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人類の罪  作者: 華
幸せの形
131/144

足元の正体

「むりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむりむり!!!!」


「正樹さん!落ち着いてください!」


僕の首に両腕を回し、必死にしがみつく正樹さん。


……うっ。


「正樹さん、首が締まっています。」


「むりぃぃぃぃぃ!!!!」


……それは聞いていないなぁ。


僕は片手で正樹さんの身体を支えながら、麗子さんが指差している足首へ視線を向けた。


「…………。」


何もないな。


ただの足首だ。


「……本当に何かいるんですか?」


「おるぞ。」


麗子さんは当然のように答えた。


「…………。」


僕は非現実的なものを信じない。


幽霊だとか、呪いだとか。


そういうものは、どうにも信用できない。


……まあ、目の前には狼に乗って窓の外から現れた人物がいるがな。


それとこれとは別の話だぁ。


そう考えていた時、麗子さんが口を開いた。


「こやつ、このクルーズの船員やさ。」


「…………。」


……船員?


「きゅう…………。」


突然、正樹さんの身体から力が抜けた。


「……正樹さん?」


「…………。」


返事がない。


目も閉じている。


「……正樹さん?」


……気絶したな。


「…………。」


おもっ。


僕はずり落ちそうになる正樹さんを抱え直した。


これは、さらにラーメンを規制しないと駄目だな。


「おや、眠ってしまったんかねぇ。」


麗子さんは正樹さんの顔を覗き込むと、ふむふむと頷いた。


「……気絶したんですよ。」


「そうかね。」


……ずいぶん呑気な人だ。


「……幽霊なんて非現実的だぁ。」


その時、小鳥遊さんが珍しく口を開いた。


先ほどまで麗子さんの様子を面白そうに眺めていたが、今は少し真剣な顔をしている。


「そうでもないぞ。」


麗子さんが振り返った。


「幽霊というのは、人の念が電磁的なものとなって残ってしまう現象でもあるからのぉ。まあ、信じぬ者には見えんが。」


「…………。」


小鳥遊さんは何も言わず、麗子さんを見つめた。


その口元には、相変わらず薄い笑みが浮かんでいる。


「……なるほどねぇ〜。」


「…………。」


……この二人。


やはり何かあるだろうなぁ。


いや、絶対に何か知っているはずだ。


「……そ、それでは、私たちは仕事がありますので、先に失礼いたします。」


突然、警察官の一人が口を開いた。


振り返ると、警察官たちはすでに書類をまとめ終えていた。


一人は何度も狼の方を確認し、もう一人は扉の前に立っている。


「……あ、はい。」


僕が返事をすると、警察官たちは足早に部屋を出て行った。


ガチャ。


バタン。


「…………。」


部屋が静かになった。


先ほどまで正樹さんの絶叫が響き渡っていたのが嘘みたいだ。


……いや。


狼がいる時点で、十分おかしな状況だな。


「さて、依頼主も寝てしもうたし、わんは帰るさぁ。」


麗子さんがそう言うと、狼の方へ歩き始めた。


狼もゆっくりと立ち上がる。


……このまま帰るのか?


僕はそう思いながら、正樹さんを抱え直した。


その時だった。


ガシッ。


「……ちょっと待ってくれ。」


麗子さんの腕を掴んだのは、柊木さんだった。


「…………。」


……柊木さん?


なんだ?


珍しいなぁ。


「なんでね?」


麗子さんが首を傾げる。


「……幽霊がいる状態で、帰るのはなしだろ。」


「…………。」


「除霊しに来たんじゃないのか?」


柊木さんは真剣な顔で麗子さんを見つめていた。


……なるほど。


確かに、正樹さんが依頼したのは除霊だった。


僕もその点は気になる。


「柊木さん。」


僕は正樹さんを抱えたまま、柊木さんに近づいた。


スッ。


柊木さんが一歩下がる。


「…………。」


……ん?


僕はもう一歩近づいた。


スッ。


柊木さんがまた下がった。


「…………。」


……なぜだろう。


スタッ。


スタスタスタスタスタッ。


僕が歩み寄る。


スタスタスタスタスタッ。


柊木さんが下がる。


……。


スタスタスタスタスタスタスタッ!!


