欲望
「……正樹さん。」
んぁ?
「正樹さん、起きてください。」
……?縛?
「正樹さん!」
「う、へぃ!」
ガバッ!!
勢いよく身体を起こすと、目の前には縛がいた。
ちかっ!
「……んあ??」
「ようやく起きましたね。」
「……気持ち良く寝てたのに……。」
「いえ、気絶していましたよ。」
「…………。」
気絶?なんで?
俺は周囲を見回した。
道徳に、獅鳳くん、小鳥遊さん。
少し離れたところには柊木さんもいる。
隅っこには狼もいる。
「…………。」
おー、思い出した。
急に鳥肌が立つ。
「ゆ、幽霊!!!!」
「正樹さん、落ち着いてください!」
俺は慌てて縛にしがみついた。
「まだいる!?ねぇ、まだいる!?」
「……いるそうです。」
「ぎゃああああああ!!!!」
「正樹さん!首が締まっています!」
そんなこと言われても無理だよぉぉぉ!!
「お主、少し静かにせんか。」
麗子さんが呆れたように俺を見た。
「だ、だって!!」
「こやつ、お主に何か伝えたいようじゃぞ。」
「……え?俺?知り合いじゃないのに?」
「幽霊に好かれる体質の部類だろ。ん?どうやら、案内したい場所があるようじゃ。」
「…………。」
案内?誰が?俺に?
「……まさか……幽霊が?」
「そうじゃ。」
「…………。」
俺は恐る恐る足元を見た。
もちろん、何も見えない。
「……どこに?」
麗子さんは再び俺の足元に視線を落とした。
やっぱそこにいるんだ。
そして、何もない空間を目で追うように顔を動かす。
「……ほう。」
「……?」
「そちらか。」
麗子さんは誰かに返事をするように頷くと、突然歩き始めた。
スタスタスタスタスタ……。
「……え?」
スタスタスタスタスタ……。
「ちょ、麗子さん!?」
俺たちを置いて、麗子さんは部屋を出て行ってしまった。
「……どうします?」
道徳が首を傾げる。
「……追いかけるしかないでしょうね。」
縛がため息を吐いた。
「……俺、行かなきゃ駄目?」
「正樹さんが案内されているんですから。」
「……お、俺が……。」
うぅ……。
なんで俺なんだぁぁぁ。
俺たちは麗子さんの後を追って、クルーズの廊下を歩いて行った。
麗子さんは時々立ち止まり、誰もいない場所へ視線を向けては、小さく頷くと再び歩き始めた。
……誰と話してるんだろう。
いや。分かってる。
分かってるけど!!
考えたくない!!
想像もしたくない!!!
「……正樹さん。」
「……なに?」
「そろそろ降りませんか?周りの視線が痛いです。」
ん?縛に言われて見ると、俺はコアラのように縛にしがみついていた。
「……うぉ、ごめん。」
俺は縛から降りる。
…………。
一秒。
二秒。
三秒。
ガシッ!!!
「……やっぱり無理!!」
「……でしょうね。」
縛が諦めたようにため息を吐きながら、俺を抱え直す。
その後ろでは、道徳が笑いを堪えている。
……笑い事じゃないんだからなぁ!!
やがて、麗子さんは船員用の居住区へ入って行った。
それまでの豪華な客室とは違い、廊下は狭く、飾り気も少ない。
同じクルーズ船の中なのに、別の建物に来たみたいだ。
「……ここは。」
獅鳳くんが周囲を見回した。
「船員の部屋がある場所だな。」
「……船員?」
俺は思わず足を止めそうになった。
……そういえば。
さっき、麗子さんが幽霊は鈴木翔太だって言ってたような……。
「……ねぇ、縛。」
「はい。」
「……もしかして、幽霊って今も一緒に歩いてる?」
「……そうなんじゃないですか?」
「…………。」
聞かなきゃよかったぁぁぁ!!
俺は縛に回している腕に力を込める。
「……正樹さん、そろそろ自分で歩きませんか?」
「心では歩いてるよ!!」
「……そうですか。」
縛は諦めたようにため息を吐き、俺を抱え直した。
麗子さんはそんな俺たちを気にすることなく、さらに奥へ進んでいく。
そして、一つの扉の前で足を止めた。
「…………。」
麗子さんは扉を見つめた後、少しだけ横へ顔を向けた。
まるで、隣に立つ誰かの話を聞いているようだった。
「……ここじゃな。」
「…………。」
ここ?
