第5話 狂人は揉みまくる!:あれ?ヴァンパイアの様子が……♡
その絶叫が、洞窟の天井へ突き抜けた。
ザガンの瞳孔は、かつてないほど大きく開ききっていた。
黒目の輪が広がり切り、その奥で、欲望という名の篝火が、ばちばちと音を立てて燃え盛っている。
「えっ……なぜ、動ける、の」
彼女の薄紅の瞳が、戸惑いに揺れ、青色に戻っていく。
血を吸い尽くした獲物が動く。そんな話は、聞いたことがない。
今までは血を吸って動けなくなった相手の魂核を喰らって、おしまい。
そうなるはずが……。
「クッソ柔ぇ。何だこれ、何でこんな、形があるみてぇで、ねぇみてぇで」
目の前の男は何事もなかったかのように、ひたすらに揉み続けている。
初めて女性の胸を触るザガンはそれはもう一生懸命だった。
欲が暴走し、手が止まらない。
「は、離しなさいッ」
白い指が、絡みつくザガンの手の甲を強く打つ。
けれど、ザガンの指は鷲の爪のごとく食い込んだまま、ぴくりとも緩まない。
緩めるどころか、左右の手のひらが交互にさらに強く揉み続ける。
モニュモニュモニュモニュモニュモニューーー。
「ちょ、っ、そこは、ッ……指、動かさないで」
もう冷ややかな態度を取っていた彼女の面影はどこにもなかった。
ただ必死に揉み続ける男と、頬を赤くし揉まれ続けるヴァンパイアの姿がそこにはあった。
モニュモニュモニュモニュモニュモニュモニュモニュモニュモニュモニュモニュモニュモニュモニュモニューー。
「あ? 何だ、揉み方にも好みがあんのか」
「そういう、話を、しているんじゃ……っ」
彼女の頭は目の前の男を喰らえと告げている。
すぐに距離を取り、氷柱を心臓へ叩き込め。
あの傲慢で下品な手を、肩から切り落としてしまえ。
なのに、踵が一歩、退がらない。
獲物に触れられた肌の表面で、奇妙な熱が散っていた。
胸の膨らみの一点、ザガンの親指の腹が掠めた場所から、覚えのない痺れが、薄い水紋のように散っていく。
揉まれる度、目の中心にピンクのハートが薄く浮かび上がる。
「やっ、やめなさ……ぃ♡」
彼女は両手で、ザガンの手首を掴み直した。
今度こそ引き剥がす。今度こそ、と思った。
しかし、自分の指がただ、添えるように触れているだけとなってしまう。力が入らないのだ。
――そう。
ザガンをあれだけ挑発していた彼女だが、実のところ、男に胸を揉まれた経験など、一度たりとも、ない。
体に力が入らないのは、つまり――気持ちが、いいから。
癖に、なりつつあるから。
その事実を彼女自身は、まだ認められない。
ぷにぷにぷにぷにぷにーーー!!!!
「いや、もうやめ……いい加減に、しなさいぃんッ♡♡♡」
へにゃ~。
膝の力が、抜け落ちた。
甘い息を垂らし、彼女は岩肌の上へとずるずる崩れ落ちる。
その動きに引きずられて、ようやく、ザガンの手のひらが、彼女の胸からするりと離れた。
惜しむような感触の余韻を、指の腹に残したまま。
長い銀髪が、湿った岩の上に扇のように広がる。
ハートは点滅し消え、薄紅と青の入り混じった瞳が潤んだまま、上目遣いに、ザガンを見上げた。
「……何で。血を吸ったのに、なんでそんなに動けるのよ」
「あっ?何が?血ー抜かれただけだろうが。そんなことよりも、もっと揉ませろ」
「もう、おしまい……っ。これ以上は、私が、おかしく……」
言いかけた言葉を、彼女自身が呑み込んだ。
赤面した顔を背け、両腕で胸を隠し、足をズルズルと後ろへ滑らせる。
「ってそんなことじゃ、なくて。それがおかしいの、普通動けないわよ」
「別に何ともねぇけど、むしろ気持ちよかったぜ?」
「えっ、ええ?」
もう意味が分からないと、彼女は思う。
はぁ~とザガンの異常っぷりにため息をついた。
変態の人間の血を美味しいと思ったことも、
力強く揉まれた感覚に……名残惜しい、と感じてしまった自分に対しても……。
「とっ、とにかくもう揉ませないから」
「えぇーーーーーー!!!!! 減るもんじゃねぇしいいじゃねぇかぁぁッ!!!」
今日一番の発狂が鳴り響く。
パンツを見られ、胸も揉まれるという辱め。
こうなったら力ずくでこの変態を殺すか迷ったが、何だか疲れてしまった。
