尾野家の呪い
ヘリコプターの近くまで来ると、待機していた救急隊員が駆け寄って来る。
「小鳥遊さん、あとは引き取ります」
救急隊員が小鳥遊さんから凰真を受け取る。
「気道確保と止血はしてある。血液型はSだ」
小鳥遊さんが告げると、救急隊員の表情が一瞬だけ変わった。
「……S型ですか」
「ああ。搬送先にはもう伝えてある」
「了解しました。搬送先は――」
「ここから近い病院で受け入れ態勢を整えてもらってる。そちらへ向かってくれ」
「分かりました。」
救急隊員はそれ以上何も聞かず、すぐに無線で搬送先へ連絡を入れた。
「ご家族の方も、同乗してください!」
「え、あっ……」
俺は促されるまま、ヘリコプターへ乗り込んだ。
機内では、すでに凰真への処置が始まっていた。
「気道、確保!」
凰真の口元には、血に染まったガーゼが当てられている。
「口腔内に血液貯留。吸引します!」
吸引カテーテルが口の中へ入れられ、溜まっていた血が吸い出される。
「酸素投与継続。SpO₂、確認!」
「86パーセント。上がりません!」
「バッグバルブマスク換気、開始!」
隊員が凰真の口元にマスクを密着させ、一定の間隔で換気を行う。
モニターには、速く不規則な波形が表示されていた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ――。
「血圧、80台まで低下!」
「静脈路、確保します!」
別の隊員が凰真の腕に点滴ルートを確保する。
新しいガーゼに取り替えても、すぐに赤く染まっていく。
俺はただ、その光景を見ていることしかできなかった。
「…………凰真」
頼む。
頼むから、置いて行かないでくれ。
ピッ、ピッ、ピッ――。
突然、モニターの音が変わった。
「血圧、さらに低下!」
「脈拍、弱くなっています!」
さっきまで慌ただしく動いていた隊員たちの空気が、一瞬で変わる。
「……大丈夫なんですか?」
誰も答えない。
「……凰真」
俺は横たわる凰真に近付こうとした。
「下がってください!」
「でも……!」
「処置の邪魔になります。離れて!」
ピッ――。
ピッ――。
ピッ――。
モニターの音の間隔が、どんどん長くなっていく。
「頸動脈、触知できません!」
「呼吸停止!」
「心肺停止、確認!」
そして――。
ピ――――――――。
一本の音が、機内に鳴り響いた。
何年か前にも聞いた、その音。
俺は絶望した。
「……凰真?」
嘘だろ。
俺を置いて行くな。
視界が滲んでいく。
「心肺蘇生開始!」
「胸骨圧迫、開始します!」
隊員が凰真の胸の中央に手を置き、一定のリズムで圧迫を繰り返す。
「1、2、3、4……」
「バッグ換気、継続!」
別の隊員が胸骨圧迫に合わせて換気を行う。
「凰真……」
戻ってくれ。
戻って、戻ってくれ。
「5、6、7、8……」
なんで動かないんだよ。
「凰真!」
俺は凰真に近付こうとする。
「下がってください!」
「離せ!」
「処置の邪魔になります!」
「で、でも……凰真が!」
「今、助けています!」
その言葉に、身体が止まった。
「…………」
まだ希望はある。
凰真。
「除細動器、準備!」
隊員が除細動器を取り出し、パッドを凰真の胸に貼り付ける。
「胸骨圧迫、一時中断!」
「全員、離れて!」
隊員が手を離し、機械が心電図を解析する。
「解析中。患者に触れないでください」
俺は何もできない。
ただ、見ているしかなかった。
「ショック適応!」
「充電開始!」
機械の電子音が鳴る。
「充電完了!」
「全員、離れて!」
「……凰真、戻って来て」
隊員が周囲を確認し、除細動ボタンを押す。
凰真の身体が大きく跳ねた。
「ショック実施!」
「胸骨圧迫、再開!」
すぐに胸骨圧迫が再開される。
「2分間、CPR継続!」
数十秒後、隊員がモニターを確認する。
「脈拍、確認します!」
胸骨圧迫が止まり、凰真の首元に指が当てられる。
誰も喋らない。
ヘリコプターの轟音だけが、やけに大きく聞こえる。
「…………」
頼む。頼むから。
お願いだから――。
父さん、まだ凰真を連れて行かないでくれ。
「……心拍再開!」
ピッ――。
ピッ――。
ピッ――。
「…………っ」
音が戻った。
俺はその場に崩れるように座り込んだ。