普通の部屋にしか見えないけど……。
その時だった。
「……うっ……ひっく……。」
「……ん?」
扉の向こうから、誰かの泣き声が聞こえてきた。
最初は小さかった。けれど、耳を澄ませると、時折鼻をすする音も混じっている。
「……誰か泣いてる?」
俺が呟くと、縛も耳を澄ませた。
「……そうですね。」
麗子さんが扉を軽く叩いた。
コンコン。
「……はい。」
少し間が空いた。
中から何かが動く音がする。
ガタッ。
そして、ゆっくりと扉が開いた。
顔を出したのは、若い船員だった。
目は真っ赤に腫れ、頬には涙の跡が残っている。
手には、くしゃくしゃになったティッシュが握られていた。
「……なんですか?」
船員は俺たちを見ると、困惑したように眉を寄せた。
「すみませんが、今は一人にしてもらえませんか。」
声がかすれている。
「……今日は、誰とも話したくないんです。」
そう言って扉を閉めようとした。
だが、その時。
「……え?」
船員の視線が、俺たちの後ろにいる獅鳳くんへ向いた。
「し、獅鳳様!?」
「悪いな、突然来て。」
獅鳳くんが一歩前に出た。
「少し話を聞かせてほしい。」
「……話、ですか?」
「ああ。お前と同じ部屋だった鈴木についてだ。」
「…………。」
船員の表情が曇った。
握っていたティッシュが、くしゃりと音を立てる。
「……鈴木のことなら、警察には全部話しました。」
「そうか。」
「……本当に、知っていることは全部です。」
船員は俯いた。
「いつもなら仕事が終われば部屋に戻ってきて……くだらない話をして……。また帰ってくるんじゃないかって、ずっと待ってるんです。」
声が震え始めた。
「……なのに、もう帰ってこないなんて。」
ぽたっ。
涙が床に落ちた。
「……すみません。」
船員は慌てて目元を拭った。
俺は何も言えなかった。
……そっか。
一緒に暮らしていた人が、突然いなくなったんだ。
それも、殺されて。
……つらいよね。
獅鳳くんも少しだけ表情を緩めた。
「……悪いな。」
そして、静かに尋ねた。
「少しだけ、部屋の中を見せてもらってもいいか?」
「……え?」
船員は一瞬ためらったが、その横を麗子さんが構わず通り抜けていった。
「……あっ!」
船員が慌てて振り返る。
「ちょっと、勝手に……!」
「……すまない。少しだけ頼む。」
獅鳳くんが頭を下げると、船員は諦めたように小さく息を吐いた。
「……いいですよ。」
俺たちは部屋の中へ入った。
そこにはベッドが二つ並び、それぞれの近くに机が置かれていた。
片方のベッドは綺麗に整えられている。
枕元には、小さな目覚まし時計。
机の上には、ペンやメモ帳がきちんと並べられていた。
もう片方のベッドは、布団が乱れている。
その近くには、使いかけのティッシュが何枚も落ちていた。
……ルームシェアかぁ。
「……こっちが鈴木のベッドです。」
船員が綺麗に整えられた方を指差した。
「……あいつ、几帳面だったんですよ。」
船員は寂しそうに笑った。
「俺が散らかすと、いつも文句を言ってきて……。」
「…………。」
「……もう、言ってくれないんですけどね。」
その言葉に、胸が少し痛くなった。
……。
もし縛が突然いなくなったら。
…………。
やめよう。
そんなこと、考えたくない。
俺は無意識に縛の服を強く握った。
「……正樹さん?」
「……なんでもない。」
縛は不思議そうに俺を見たが、それ以上は聞いてこなかった。
その時だった。
スタスタスタスタ。
「……ん?」
麗子さんが、突然歩き始めた。
部屋の中央で足を止めると、誰もいない場所をじっと見つめる。
「…………。」
そして、ゆっくりと視線を動かした。
その先にあるのは、船員が使っている方のベッド。
「……ほう。」
麗子さんが小さく呟いた。
「……そこか。」
「……?」
そこ?何が?
麗子さんは何も言わず、ベッドの前でしゃがみ込んだ。
そして、マットレスの下へ手を伸ばした。
「……っ!」
その瞬間、船員の表情が変わった。
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
船員が慌てて駆け寄る。
「そこは俺のベッドです!!勝手に触らないでください!!」
麗子さんの肩を掴み、強引に引き離そうとした。
「……おい。」
獅鳳くんが低い声を出す。
だが、船員は聞いていなかった。
「やめてください!!そこには何もありません!!」
「……何もない?」
縛が静かに聞き返した。
「だったら、そこまで慌てる必要はないのでは?」
「……っ!」
船員の動きが止まる。
一瞬、誰も声を出さなかった。
「……離しておくれ。」
麗子さんが静かに告げた。
船員は唇を噛み、ゆっくりと手を離した。
麗子さんは何事もなかったように、マットレスを持ち上げる。
ガサッ。
「…………。」
その下から現れたものを見て、俺は思わず目を丸くした。
「……え?」
札束。
しかも、一つじゃない。
何束も重なっている。
その横には、折り畳まれた紙もあった。
「……お金?」
思わず声が出た。
……え?
なんでベッドの下にこんなにあるの?
俺が驚いていると、獅鳳くんが一歩前に出た。
「……これはなんだ?」
「…………。」
船員は答えなかった。
ただ、札束をじっと見つめている。
さっきまで涙で赤くなっていた顔が、今は真っ青だった。
「……答えてくれ。」
獅鳳くんがもう一度尋ねる。
「…………。」
船員の唇が、小さく震えた。
「……それ。」
「……?」
「……翔太の机に入っていたんです。」
「……鈴木の?」
「……はい。」
獅鳳くんの眉が寄る。
「なんでお前のベッドにある?」
「…………。」
船員は俯いた。
しばらく沈黙が続いた。
そして――。
「……取りました。」
「……何?」
「……翔太がいない間に、俺が取りました。」
「…………。」
……ん?
