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第20話 狂人は気づかぬ、彼女の異変:「シオン、あなたは何者なの?」

 ザガンは大きく目を開き、彼女のメイド服姿を下から上まで全て見る。

 普段はクールで毒舌。

 エッチな行動、言動をするだけで反撃するフィーナ。

 そんな彼女がメイド服姿を来たら絶対にエロい!と思っていたザガンは心の底から喜んでいる。


「やっとテメェのメイド服姿が拝めたぜ~。これぞまさに役得ってやつだな!」


 ザガンが今までフィーナのメイド服姿を見れなかった理由はたった一つ。

 出禁だ。

 フィーナが仕事を得られたのは良いが、店長を怒らせたことに変わりはない。

 ザガンは彼女の仕事場に一切立ち入ることが出来なかったのである。


「やっべ、その服着たテメェ見たらムラムラしてきたわ!抱かせろ!」


 どくん、と。

 胸の奥で、心臓がひとつ、無作法に跳ねる。

 喜んでもらえた……喜んでもらえた……喜んでもらえた。

 その気持ちでいっぱいである。

 

「却下よ。馬鹿なこと言ってないで、手を洗ってきなさい」


 突き放す声とは裏腹に、お玉を握る指先には、ほんのりと熱が灯っていた。

 誤魔化すように、彼女は竈へ向き直る。

 いくつもの鍋が、湯気を立ち昇らせている。

 普段の彼女は、宿代と奴隷印代を貯めるべく、食費を一銅貨でも切り詰めていた。

 卓に乗るのは薄いスープと固いパン、それが関の山。

 なのに今夜に限って、肉が焼け、香草を利かせた煮込みが、所狭しと並んでいる。

 なぜ自分がこんな手間をかけたのか。

 問い詰めてくる声が胸の底にあって、フィーナはそれを湯気ごと押し戻した。


「……なんか、今日、やけに多くね?」


 椅子に腰を落としたザガンが、湯気の向こうで首を傾げた。


「何? 不満なの。私の料理が、食べられないとでも言うのかしら」

「いいや。むしろ大歓迎よ。俺ぁ、これくらい毎日だって平らげられるぜ。なんせテメェの飯は、馬鹿みてぇにうめぇからなぁ!」

「……っ。そっ、そう」

「それに今日はテメェのメイド服姿のおかずだぜぇ~最高~!」

「……最低♡」


 また褒められた、と理解するのに、一拍。

 フィーナは慌てて鍋の方へ向き直り、立ちのぼる湯気で頬の熱を誤魔化した。

 ――それから。

 二人で卓を囲み、しばし、他愛のない時が流れる。

 けれど、フィーナの胸の底には、まだあの曇りが、燻ったまま居座っていた。

 確かめねば。


「ねぇ、ザガン」


 料理を頬張る男へ、フィーナは何気ない風を装って切り出した。


「……あなた随分と仲がいいのね。昨日話していた、あの人と」


 声は努めて平坦に。

 だが、卓の下――

 右手には、いつでも振り下ろせるよう、白く凝った氷の鉈が握られている。

 左の指先からは、薄い冷気が糸を引いて、ひたひたと床を這っていた。

 ザガンのことをただの仕事仲間。

 シオン本人は、確かにそう言った。

 言ったが――それは、あくまで"あの女の側"の言い分に過ぎない。

 ならば、男の側からも、裏を取らねば気が済まない。

 万にひとつ、答えがほんの少しでも食い違えば、その時は……。


「ん? あぁテメェ見てたのか」


 当の尋問相手は、卓上の修羅場にも、忍び寄る冷気にも、まるで気づいていない。


「私、今日帰りにあなたを迎えに行ったのよ。仕事が早く終わったから」

「そうだったのか? なら声かけろよ、水くせぇなぁ」


 骨つきの肉に、がぶりと喰らいつきながら。

 ザガンは、自分の首にいつ氷の刃が掛かってもおかしくないことなど、露ほども知らないのだった。


「あなたは彼女のことを……どう思っているのかしら?」

「彼女?」


 ザガンが不思議そうに首を傾げ、ようやく気が付いた。

 しまった、彼はまだシオンを女だとは知らない。この発言で気づいてしまう。


「なーに言ってんだフィーナ。あいつは男だぜ~。性別は間違っちゃいけねぇよ~」


 ――かちん、と。

 卓の下で、握りしめた氷の鉈が、行き場をなくして固まる。


 (気づかなかったのは良いけど、あなたが間違っているのよ!)