スタスタスタスタスタ、ダッ!!


「やめい!!!!これ以上は勘弁してくれ!」


柊木さんが両手を前に突き出した。


「…………。」


僕は足を止めた。


「……どうしたんですか?」


「どうしたもこうしたもあるか!!」


「……?」


「そいつを連れて近づくな!!」


柊木さんが正樹さんを指差した。


「…………。」


僕は腕の中で眠っている正樹さんを見下ろした。


……ああ。


なるほど。


正樹さんの足元には、幽霊がいる。


つまり、正樹さんを抱えている僕が近づけば……。


「…………。」


これは。


ふーん。


怖いんだぁー。


「……柊木さん。」


「なんだ!」


「幽霊が怖いんですか?」


「怖くねぇ!!」


即答だった。


……ほう〜。


そうかそうか。


「では、こちらへ。」


僕は再び一歩踏み出した。


「来るなぁぁぁぁ!!!!」


「…………。」


……うん。


怖いんだなぁ。


「……ふっ。」


麗子さんが鼻で笑った。


小鳥遊さんはとうとう堪えきれなくなったのか、肩を震わせている。


道徳さんも口元を押さえ、獅鳳さんは呆れたように天井を見上げていた。


……皆さん、ずいぶん楽しそうだな。


その時。


「……んん。」


僕の腕の中で、正樹さんが小さく動いた。


「……正樹さん?」


「……あれ?」


ゆっくりと目を開けた正樹さんが、僕を見上げる。


「……縛?」


「はい。」


「……俺、寝てた?」


「気絶していました。」


「……そっかぁ。」


「…………。」


正樹さんはしばらくぼんやりしていたが、突然何かを思い出したように目を見開いた。


「……あ。」


「……?」


「ゆ、幽霊!!!!」


「正樹さん、落ち着いてください。」


「まだいる!?まだいるの!?」


「……いるそうです。」


「ぎゃああああああ!!!!」


……またか。


「騒ぐでない。」


麗子さんが呆れたように口を開いた。


「そこまで怖いなら、祓ってやろうかの。」


「ほ、本当!?」


「うむ。ただし、まずは話を聞かねばならん。」


「……話?」


「こやつが、なぜここに残っておるのかをな。」


麗子さんは正樹さんの足元を見つめた。


その表情から、先ほどまでの笑みが消える。


「……これから口寄せをする。」


「……口寄せ?」


「こやつの言葉を聞くんじゃ。」


「…………。」


正樹さんが僕の服をぎゅっと掴んだ。


「……縛。」


「はい。」


「絶対離さないでね。」


「……分かりました。」


僕は小さくため息を吐いた。


……まさか、こんなことになるとは。


麗子さんは部屋の中央へ歩いて行くと、狼に何かを囁いた。


すると、狼はゆっくりと伏せ、前脚の上に顎を乗せた。


先ほどまで鋭い眼光を放っていた狼が、まるで主人に仕える番人のように静かになった。


「…………。」


麗子さんは目を閉じ、胸の前で両手を重ねた。


その姿勢は祈りを捧げているようにも見えた。


……何をするつもりなんだ?


僕は正樹さんを抱え直しながら、麗子さんの様子を見守った。


その時だった。


ふわっ……。


「…………。」


どこからか、爽やかな風が吹いてきた。


窓は閉まっている。


空調も動いているはずなのに、風は天井から降りてくるように僕たちの頬を撫でた。


「……風?」


道徳さんが小さく呟く。


僕も周囲を見回した。


カーテンが、ゆらりと揺れている。


……おかしいな。


さっきまで、こんな風は吹いていなかった。


麗子さんは微動だにしない。


やがて、その唇がゆっくりと動き始めた。


「…………。」


何かを唱えている。


けれど、その声はあまりにも小さく、言葉までは聞き取れない。


不思議なことに、部屋の外から聞こえていた人々の話し声や足音が、少しずつ遠ざかっていった。


まるで、僕たちのいる部屋だけが、船から切り離されていくようだった。


「…………。」


……静かだ。


静かすぎる。


耳を澄ませば、自分の呼吸さえ大きく聞こえる。


その時。


ふわり。


「……ん?」


鼻先を、懐かしいような香りがかすめた。


……お線香?