震える手を、強く握り締める。
「……凰真」
返事はない。
「ふざけんなよ……先に行くなんて、許されないからな……」
昨日まで、いつも通りだったじゃねぇか。
昨日まで俺の隣で、いつも通り冗談を言って笑ってたじゃねぇか。
なのに。
なんで今、こんなことになってるんだよ。
「血圧、戻りません!」
「輸液継続!」
「病院まであと3分です!」
心臓は動き出した。
でも、凰真の目は開かない。
ピッ、ピッ、ピッ――。
モニターの音を聞きながら、俺は震える手を握り締める。
もう止まるな。頼むから。
その音だけは、もう……止まらないでくれ。
「着陸します!」
大きな声と同時に、機体が大きく揺れる。
窓の外を見る余裕なんてなかった。
俺はずっと凰真だけを見ていた。
「搬送します!」
ヘリコプターの扉が開く。
凰真を乗せたストレッチャーが、すぐに外へ運び出された。
「凰真!」
俺も慌てて後を追う。
病院の入り口には、すでに何人もの医師や看護師が待っていた。
「20代男性!S型。口腔内に重度の損傷あり!出血多量!搬送中、一時心肺停止!」
「心拍再開後、血圧は?」
「低値のままです!」
「すぐ手術室へ!」
「輸血準備!」
次々と声が飛び交う。
凰真を乗せたストレッチャーが、ものすごい速さで廊下を進んでいく。
「凰真!」
俺も走った。
「凰真!」
返事なんてない。
分かってる。
それでも名前を呼ばずにはいられなかった。
「ご家族ですか?」
「はい!」
「ここから先は入れません!」
「はぁ!?」
目の前に大きな扉が現れる。
「待ってください!俺も――」
「緊急手術に入ります。こちらでお待ちください!」
「でも!」
ストレッチャーが扉の向こうへ消えていく。
「凰真!」
最後に見えたのは、真っ赤に染まったシーツ。
そこから少しだけ出ていた、凰真の手だった。
バタンッ。
扉が閉まる。
「…………。」
俺だけが取り残された。
扉の上に赤い光が灯る。
『手術中』
「…………凰真。」
俺は扉の前に立ったまま動けなかった。
さっき、一度、心臓が止まった。
もし、あのまま……戻って来なかったら。
「…………。」
いや、考えるな。
まだ生きてる。
凰真は生きてる!
これからも生きる!
そう自分に言い聞かせて、近くにあった椅子へ座る。
「…………。」
静かだ。
さっきまでのヘリコプターの轟音も。
救命員達の声も。
モニターの音も。
何も聞こえない。
ただ、目の前にある赤いランプだけが光っていた。
俺はポケットからiPhoneを取り出す。
画面には、いくつもの着信が表示されていた。
だけど。
今は誰とも話したくなかった。
iPhoneを握ったまま、目を閉じて俯く。
思い出すのは、昨日の会話。
昨日の今頃。
俺達は……。
道徳の結婚式にどうやって出るのかを話し合った。
その後は……
ゲームをしながら……
くだらないことで言い合いをしてたんだ……
………………………………………………………………………………
『GAME OVER』
「はぁ!?今の絶対お前のせいだろ!」
俺はコントローラーを持ったまま、隣にいる凰真を見る。
「なんで僕のせいなんだよ。」
凰真は笑いながら画面を見る。
「お前が邪魔したからだろ!」
「あーー!すぐ僕のせいにする!!下手だからそうやって言うんだよ。」
「うるせぇ!」
「もう一回やる?」
「当たり前だろ。次は絶対勝つ。」
「はいはい。」
凰真が笑いながら、もう一度ゲームを開始する。
「そういえば。」
「ん?」
「明日、道徳の結婚式だね。」
「おう。」
俺は画面を見ながら答える。
「ふふ、やっぱり道徳が一番先に結婚したね。」
「本当だよ。あいつ、昔は女の子と話すだけで顔真っ赤にしてたのにな。」
「懐かしいなぁ。病院の看護師さんに話しかけられただけで僕の後ろに隠れてたのに。」
「おー。それ言ったら多分道徳怒るぞ。」
俺はニヤニヤしながら凰真を見る。
その凰真もニヤニヤしている。
「もう時効でしょ。」
そう言うと、二人で大笑いした。
しばらくして。
ゲームの効果音が部屋に響く。
「…………。」
凰真が口を開いた。
「なぁ、獅摩。」
「ん?」
俺は画面を見ながら答える。
「明日さ。」
凰真の声が、少しだけ変わった。
ん?なんだ?