 喉まで出かかったその言葉を、けれどフィーナは呑み込んだ。


「ただの仕事仲間だぜ~。俺よぉ~今までの相方と仲良くなったためしがないんだわ。だから初めての友人って感じでよぉ~なんか、楽しんだわ!」


 仕事仲間……彼女が言った言葉と全く同じで安心したと同時に、不思議と嫉妬してしまう彼女であったが、後半の内容に思わず……。


「そんな言い方されたら、何も言えないじゃない……これからも仲良くできるといいわね」

「おう!」


 冷気がすうと指先へ引いていく。

 代わりに胸を占めたのは、安堵――そして、それを覆い尽くすほどの、奇妙な引っかかりだった。


 (そういえば、彼女、何で男装をしているのかしら……)


 布で胸を潰し、男物のシャツを羽織るボーイッシュな装い。

 確かに似合っていた。

 似合ってはいたが、それと隠すこととは、まるで別の話だ。

 しかも、よりにもよって土木建築の作業員。

 荒くれた男たちに混じって、重い資材を担ぐ仕事。


 目の前で、ザガンが手を振っているが彼女は気づかない。

 その声も、視界の端で揺れる手も、しばらくのあいだ、彼女の耳目を素通りしていった。


(シオン、あなた――いったい、何を隠しているの)


 彼女の中で、それだけが残った。


    *


 晩飯を食べ終わり、就寝時間。


「がぁーーーーがぁーーーー抱きてぇーーー!」


 腹をぼりぼりと掻きむしりながら、ザガンが世にも見事な寝言を放つ。


「……寝た、かしら」


 返事の代わりに聞こえてくるのは、ぐう、ぐうと、なんとも遠慮のない寝息ばかり。

 腹が満ちると、この男は卓から自分の寝台へごろりと転がり込み、ものの数分でこの有様になる。

 雷が落ちようが、まず起きはしない。

 フィーナは既にお風呂を済ませ、メイド服も脱いでいた。

 今夜、卓が肉と煮込みで埋め尽くされていた本当の理由を、当の本人は何ひとつ知らない。

 あの黒髪の女への――そう、認めたくはないが、対抗心も、なかったとは言わない。

 けれど、本当の狙いは、別にあった。


 たらふく食わせて、深く、深く眠らせること。


 そのための、ごちそうだったのだ。

 寝台の軋みを殺すように、フィーナはそっと、男の傍らへ膝をつく。

 窓の隙間から、細い月明かりが、ザガンの寝顔へ降りていた。

 頬の爪跡も、いつもの軽薄な笑みも、今は眠りの底で、あどけなく解けている。

 投げ出された、骨ばった右腕。

 その手首の内側、薄い皮膚の下を、青い血の管が、とくとくと脈を打っている。

 こく、と。

 フィーナの喉が、ひとりでに鳴った。

 舌先で、そっと自分の唇を湿らせる。

 いけない、と理性は囁く。

 けれど銀の睫毛の奥で、瞳はもう、とろりと熱を孕んでいた。


「……今日も、少しだけ。ほんの少しだけよ」


 誰へともなく言い訳を漏らし、フィーナは形のいい唇を、男の腕へと寄せていく。自身の体をさらに近づけ、密着。

 腕を絡ませ、胸を挟み、逃がさないように……。


 かぷり。


 覗いた二本の小さな牙が、薄い皮膚を、可愛らしく食み破る。

 ザガンの腕が、眠りの中でぴくりと跳ねた。

 だが、目を覚ます気配はない。


 ちゅ、ちゅう――。


 にじんだ紅を、フィーナは仔猫がミルクを舐めるように、控えめに、けれど確かに、吸い上げていく。

 ……甘い。

 こくり、と喉を鳴らすたび、胸の奥へ、温かなものが満ちていく。

 頬が火照り、長い耳の先が、じんと朱に染まっていった。

 名残惜しげに口を離し、フィーナはちろりと舌を覗かせ、にじんだ紅の跡を、ぺろりと舐めとった。

 牙の痕は、もう塞がりかけている。

 明日にもなれば、ザガンは虫にでも刺されたかと、首を傾げる程度だろう。

 いつものように。

 旅を始めてからずっと、この一週間も、ずっと。

 彼女は夜ごと、こうして眠る男の血を、こっそりと啜ってきた。

 血で濡れた唇のまま、フィーナは眠る男の顔を、じっと見下ろす。


「……あなたは、私の奴隷なのよ」


 囁きが、夜の静寂に、淡く溶けていく。


「……全部、私のもの。私だけの、ものなの♡」


 白く細い指先が、すう、と男の頬の爪跡をなぞる。

 その指先からは、知らず知らず、薄い冷気が糸を引いてのぼっていた。


「だから――もしも」


 声が、ひとつ、低く沈む。


「もしもあなたが、私の手を離れて、あの女のところへ行くようなことがあれば」


 なぞっていた指が、男の喉元で、ぴたりと止まる。


「次は、蹴り飛ばすだけじゃ――済まないんだから♡」


 脅し文句にしては、あまりに甘く、掠れた声だった。


「……ばか♡♡♡」


 ことり、と。フィーナは、男の隣へそっと身を横たえた。

 冷えていたはずの寝台が、男の体温で、ほんのりと温かい。

 その温もりに、銀の睫毛を伏せながら――彼女はまだ、気づいていない。


 フィーナが、ザガンに夢中になっている、この夜の間。

 シオンの身にとんでもないことが起こっていることに……。


        *


 同時刻。ホテル……。


「んっ」


 部屋の一室、シオンは作業服の男にベッドに押し倒された……。

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