第3話 狂人の悲願……パンツちらり
立ち止まり、両手を腰に当てて天を仰ぐ。
「最初っから俺に惚れてる女ってのは、まあ、悪くねぇ。悪くねぇけどな。愛想最悪のクール美女がよぉ……ある日突然、俺に惚れちまったら~」
ぽわん~ぽわん~ぽわん~。
「ザガン~♡」
「どしたん?話聞こか?(キラッ☆)」
「ごめんね、今まで冷たい態度ばかり取っちゃって」
「良いって!こ・と・よっ!」
「ありがとう♡。お礼の~チュ~」
「ふっ、悪い子猫ちゃんだ(キラッ☆)」
パァンッ!!
派手な音を立てて、ザガンの脳内で薔薇色の風船が破裂する。
ふっ、ふふふ……。
「最高だぁー!よし決めたぜ!死ぬまで、つまり今日中にあの女を俺の女にする!そして、あわよくば抱いてやるんだ!あーはっはっはーー」
ぐっと肩を回し、にやりと唇を吊り上げた。
右手をパー、左手をグーにし思いっきりぶつける。
「そのためには、さっそく俺を惚れさせ、ってあれ?」
顔を上げると、銀髪はとっくに視界から消えていた。
「いつの間に居なくなったんだぁ〜?あの女」
苦笑混じりに、ザガンは踵を返した。
その時の彼は、まだ知らなかった。
これから数時間後、惚れさせるべき女から、
惚れる以前に殺されかけることになるなど、
思いもしなかったのだ。
*
――数時間後。戦場。
「テメェーーーー!!!俺の頭上に氷の矢を降らせるとか、頭イカれているんじゃねぇか!?」
岩肌の剥き出した荒野に、ザガンの絶叫が突き抜けた。
拠点を発って数時間。
隊が進んだ先には、地面から牙のように突き出した無数の岩と、そこから湧き出してくる魔族の群れが待ち構えていた。
霧の向こうには、黒く尖った塔の影
――魔王城。
ぼやけてはいるが、もう目で捉えられる距離に来ていた。
襲ってくる魔族は今までの倍以上。
蜘蛛じみた六本脚の魔虫の群れに、屈強なオーガ、岩肌をよじ登るホブゴブリンの一団。
C級、D級、ところどころにB級の影。
数も強さも段違い。
その乱戦のど真ん中で、ザガンは振り返り、頭上を睨みつけていた。
見上げた先――岩の上に、銀髪の少女が、両手を胸の前で軽く組んだまま、こちらを見下ろしている。
「見ろ!こいつを、見ろや!」
ザガンは人差し指を立てて、自分の脳天を指差した。
先端だけが頭蓋に潜り込んだ氷の矢が、午後の光を吸って透き通り、その根元から赤い液体がリズミカルに噴き出している。
「血がピューピュー吹き出してんの!テメェのせいで、な!」
「……」
「返事ぐらいしろや、おいぃ!!」
――ザガンとて最初は希望を抱いていたのだ。
戦場で颯爽と魔族を斬り伏せ、危ういところを救ってやり、銀髪の少女の頬を朱に染めさせる。
そんな筋書きの数々は、全て崩れた。
味方も敵も構わず範囲攻撃をする彼女によって。
それも……何度も。
「ドヒヤァーーっ!?」
ザガンの肩に、氷の槍が突き立った。
「あひぃーーっ!?」
太ももの裏に、氷の刃が滑り込む。
「ぐぼぉっ……!」
尻に、何故か氷柱が直角に刺さっていた。
彼女に近づこうとすれば、近くの魔族ごと薙ぎ払われる。
彼女から離れて戦おうとすれば、流れ弾のように氷の破片が飛んでくる。
気がつけばザガンの全身には、自分の血で固定された氷の装飾品が、各所からにょきにょきと生えていた。
もはや、魔族から負った傷よりも、彼女から受けた傷の方が多い……。
一回や二回ならば、笑って済ませた。
五回までは、「俺はモテる男だからな」と無理矢理脳内変換した。
しかし、十を超えた今、堪忍袋の緒が切れた。
「何で私が責められなくちゃいけないの?あなたが……私の前に立つのがいけないんじゃない」
返ってきた声は、相変わらず氷の刃のように薄く、冷たかった。
両手は胸の前で組まれたまま。
一歩も動かない。
「はぁ~!?なもん無理に決まってんだろ!この戦場見ろっての!」
双剣を振りかぶり、跳びかかってきた魔虫の頭部を縦に割りながら、ザガンは絶叫する。
