…………。」
「まさか、あんな場所で見るとは思わなかった。」
俺は腕を組んで考えた。
……三本足のカラス。
鈴鳴りダム。
麗子さんのネームタグ。
そして、尾野家の祠。
さらに、巻物。
…………。
ん〜。
なんだこれ?
全然分からん。
「その巻物、今もあるの?」
俺が尋ねると、獅鳳くんは頷いた。
「あると思う。」
「おお!」
「ただ……。」
「ん?」
「屋敷に置いてあるんだよ。」
「…………。」
……屋敷?
俺はゆっくりと森の向こうを振り返った。
あの屋敷。
警察の人達が調べている、あの屋敷。
地下から血痕や腸が見つかった、あの屋敷。
そして……。
監視カメラが大量に設置されている、あの屋敷。
「…………。」
……うん。
嫌な予感しかしない。
「他の場所にはないの?」
「ないと思う。代々、屋敷で保管されているはずだから。」
「……じゃあ、あの祠は?」
「え?」
「巻物が屋敷にあるなら、祠も尾野家のものってことだよね?」
「……多分、そうだと思う。」
「だったらさ、なんで森の中にあるんだろう?」
「…………。」
獅鳳くんが口を閉じた。
「屋敷の中とか、庭とかじゃなくて、あんなに離れた場所にあるのって、何か理由があるのかなぁって。」
「……それは。」
獅鳳くんは考え込んだ。
「……分からない。」
「そっか。」
俺は再び写真を見つめた。
小さな祠。
三本足のカラス。
そして、監視カメラ。
……なんか、全部繋がってる気がするんだよね。
でも、まだ何か足りない。
「……巻物、見てみたいね。」
俺がそう言うと、獅鳳くんは小さく頷いた。
「ああ。俺もそう思ってる。」
その時だった。
ザザッ!
森の奥から、勢いよく人影が飛び出してきた。
「うわあああ!?」
俺は思わず道徳の後ろに隠れた。
「……正樹さん?」
……ん?
その声。
「縛!?」
目の前に立っていたのは、縛だった。
少し遅れて、柊木さんも森から出てくる。
二人とも、さっきより少し息が上がっていた。
「……見失いました。」
縛が悔しそうに呟いた。
「え?」
「途中までは追えたんですが、木々の間で姿が見えなくなりました。」
「こっちもだ。」
柊木さんが額の汗を拭いながら言った。
「足は速かったな。地形を知っているような動きだった。」
「……地形?」
「ああ。こっちは枝や根を避けながら走ってたのに、向こうは迷いなく進んでいた。」
「…………。」
……やっぱり。
「ねぇ、縛。」
「はい?」
「その人、俺達が森から出てくること、知ってたのかな?」
「……どういうことですか?」
俺は、さっき道徳と話したことを説明した。
森の中には監視カメラがあること。
俺達が森から出てくるまで、誰かが近くにいたこと。
そして、見つかった瞬間に逃げ出したこと。
「……偶然にしては、変だと思うんだよね。」
俺がそう言うと、縛は少し考え込んだ。
「……確かに。」
「でしょ?」
「僕達の移動を把握していた可能性はありますね。」
「……だよね。」
縛は森の奥へ視線を向けた。
「ただ、なぜ姿を見せるような場所にいたのかは分かりません。」
「うん。そこが気になる。」
「……そうですね。」
柊木さんも腕を組んだ。
「見張っていたのか、それとも……。」
そこで言葉を止める。
「……まぁ、今は考えても仕方ないな。」
縛が頷いた。
「それより、何か話していましたか?」
「あ、そうそう!」
俺は獅鳳くんの方を向いた。
「獅鳳くんが、すごいこと思い出したんだよ!」
「……すごいこと?」
「うん!」
獅鳳くんはiPhoneを取り出した。
「実は、さっきの祠の模様なんですけど……。」
そこから、獅鳳くんは俺達に話した内容をもう一度説明した。
尾野家に伝わる巻物。
双子に関する伝承。
そして、巻物に描かれていた三本足のカラス。
縛は一度も口を挟まず、静かに聞いていた。
柊木さんも腕を組み、獅鳳くんの話に耳を傾けている。
「……なるほど。」
説明が終わると、縛は小さく頷いた。
「その巻物は、今も屋敷にあるんですね?」
「はい。多分ですけど。」
「保管場所は分かりますか?」
「昔は書庫に置いてあったはずです。ただ、今も同じ場所にあるかは……。」
「分かりました。」
縛は少し考え込むように視線を落とした。
そして――。
「今夜、確かめに行きましょう。」
「…………。」
……ん?