俺は凰真の顔を見る。
凰真はやけに緊張していた。
「道徳に話さないか?」
俺の指が止まる。
あ、画面の中で俺のキャラクターがやられた。
『GAME OVER』
「……何を?」
分かってる。
聞かなくても分かっていた。
凰真がコントローラーを置く。
「僕達のこと。」
「…………。」
「もう、いいだろ。」
「何が。」
「道徳には話しても。」
「ダメだ。」
「獅摩。」
「ダメなものはダメだ。」
俺はゲームを再開しようとする。
だけど凰真は動かなかった。
「いつまで隠すんだよ。」
「ずっとだ。」
「ずっとっていつまで?」
「知らねぇよ。」
「僕達が死ぬまで?」
「凰真。」
「道徳は僕達の親友でしょ?」
「だからだよ。」
「え?」
俺はコントローラーを置く。
「親友だから言えないんだろ。」
「……意味分からないよ。」
「分かるだろ!」
思わず声を荒らげる。
凰真の顔から笑顔が消えた。
「俺達が二人いることを知って、もし道徳に何かあったらどうする。」
「そんなの……。」
「もし、尾野家の呪いが道徳にまでいったらどうするんだよ!」
「っ…………。」
凰真は息を呑み込む。
部屋が静まり返り、さっきまで流れていたゲームの音楽だけが、やけに大きく聞こえた。
俺も。
凰真も。
何も言わなかった。
「…………。」
しばらくして、凰真が小さく息を吐く。
「……そうだね。」
凰真はテーブルの上に置いたコントローラーを見る。
「父さんも、僕達の呪いに巻き込まれたもんね。」
「…………。」
父さん。
その言葉を聞くだけで、胸の奥が痛くなる。
何年経っても、あの日のことだけは忘れられない。
あの音も。
あの光景も。
全部。
「……悪い。」
俺がそう言うと、凰真は首を横に振った。
「いや。僕も……ごめんね。」
「…………。」
「道徳の結婚式だから、ちょっと浮かれてたのかも。」
凰真はそう言って笑った。
「でも。」
「ん?」
「いつかは……いつかは言いたいな。」
「…………。」
「僕達が二人いること。僕達の本当の名前。」
凰真はテレビ画面を見ながら呟く。
「何も隠さなくていい日が来たらいいのにね。」
「…………そうだな。」
あの時。
俺は、それしか言えなかった。
尾野家には、古くから伝わる言い伝えがある。
俺が初めてその存在を知ったのは、凰真が入院していた時。
俺達がまだ小さい頃だった。
父さんから見せられた、一枚の古びた紙。
黄ばんだ紙には、俺には読めないような昔の文字が並んでいた。
父さんがその紙を読み上げる間、俺はただ静かに聞いていた。
だけど。
その中に一つだけ。
幼かった俺にも分かる言葉があった。
――双児。
いわゆる、双子だ。
二人で生まれた子ども。
俺と、凰真。
『双児生まれし時、家に福来たり。
されど二つの影、世に知らるる時、
福は災いへと転じ、
一族に大厄来たらん。』
双子が生まれることは、尾野家に幸福をもたらす。
しかし。
二人の存在が外に知られれば。
幸福は厄災へと変わる。
だから俺達は、生まれた時からずっと。
二人であることを隠して生きてきた。
俺達が双子だと知っているのは、身内と、代々我が家に仕えている人達。
ごく僅かな人間しかいない。
そして。
その古びた紙の一番下には、一つの印が描かれていた。
「…………。」
俺は、その印を今でも鮮明に思い出すことができる。
三本の足。
赤い目。
そして――。
真っ白な鴉。