取った?
それって……。
盗み?
「……どういうことだ?」
獅鳳くんが尋ねる。
船員は両手を強く握り締めた。
「……凰真様が事件に遭われた日の夜、翔太が何かコソコソしていたんです。」
「……コソコソ?」
「はい。普段はそんなことしない奴なのに、その日は妙に落ち着きがなくて……。」
「…………。」
「気になって、こっそり様子を覗いたんです。」
船員は一度言葉を切った。
「……そしたら、大量のお金があって。」
「…………。」
「最初は、何かの間違いだと思いました。」
「……それで?」
「……それで、翔太が亡くなったと聞いて……。」
船員の声が震える。
「……もう使う人はいないんだから、少しくらい……って。」
「…………。」
「気づいたら、机から全部取っていました。」
部屋が静まり返った。
「……警察には?」
獅鳳くんが尋ねる。
「……言えてません。」
「……そうか。」
獅鳳くんは小さく息を吐いた。
「とりあえず、このことは警察に話そう。」
「……はい。」
船員は力なく頷いた。
その姿を見ていると、なんとも言えない気持ちになった。
……悲しかったのは、本当なんだと思う。
でも、お金も欲しかった。
人間って、難しいなぁ。
「……それと、もう一つ聞きたい。」
獅鳳くんの声が少し低くなった。
「……鈴木が殺されたことには、関わっていないんだな?」
「ち、違います!!」
船員は勢いよく顔を上げた。
「そんなわけないです!!」
「…………。」
「確かにお金には目がくらみました!!でも、俺は持ち場を離れていません!!」
「……持ち場?」
「はい!!その時間は勤務中でした!!他の船員も一緒にいました!!」
「…………。」
「翔太を殺す理由なんてありません!!」
船員の目から、再び涙が溢れた。
「……本当です。」
獅鳳くんはしばらく船員を見つめていた。
やがて、小さく頷く。
「……分かった。そこは警察に確認してもらおう。」
「……はい。」
獅鳳くんは札束の横に置かれた紙へ視線を落とした。
「……じゃあ、この手紙は?」
「…………。」
「なんでこれまで持っていった?」
船員は唇を噛んだ。
「……その手紙に、お金の取引みたいなことが書かれていて……。」
「取引?」
「……もし見つかったら、お金も取り上げられると思って……。」
「……ほう。」
獅鳳くんは折り畳まれた紙を開いた。
カサッ。
「…………。」
獅鳳くんの目が、文字を追っていく。
最初は何気なく読んでいたようだった。
だが、途中でその表情が変わった。
「……なんだ、これ。」
「……獅鳳くん?」
俺が声を掛けると、獅鳳くんは返事をせず、もう一度最初から読み直した。
「……腕時計?」
「え?」
思わず声が出た。
腕時計?
なんで、ここでその言葉が出てくるんだ?
「……誰にも知られずに、腕時計を届けろと書かれている。」
獅鳳くんが低い声で言った。
「……届ける?」
縛が反応した。
「誰に届けるんですか?」
「……そこまでは書かれていない。」
獅鳳くんは手紙を見つめたまま答えた。
「ただ、詳しいことはいつも通りの場所で話す、と。」
「……いつも通りの場所?」
道徳が眉を寄せる。
「それって、鈴木さんと手紙の送り主が、前から会っていたってことですかね?」
「……その可能性はありますね。」
縛が頷いた。
「それに、誰にも知られずに届ける必要があるということは、何か隠したい事情があったのでしょう。」
「…………。」
俺は二人の会話を聞きながら、首を傾げた。
……腕時計。
誰にも知られずに届ける。
……あれ?
腕時計って……。
「……ねぇ。」
「なんですか、正樹さん?」
「……凰真くんが持ってた腕時計?」
「…………。」
縛が俺を見た。
獅鳳くんも顔を上げる。
「……そうだ。」
獅鳳くんが静かに答えた。
「凰真が事件に巻き込まれた時、関係していた腕時計だ。」
「……そっか。」
「…………。」
……なんだろう。
なんか、嫌な感じがする。
凰真くんがあんな目に遭ったのも。
もしかして、この腕時計が関係してるのかな。
「……最後には、こう書かれている。」
獅鳳くんが再び手紙へ視線を落とした。
「『金は必要だろう。余計なことは考えるな。』」
「…………。」
誰も何も言わなかった。
……お金。
腕時計。
それに、凰真くん。
今までバラバラだったものが、少しずつ繋がっていく。
けれど――。
俺には、まだ何が起きているのか分からなかった。
「……まさか。」
獅鳳くんが小さく呟いた。
その手には、強く握り締められた手紙がある。
「……凰真が事件に巻き込まれたのは、これが理由だったのか?」
本日も読んでいただきありがとうございます!
正樹の説得に時間がかかっているため、明日の更新はお休みです。
何の説得かというと、幽霊とセットになっているのが嫌だそうです。
説得は縛に任せています(笑)
いざとなったら真美ちゃんを呼びます。