今夜?
「え?」
俺が聞き返すと、縛は何事もなかったように頷いた。
「夜なら、昼間より人目を避けて動けます。」
「ちょ、ちょっと待って!」
「なんですか?」
「今夜って、今日の夜!?」
「はい。」
「…………。」
……早くない!?
俺が口を開こうとした瞬間、縛はポケットに手を入れた。
そして――。
スッ。
小さな懐中電灯を取り出した。
「…………。」
……ん?
懐中電灯?
俺はその手元をじっと見つめた。
黒い、小型の懐中電灯。
縛は何気ない様子でスイッチを押した。
パッ。
白い光が地面を照らす。
「これがあれば、暗い場所でも問題ありません。」
「…………。」
……おい。
俺はゆっくりと縛の顔を見上げた。
「……縛。」
「はい?」
「それ、いつから持ってたの?」
「出発する前からですよ。」
「…………。」
……出発する前?
俺は懐中電灯を見つめる。
そして、縛を見る。
もう一度、懐中電灯。
…………。
さては。
前から潜入するつもりだったなぁ!?
「……縛。」
「なんですか?」
「最初から屋敷に行くつもりだったでしょ。」
「…………。」
縛はにっこりと笑った。
……あ。
これ、図星だ。
「念のため、準備しておきました。」
「否定しないの!?」
「正樹さんが必要だと言うかもしれませんから。」
「…………。」
……俺のせい!?
「おい、東雲。」
柊木さんが呆れたように口を開いた。
「お前、佐伯を理由にするな。」
「そんなつもりはありませんよ。」
「だったら、最初から自分が行くつもりだったって言え。」
「……そうですね。」
縛は小さく笑った。
……やっぱり!
俺は思わず頬を膨らませた。
「ずるい!」
「すみません。」
縛は笑いながら俺の頭を撫でた。
「でも、正樹さんも気になっているでしょう?」
「……うん。」
「なら、一緒に確かめましょう。」
「…………。」
……まぁ、そうだね。
俺は頷いた。
「うん!」
その時だった。
「……ところで。」
小鳥遊さんが、突然口を開いた。
俺達は一斉に振り返る。
小鳥遊さんは腕を組んだまま、獅鳳くんを見ていた。
「腕時計の確認は大丈夫なの?」
「…………。」
……ん?
腕時計?
「…………。」
あ。
「ああああああ!!」
俺は思わず叫んだ。
「そうだった!!」
縛がゆっくりとこちらを見る。
「……正樹さん。」
「はい。」
「腕時計のことですね。」
「うん!すっかり忘れてた!」
「色々ありましたからね。」
縛は小さく笑った。
「あとで確認しましょう。」
「……うん!」
「……おい。」
柊木さんが口を開いた。
「東雲。」
「はい?」
「お前、甘やかしすぎじゃないか?」
「そうでしょうか?」
「……もういい。」
柊木さんは大きくため息を吐いた。
……ん?
また呆れてる。
「腕時計を確認する必要があるなら、病院にも行かなきゃいけないね。」
道徳がそう言った。
「そうですね。」
縛が頷く。
「ただ、屋敷の件もありますし……。」
「……二手に分かれるか。」
柊木さんが口を開いた。
「え?」
俺が顔を上げると、柊木さんは全員を見渡した。
「全員で同じ場所に行く必要はないだろ。」
「確かに。」
小鳥遊さんも頷く。
「病院には、私も行った方がいいね。」
「じゃあ、俺も病院に行きます。」
獅鳳くんが言った。
「凰真の様子も気になりますし。」
「そうだな。」
柊木さんは頷くと、縛の方を向いた。
「東雲、お前は屋敷に行くんだろ?」
「はい。」
「なら、佐伯と道徳を連れていけ。」
「……え?」
俺は思わず顔を上げた。
……俺も!?