「じゃあね」
短くそれだけ告げて、銀髪が翻る。
彼女は振り返らずに歩き出した。
「おい待てや、置いてくんじゃねぇ」
ザガンは慌てて後を追う。
あの掌に余る柔らかさを一度知ってしまった男が、揉ませないと言われて素直に引き下がるわけもない。
「何で付いてくるのよ。他にも道はあるでしょ」
「いや、だってテメェと俺しかいねぇし」
ザガンが大袈裟に両手を広げる。
突如口を開けた大穴から滑り落ちた遠征軍の一隊、その内で立っているのは、この二人きりだった。
他の者たちは岩盤の底で、自分が肉塊であることを未だ信じられぬまま、誰かが殺してくれるを待っている。
「生存率?ってやらを上げるんだったら、人数が多いことに越したことねぇだろ!」
「どうせ、胸を揉みたいだけでしょ」
「あったりめぇだ!」
「……死ねばいいのに」
酷いことを言われたが、無反応。
慣れてしまったというのもあるが、一番はザガンは後ろから彼女の美しいボディラインに注目していたこと。
細身だが、出るところはしっかりと出ている。
歩くたびに揺れる腰、白い太もも、その奥にちらつく薄い影。
目を細めて顔だけ前に出したり、低い姿勢でもう一度パンツを覗こうとしたり、背伸びをして谷間を見ようとしたりと様々。
彼女が後ろを向かないことを良いことに、欲を満たしていた。
今度は視線に気づかれないようにと、質問を彼女に投げつける。
「ってかどこ向かってんだ?出口とか分かんのかよ」
「知らないわ。でも、動かなければ何も始まらないもの。今はここがどんな場所なのか、それと、他の隊を探しているの」
気持ちを切り替え、今の状況を冷静に分析し、考える彼女。
「他の……ぉっパイ?」
頭の中がピンク色になり、何も考えられていないザガン。
「何か違う風に聞こえたけどそう。私たちとは違う場所で、落ちているかもしれないでしょ。その人たちと合流して、この洞窟の情報を集めるために」
「なーるほどっ、あっ、もう少しで見えたのにっ!」
「まぁ、生きていたらの話だけど。何人かは私と並ぶくらいの強者がいたから、その人たちと合流できれば、生き残れる可能性は上がるわ」
彼女は、そう自分で言葉にしてからようやく気付いた。
この変態はあの戦場で自分の術を使っても平然としており、大穴から落ちた際も人間とは思えない身体能力で降下していくのを見た。
いつまた恥をかかせられるかは分からないし、殺したいというのは変わっていない。
しかし、生き残るために、この変態は盾として使えると。
「もう、あなたに何を言っても付いてきそうね」
銀髪が、耳にかかる。横顔は前を向いたままだ。
「好きにしなさい。ただし、足は引っ張らないでね」
「はっ、まるで俺よりも強ぇって言ってるみたいじゃねぇか」
「事実でしょ」
「あっ?どういうこった。戦ってもいねぇのに、揉みちぎるぞ」
「ここであなたとやり合うのは避けたいから、一つ、勝負をしましょう」
「勝負?」
「ええ。あれよ」
彼女の細い指が、闇の奥を示す。
ザザザザザザザザザザザザッ──!!
折り重なる足音が、洞窟の壁を震わせて押し寄せてきた。
爪が岩を掻く硬質な音、湿った息遣い、低い唸り。
一匹や二匹ではない。少なくとも、数えるのを諦めたくなる数だった。
「どちらが多く魔族を倒せるかで勝負。勝った方が強いと認めて、何でも一つ、願いを言う」
「なっ、何でも?」
ザガンの片頬が、ぐにゃりと吊り上がる。
迷う理由は一つもなかった。
「はっ、上等だぜ。もう一度揉みてぇ気持ちもあるけど、それよりも、俺はもういつ死ぬかも分かんねぇんだ」
人生最悪の展開……死ぬ場所がこの洞窟である可能性は十分にある。
ならば!
「俺が勝ったら、テメェを抱いてやる」
──ぴく、と彼女の睫毛が震えた。
抱く、というその二文字が、洞窟の冷気の中でやけに熱を持って耳に届く。
掌の感触が、まだ胸の谷間に残っていた。
あの遠慮のない、骨ばった指の硬さ。
「いっ、いいわよ。……まぁ、無理でしょうけど」
「おいおい、声が裏返ってんぞ?」
「裏返ってないわ」
「裏返ってるじゃねぇか。もしかして、揉まれたかったのか?」
・・・。
「黙りなさい」