間違いない。


お線香の匂いだ。


けれど、部屋のどこにも火は見当たらない。


煙も上がっていない。


それなのに、香りだけが少しずつ濃くなっていく。


「……縛。」


正樹さんが小さく僕を呼んだ。


「はい。」


「……なんか、匂いしない?」


「……しますね。」


「……お線香?」


「……そうですね。」


「…………。」


正樹さんの指が、僕の服をさらに強く握り締めた。


……痛い。


でも、今は何も言わないでおこう。


麗子さんの周囲だけ、空気が違って見えた。


何かが光っているわけではない。


それなのに、そこだけが妙に澄んでいる。


目を離してはいけないような。


けれど、長く見つめてはいけないような。


そんな、不思議な感覚だった。


「…………。」


狼がゆっくりと顔を上げた。


その視線は、麗子さんではなく、僕たちの足元へ向けられている。


……まさか。


僕は正樹さんの足首を見下ろした。


「…………。」


何もない。


……はずだった。


「……ん?」


目を凝らす。


正樹さんの足元。


そこに、うっすらと白い膜のようなものが見えた気がした。


……光の反射か?


もう一度、よく見ようとした。


だが、その瞬間。


すうっ……。


白いものは、煙のように消えてしまった。


「…………。」


……今のは?


見間違いだろうか。


そう考えていた時、麗子さんがゆっくりと目を開けた。


その瞳は、先ほどまでとは違っていた。


ほんの一瞬、瞳の色が変わったような気がした。


穏やかなのに、どこか近寄りがたい。


まるで、僕たちとは違う何かを見ているようだった。


「……名を聞こう。」


低く、静かな声が響いた。


「…………。」


誰も返事をしない。


麗子さんは何もない空間をじっと見つめている。


……いや。


本当に、何もないのだろうか。


さっき見えた白いものが、頭から離れない。


僕の腕の中では、正樹さんが小刻みに震えていた。


「……し、縛。」


「……はい。」


「……俺、もう帰りたい。」


「……もう少し我慢してください。」


「……うぅ。」


麗子さんが静かに頷いた。


まるで、誰かの話を聞いているように。


一度。


二度。


そして――。


チリン……。


「…………。」


どこからともなく、澄んだ鈴の音が響いた。


高く、透き通った音。


耳に届いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。


けれど、不思議と嫌な音ではなかった。


むしろ、どこか懐かしく、心が静まっていくような響きだった。


チリン……。


もう一度。


その音が消えると同時に、風が止んだ。


お線香の香りも、すうっと薄れていく。


「……なるほど。」


麗子さんが小さく頷いた。


そして、ゆっくりと顔を上げる。


「この者の名は、鈴木翔太。」


「…………。」


……ん?


僕は思わず麗子さんを見た。


「……今、なんと?」


「鈴木翔太じゃ。」


「…………。」


その名前には聞き覚えがあった。


地下室で殺されていた人物。


警察が告げた被害者の名前だ。


「……鈴木翔太って、あの地下室で殺されていた船員の……?」


道徳さんが呟く。


獅鳳さんも驚いたように目を見開いた。


「……間違いありません。」


僕が答えると、部屋が静まり返った。


……なぜ、その人物が正樹さんの足元に?


そして、なぜ正樹さんから離れない?


「…………。」


その時、僕の腕の中から小さな声が聞こえた。


「……縛。」


「はい。」


「……俺の足にいるのって……。」


「…………。」


「……死んだ人?」


「……そうですね。」


「…………。」


正樹さんの顔から、みるみる血の気が引いていく。


「……きゅう。」


「……正樹さん?」


ぐったり。


「…………。」


……また気絶したな。


僕は腕の中の正樹さんを抱え直した。


……これは、当分ラーメン禁止だな。

更新が遅くなってしまい、すみません!

今回も読んでいただき、ありがとうございます!

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