「ちょ、ちょっと待って!」
「なんだ?」
「俺、病院でもいいんじゃない!?」
「……佐伯。」
柊木さんがじっと俺を見た。
「お前、屋敷が気になるんだろ?」
「……うん。」
「だったら、行ってこい。」
「…………。」
……あれ?
意外とあっさり。
「ただし、勝手な行動はするなよ。」
「はーい!」
「……返事だけはいいな。」
柊木さんが呆れたように笑った。
その横で、縛も微笑んでいる。
「大丈夫ですよ。僕が一緒にいますから。」
「……お前が一番心配なんだよ。」
「そうでしょうか?」
「…………。」
柊木さんは、また頭を抱えた。
……なんでだろう?
こうして、俺達は二手に分かれることになった。
屋敷へ向かうのは、俺と縛と道徳。
病院へ向かうのは、柊木さんと獅鳳くんと小鳥遊さん。
今夜の行動について簡単に確認すると、俺達はクルーズ船へ向かって歩き始めた。
……それにしても。
巻物かぁ。
三本足のカラス。
双子の伝承。
……何か、繋がってるのかな?
俺はもう一度、森を振り返った。
木々の奥は、相変わらず薄暗い。
誰かがこちらを見ているような気がして、思わず足を速める。
「正樹さん?」
「……ん?」
「どうしました?」
「……なんでもない。」
そう答えると、縛が俺の手を握った。
「大丈夫ですよ。」
「…………。」
俺はその手を見つめた。
……うん。
多分、大丈夫。
そう思いながら、俺達はクルーズ船へ戻っていった。
⸻
【柊木正志】
病院へ向かう車の中は、妙に静かだった。
窓の外には、夕方の街並みが流れている。
観光客が歩く通りを抜け、車は病院へと向かっていた。
「…………。」
俺は隣に座る獅鳳を見た。
こいつはさっきから、ずっとスマホを眺めている。
画面に映っているのは、森で撮影した祠の写真だった。
……そんなに気になるのか。
「尾野。」
「……はい?」
「その巻物、本当に見たことあるんだな?」
「はい。」
尾野は頷いた。
「小さい頃ですけど、覚えてます。」
「……そうか。」
俺は腕を組んだ。
尾野家の伝承。
双子。
そして、三本足のカラス。
……偶然にしては、出来すぎている。
「その話、凰真は知ってるのか?」
「……どうでしょう。」
尾野は少し考えた。
「俺と凰真は、子どもの頃から一緒に育ったわけじゃないので。」
「……そうだったな。」
「ただ、あの巻物を見せてもらった時は、俺一人でした。」
「なるほど。」
尾野は再び画面に視線を落とした。
「……今まで、すっかり模様のことを忘れてました。」
「…………。」
「でも、あの模様を見た瞬間に思い出したんです。」
「……そうか。」
俺は窓の外へ目を向けた。
遠くに、病院の建物が見えてくる。
……今夜、何か分かればいいが。
「それより。」
向かい側に座っていた小鳥遊が口を開いた。
「腕時計は持ってきた?」
「あ、はい。」
尾野はポケットから腕時計を取り出した。
「ちゃんとあります。」
「なら良かった。」
小鳥遊はそう言うと、再び窓の外へ視線を向けた。
……こいつも、何か考えているな。
だが、今は聞かないことにした。
やがて車は病院の前に到着した。
俺達は車を降り、正面玄関から建物へ入っていく。
自動ドアが開くと、冷房の効いた空気が肌に触れた。
消毒液の匂い。
行き交う看護師。
受付で話す患者達。
外の騒がしさとは違う、独特の空気が漂っている。
俺達はエレベーターに乗り、凰真のいる階へ向かった。
チーン。
扉が開く。
白い廊下を進んでいくと、少しずつ周囲の人影が減っていった。
「……凰真、大丈夫かな。」
尾野が小さく呟いた。
「目は覚めているんだろ?」
「はい。でも、まだ……。」
言葉を濁す尾野に、俺はそれ以上何も聞かなかった。
凰真は、今回の事件でひどい怪我を負っている。
意識が戻ったとはいえ、すぐに元通りになるわけではない。
……無理もない。
「焦らなくていいよ。」
小鳥遊が穏やかな声で言った。
「今は、身体を回復させることが一番だから。」
「……はい。」
尾野は小さく頷いた。
そして、俺達は病室の前に到着した。
コンコン。
尾野が扉をノックする。
「凰真、入るぞ。」
そう言って、ゆっくりと扉を開けた。
「…………。」
……ん?
