ハンドパワー
森を抜けても、俺たちは足を止めなかった。
砂浜まで戻っても、何度も後ろを振り返る。
誰も追って来ていない。
それでも、クルーズの明かりが見えるまで走り続けた。
「はぁ……はぁ……。」
ようやく船まで戻って来ると、俺は膝に手をついた。
「……つ、疲れたぁ。」
「正樹さん、途中からほとんど僕が引っ張っていたでしょう。」
「そうだっけ?」
「そうです。」
縛は呆れたように大きく息を吐いた。
クルーズに戻ってから、俺たちは道徳たちに森で起きたことを話した。
山の上の屋敷までは辿り着けず、監視カメラの数が異常に多かったこと。
「監視カメラ?」
獅鳳くんが眉を寄せる。
「うん。しかも一個じゃなかったよ。」
「俺、そんなの知らねぇぞ?」
「え?」
獅鳳くんも知らない?
てっきり獅鳳くんの家の屋敷だから、監視カメラのことも知ってると思ってた。
俺たちが顔を見合わせていると、近くにいた文彦さんが口を開いた。
「監視カメラでしたら、旦那様がお亡くなりになる少し前から設置を始めておりました。」
「親父が?」
「はい。その後は千代子様の管理のもと、数を増やしたと聞いております。」
「なんで?」
「申し訳ございません。そこまでは私も……。」
文彦さんにも、監視カメラを増やした理由は分からないらしい。
「…………。」
なんで、わざわざ山の中に監視カメラなんて増やしたんだろう?
泥棒対策?
でも、あんな山の中までわざわざ泥棒が来るのかなぁ。
それとも……。
「まぁ、鍵は俺が持ってるからな。」
獅鳳くんの声に、俺は顔を上げた。
獅鳳くんがポケットから一本の鍵を取り出す。
「今日はもう遅いし、明日の昼間に行くか。」
「その方がいいでしょうね。」
縛も頷く。
「夜の山にもう一度行くのは危険です。」
「俺も今日はもう行きたくないなぁ。」
「正樹さんは特にです。」
「なんで!?」
俺たちは話し合った結果、明日の昼間に改めて屋敷へ向かうことにした。
その時――。
少し離れた場所から、静かにこちらの様子を窺っている人物がいたことに。
俺たちは誰一人として気づいていなかった。
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「明日、屋敷に行くそうですよ。」
「ふーん。勝手に行けば?」
「え?行かせていいんですか?」
「いいよ。」
男はそう言うと、手元へ視線を落とした。
「だって、これがなければ――」
男は手の中にある腕時計を持ち上げた。
カチ、カチ、カチ……。
静かな空間に、秒針の音だけが響く。
「入りたい所には入れないだろうから。」
キラッ――。
月明かりを反射して、文字盤が一瞬だけ光った。
男は腕時計を眺めると、そのまま静かにポケットへとしまった。
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翌日。
文彦さんが手配してくれた車にそれぞれ乗り込むと、俺たちは山の頂上へと向かった。
窓の外には、昨日歩いた森が広がっている。
生い茂った木々。
車はその横をスイスイと通り過ぎていく。
「…………。」
俺は窓に顔を近づけた。
「…………屋敷までの道があるなんて聞いてない。」
「あれ?地図に書いてなかったっけ?」
獅鳳くんが昨日描いた地図を広げる。
しばらく地図を見つめたあと、
「あっ。」
小さく声を漏らした。
「……いやいや、すまん!これ、小さい頃に駆け回ってた山道だわ!」
そう言うと、獅鳳くんは少し気まずそうに笑った。
「…………。」
昨日、あんな怖い思いをしたのに。
暗い森の中を歩いて。
監視カメラを見つけて。
慌てて逃げて。
それなのに今日は――。
ブロロロロ……。
車に乗っているだけ。
窓の外を、昨日苦労して歩いた景色がどんどん後ろへ流れていく。
「…………なんか複雑です。」
隣を見ると、珍しく縛まで不満そうな顔をしている。
うん。俺も同じ気持ちだよ。
あんなに頑張ったのになぁ。
しばらく山道を走っていると、車の速度がゆっくりと落ちていく。
そして――。
停まった。
「着きました。」
文彦さんの声が聞こえる。
俺たちは車を降りた。
「…………。」
目の前に建つ屋敷を見上げて、俺はしばらく動けなかった。
昨日の夜。木々の向こうに見えていた、あの場所。
明るい昼間に見ると、昨日とはまるで印象が違う。
古い洋館のような、大きな屋敷。
長い年月が経っているのか、外壁にはところどころ汚れが目立つ。
壁には蔦が這い、いくつも並んだ窓の一部は厚いカーテンで閉ざされていた。
庭には植物が生い茂っている。
でも――。
完全に放置されているようには見えない。
「…………。」
誰かが手入れしてるのかなぁ。
「おぉ……。」
俺はゆっくり屋敷を見上げる。
「すげぇー。昔の金持ちみたい。」
「昔から金持ちなんだよ。」
「あ、そっか。」
俺が屋敷を見上げていると、獅鳳くんがスマホを取り出した。
どこかへ電話をかける。
「もしもし〜。おじさん、今島にいる?」
『ん?獅鳳かぁ?珍しいなぁ。どうしたの?』
「今、島に来ててさ。屋敷に入ろうと思うんだけど、ほら、この屋敷って入ると音鳴るじゃん?」
『あー、そういうこと?ちょうど旅行中で島にいないんだよ。防犯システムは姉さんに聞いてるから、姉さんに開けてもらうように言っとこうか?』
「…………おばさん、亡くなってるよ。」
『え?何を悪質な冗談を〜。』
「本当だよ。多分、今頃ニュースになってるはずだよ。」
『いやいや……嘘だよなぁ?』
「…………。」
電話の向こうが静かになる。
さっきまで軽かったおじさんの声が、完全に消えた。
『……本当なのか?』
「うん。」
『…………。』
再び沈黙が流れる。
『……とりあえず、旅行切り上げて誠と一緒に帰る。』
「彼氏と一緒なんだぁ。」
『まぁ、新婚旅行みたいなもんだよ。』
「分かった。じゃあ、また連絡する。」
獅鳳くんが電話で話している間、俺は屋敷の入口を眺めていた。
大きな扉。
その表面には、見たことのない模様が彫られている。
なんだろう?
植物?
鳥?
よく分からない。
「…………。」
気になる。
俺は扉に近づくと、模様の上に指を置いた。
スッ――。
指でなぞる。
ザラザラしてる。
長い間ここにあるからなのか、ところどころ傷もついていた。
「なんの模様だろう……。」
もう少し近くで見ようと、何気なく手を扉に置いた瞬間――。
ギィィ……。
「ん?」
俺は動きを止めた。
重そうな扉が、ゆっくりと奥へ動いていく。
ギィィィ……。
「…………。」
開いた。
俺は扉を見る。
次に、自分の手を見る。
もう一度、扉を見る。
……俺?
後ろが妙に静かだ。
俺はゆっくりと振り返る。
縛も。
道徳も。
獅鳳くんも。
みんな俺を見ていた。
「…………開いたね。」
そう言って、俺は扉を指差した。