「乱戦真っ最中で、テメェがどっち向いてるか確認してる暇も――」
横から飛んできたオーガの拳を、上体を逸らして紙一重で躱す。
返す刀で喉笛を浅く裂き、よろめいた巨体の脇を駆け抜けた。
「こうやって、話してる暇もねぇっての!」
「うるさいわね」
「丁寧に説明しているだけだろうがっ!」
「私のおかげで、多くの魔族を一掃できたのよ。むしろ、感謝してほしいくらい」
「してたまるかぁーーー!」
ザガンの剣先が、また一匹のホブゴブリンの胴を真横に裂く。
崩れ落ちる魔族の魂核が砕ける小さな破裂音と、その光がザガンの胸へ吸い込まれていく感触。
それすら今は、頭にきた感情のどこにも届かない。
「美人だからって調子乗ってんじゃねぇぞ!俺は誰もが認める男女平等主義者、いつだってテメェのおっぱい揉みしだく準備は……」
「……」
「またダンマリかッ!!」
もう我慢できん、揉むと決めたその時だった。
戦場の空気が変わった。
魔族の咆哮も、剣の打ち合う音も、奴隷たちの怒号も、何ひとつ聞こえなくなる。
風が止む。
そして、声が降ってきた。
大気そのものを震わせて、頭蓋骨の内側から響かせるような、声が。
【……聞こえるか?我が領地に踏み入れし、愚かもどもよ】
ザガンの背筋が、生まれて初めて経験する寒気だった。
「なんだ、こりゃ」
口から、間の抜けた呟きが漏れる。
双剣の柄を握る手のひらに、じわりと汗が滲んだ。
次の瞬間、周囲の魔族たちが、一斉にひれ伏した。
ついさっきまで人間を喰い殺そうとしていた牙の群れが、一匹残らず地に額をつけて伏している。
【死をもって、償うがいい】
どす黒く低い声がした直後――。
ゴロゴロ……。
岩盤が、得体の知れぬ巨大なものに引き裂かれるように、ザガンの数歩先で、ぐにゃりと歪んだ。
走った亀裂が、見えない巨大な爪に抉られたかの如く、瞬時に蜘蛛の巣状へと拡がっていく。
ばき、ばき、ばき、と岩が砕け、地響きが内臓を揺すり、視界の中央が縦に振られる。
大地に、巨大な口が開いた。
底の見えない、ただ黒いだけの、奈落。
光すら呑み込んで返さぬ闇が、戦場の中央に大穴となって覗いている。
「うわぁ……っ!?」「足場が――」「逃げ……ぐぁっ!?」
縁に立っていた者全てが――重力に従って、内側へ吸い込まれていく。
ひれ伏したままの魔族も、剣を構えたままの騎士も、術を放っていた奴隷も、姿勢の違いなど何の意味も持たぬまま、揃って同じ角度に傾いでいった。
ザガンの足の裏からも、唐突に支えが消える。
「あ」
胃の腑が、ふわりと持ち上がり、体が後ろへ傾ぎ、視界の中で空が大きく回る。
穴の底は見えなかった。
頭上に残った青空はみるみる遠ざかり、丸く切り取られた光の輪が、ザガンの目に小さく縮んでいく。
周囲では、騎士、奴隷、魔族、それらの区別がもはやつかない人影が、揃って同じ方向へと落ちていた。
悲鳴。怒号。祈り。
あらゆる感情が、暗闇の中で、上下も方角も失ったまま、ザガンの耳の脇を擦れ違っていく。
その騒乱のど真ん中で。
「……おっ?おっ?」
ザガンの目が、ふと、すぐ脇を捉えた。
手の届く距離を、銀髪の少女が落ちている。
仰向けの体勢のまま、必死に何かを掴もうとして両腕を伸ばしている。
下の防具が空気の抵抗で、ぺろりと裏返り――
「おっ……おおおーー!!!」
ザガンの目が、限界まで見開かれる。
「パンツ見えたーーー!!」
絶叫が、暗闇の中で反響した。
誰一人、振り返らない。振り返る余裕など、ここにいる者の誰にも残されていない。
それでもザガンの声は、自分の風切り音に逆らって、洞窟の壁の奥へ、奥へと、はっきり転がっていく。
白かった、可愛らしい犬のマーク付き。
死ぬかもしれぬ落下の最中に、目に焼き付いた一枚の白。
少なくともザガンの中の損益計算書では、頭蓋の天辺に氷の矢を打ち込まれた屈辱が、この瞬間、見事に黒字へと転じている。
彼女の方は、真横からの熱い視線を感じていた。
「……くっ、変態」