病室には、先客がいた。
ベッドの近くに椅子が二つ置かれ、二人の男が座っている。
一人は、日本人らしい男性。
もう一人は、外国人の男性だった。
二人とも俺達に気づき、椅子から立ち上がった。
「……あれ?」
尾野が少し驚いたように声を上げる。
「叔父さん、来てたんですか?」
「ああ。」
日本人の男性が振り返り、穏やかに笑った。
「少し様子を見にね。」
「そうだったんですね。」
尾野は俺達の方を振り返った。
「あ、そういえば、まだ紹介してませんでしたね。」
「……紹介?」
「ああ。こちら、俺の叔父です。」
尾野は男性へ手を向けた。
「父の弟で、尾野家の末っ子なんです。」
「初めまして。」
男性は柔らかく微笑み、俺達に頭を下げた。
「由一・ウィルソンと申します。」
「……ウィルソン?」
俺は思わず聞き返した。
尾野家の人間なのに、外国の苗字なのか?
俺の反応に気づいたのか、由一さんは小さく笑った。
「ええ。結婚して苗字が変わりましてね。」
「……結婚?」
「はい。」
由一さんは隣に立つ男性へ視線を向けた。
「こちら、私の夫です。」
「……夫?」
「ええ。カナダで結婚したんですよ。」
由一さんの隣にいた男性が、一歩前へ出た。
「初めまして。ダニエル・ウィルソンです。」
落ち着いた声でそう言うと、男性はにこやかに頭を下げた。
「由一の夫です。よろしくお願いします。」
「……ああ、なるほど。」
俺は頷いた。
「柊木正志です。こちらは小鳥遊です。」
「小鳥遊です。よろしくお願いします。」
「こちらこそ。」
由一さんは笑顔で答えた。
「カナダでは同性同士でも結婚できますから。僕も夫の苗字を名乗ることにしたんです。」
「そうだったんですね。」
小鳥遊が微笑んだ。
「それにしても、ウィルソンさん。」
俺が声を掛けると、由一さんは顔を上げた。
「はい?」
「日本には、いつ戻られたんですか?」
「少し前ですよ。今回の件があったので、ダニエルと一緒に来たんです。」
「……なるほど。」
俺は頷いた。
由一さんは再びベッドへ視線を向けた。
「それに、凰真のことも心配でしたから。」
ベッドの上では、凰真がこちらを見ていた。
声を出すことはできないが、俺達の姿を確認すると、わずかに目を細めた。
「凰真。」
尾野がベッドへ近づく。
「調子はどうだ?」
凰真は小さく頷いた。
「……そっか。」
尾野は安心したように笑うと、椅子を引き寄せて座った。
俺と小鳥遊も病室へ入る。
「……それで。」
由一さんが口を開いた。
「何か進展はあったのかい?」
「……はい。」
尾野は少し迷った後、俺達の方を見た。
俺は頷く。
「ウィルソンさんにも、事情を話しておいた方がいいだろう。」
「分かりました。」
尾野はポケットから腕時計を取り出した。
「まず、これなんですけど……。」
そこから、今日起きた出来事を説明した。
船員が隠し持っていた腕時計。
その腕時計を確認しようとしたところ、カラスに持っていかれたこと。
カラスを追いかけて、再び尾野家の屋敷付近へ向かったこと。
森の中で、小さな祠を見つけたこと。
そして、その祠に三本足のカラスが刻まれていたこと。
「……三本足のカラス?」
由一さんが眉を寄せた。
「はい。」
尾野はiPhoneを取り出し、写真を見せる。
「この模様です。」
「…………。」
由一さんは画面を覗き込んだ。
その隣にいたダニエルさんも、身を乗り出して写真を見る。
「……なるほど。」
由一さんが小さく頷いた。
「それで、この模様が巻物にも描かれていたんだね?」
「はい。」
「……巻物か。」
由一さんは何かを考えるように、顎に手を当てた。
「僕は、その巻物の話を聞いたことがなかったけどなぁ。」
「そうなんですか!?」
「うん。父さんや兄さんからは、聞いたことがないなぁ。」
そう言って、不思議そうに首を傾げた。
「とりあえず今夜、東雲さん達が屋敷で確認する予定です。」
「そうか。」
由一さんは頷くと、隣のダニエルさんを見た。
二人はしばらく視線を合わせていた。
言葉はない。
けれど、何かを確かめ合っているように見えた。
やがてダニエルさんが小さく頷く。
それを見て、由一さんは再び俺達へ顔を向けた。
「……実は、こちらからも話しておきたいことがあるんだ。」
「……話?」
尾野が首を傾げた。
「ああ。」
由一さんは一度、凰真の方を見た。
それから、少し声を落とす。
「姉さんのことなんだけどね。」
「…………。」
病室の空気が変わった。
俺は腕を組み直し、由一さんを見つめた。
千代子。
尾野家の屋敷で亡くなっていた女性。
その遺体は、すでに発見されている。
「……何か分かったんですか?」
尾野が尋ねた。
由一さんは静かに頷いた。
「姉さんに何かあった時は、僕が対応することになっているんだ。」
「…………。」
「ただ、海外にいたから連絡が遅れてしまってね。獅鳳からの着信に気づいて、ようやく事情を知ったんだ。」
「……そうだったんですね。」
「ああ。それから僕の方で警察に連絡して、一昨日、現場を確認してきたんだよ。」
「……現場?」
「ああ。姉さんが亡くなっていた部屋だよ。」
俺は眉を寄せた。
「……それで?」
「不思議なことにね。」
由一さんはゆっくりと言葉を選んだ。
「部屋には、争った形跡がほとんどなかったんだ。」
「……争った形跡が?」
「ああ。」
由一さんは頷いた。
「家具が倒れていたわけでもない。物が散乱していたわけでもない。誰かと激しく揉み合ったような痕跡も見つからなかった。」
「…………。」
「姉さんは、ベッドの上で亡くなっていた。」
尾野が息を呑んだ。
俺は黙って続きを待った。
「……死因は、首を絞められたことによる窒息死だと聞いている。」
「…………。」
病室が静まり返った。
ベッドの上では、凰真がじっと由一さんを見つめている。
尾野は膝の上で手を握りしめた。
「……それって。」
尾野が口を開いた。
「眠っているところを襲われたってことですか?」
「その可能性はあるね。」
由一さんは頷いた。
「少なくとも、部屋の様子からは、激しく抵抗したようには見えなかった。」
「……そうですか。」
尾野は俯いた。
俺はその横顔を見つめた。
……身内の殺害状況を聞かされるのは、つらいだろうな。
「警察は、どう考えてるんだ?」
俺が尋ねると、由一さんは顔を上げた。
「今のところ、一人による犯行の可能性が高いと考えているようだよ。」
「……一人?」
「ああ。」
「それは、どうしてだ?」
「現場に複数人が関与したと断定できる証拠がないからだそうだ。」
「……なるほど。」
俺は頷いた。
確かに、争った形跡がなく、犯人の痕跡も限られているなら、そう判断するのかもしれない。
……だが。
由一さんの表情が、どこか腑に落ちないように見えた。
「……何か気になることでもあるのか?」
俺がそう尋ねると、由一さんは小さく息を吐いた。
「……実はね。」
その声が、少し低くなる。
「僕は、犯人が二人いたんじゃないかと思っているんだ。」
「…………。」
……二人?
「どういうことだ?」
俺は思わず聞き返した。
尾野も顔を上げる。
小鳥遊は何も言わず、由一さんを見つめていた。
「……理由を聞いてもいいですか?」
尾野が尋ねた。
「ああ。」
由一さんは一度、隣のダニエルさんへ視線を向けた。
ダニエルさんは静かに頷いた。
それを確認すると、由一さんは再び口を開いた。
「姉さんの遺体を確認した時、首に絞められた痕が残っていたんだ。」
「…………。」
「それ自体は、警察の人達も確認していた。」
由一さんは自分の首元に手を当てた。
「……ただね。」
そこで一度、言葉を止める。
「その痕が、少しおかしかったんだ。」
「……おかしい?」
尾野が聞き返す。
「ああ。」
由一さんは頷いた。
「最初に見えたのは、大きな手で首を絞めたような痕だった。」
「…………。」
「ところが、遺体を確認しているうちに、その下から別の痕が浮かび上がってきたように見えたんだ。」
俺は思わず身を乗り出した。
「……別の痕?」
「ああ。」
由一さんは自分の手を見つめた。
そして、ゆっくりと指を開く。
「……もっと小さな手の痕だよ。」
「…………。」
……小さな手?
「ちょっと待ってください。」
尾野が口を開いた。
「それって、大きな手形と小さな手形が、両方あったってことですか?」
「そうだね。」
「……重なっていたんですか?」
「ああ。少なくとも、僕にはそう見えた。」
「…………。」
尾野は言葉を失った。
俺も眉を寄せる。
……どういうことだ?
一人の人間が、両方の痕を残した?
いや。
大きな手と小さな手。
それが同じ首に?
「……警察には伝えたのか?」
俺が尋ねると、由一さんは頷いた。
「もちろん。」
「……それで?」
「最初は、見間違いじゃないかと言われたよ。」
「見間違い?」
「ああ。皮膚の変色や圧迫の痕が重なって、そう見えただけかもしれないってね。」
「…………。」
……確かに。
そういうことも、あるのかもしれない。
「ほかの人にも、気のせいじゃないかと言われたよ。」
由一さんは苦笑いを浮かべた。
「僕も最初は、そう思おうとしたんだ。」
「……でも?」
小鳥遊が静かに尋ねた。
由一さんは、その言葉に頷いた。
「……どうしても、気になってね。」
病室の中に、重たい沈黙が落ちる。
由一さんは自分の手をゆっくりと握りしめた。
「もう一度、よく見たんだ。」
「…………。」
「するとね……。」
由一さんは顔を上げた。
その表情から、先ほどまでの穏やかな笑みが消えていた。
「……小さい手形の方が、少しだけ色が濃かったんだ。」
「…………。」
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
俺は由一さんの言葉を頭の中で繰り返す。
大きな手形。
その下に見えた、小さな手形。
そして、色の違い。
「……つまり。」
俺はゆっくりと口を開いた。
「二人が、別々に首を絞めたってことか?」
由一さんは静かに頷いた。
「……その可能性があると思っている。」
「…………。」
「もちろん、痕の色だけで、人数や順番を断定できるわけじゃない。」
そう言うと、由一さんは一度、隣のダニエルさんを見た。
ダニエルさんは何も言わず、ただその手にそっと触れた。
「……でもね。」
由一さんは、もう一度俺達を見つめた。
「僕には、どうしても一人の犯行には思えないんだ。」
「…………。」
「大きな手と、小さな手。」
由一さんは静かに続けた。
「……姉さんの首には、二人分の痕が残されていたんじゃないかってね。」
誰も答えなかった。
病室には、医療機器の規則正しい電子音だけが響いていた。
ピッ……。
ピッ……。
ピッ……。
俺は腕を組んだまま、じっと床を見つめた。
……犯人が二人。
もし、それが本当なら。
千代子を殺したのは、一体誰なんだ?
そして――。
なぜ、二人で同じ人間の首を絞める必要があったんだ?
ピッ……。
ピッ……。
ピッ……。




