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第18話 狂人、仕事仲間を見つける:ヴァンパイア、浮気相手を見つけた

 銀の睫毛の上から、指でそっと目元を擦る。

 一度、二度。それでも柵の向こうの光景は、滲みも歪みもせず、フィーナの前にくっきりと居座り続けていた。

 間違いない。

 ザガンの隣で、肩を寄せ合うように笑っているのは、女性だ。

 短く切り揃えた黒髪。小さく、可愛い顔つき。

 確かに一見すれば男に見えなくもないが、ボーイッシュ風な姿がよく似合っている。フィーナの目はひとつ残らず「女のもの」だと告げていた。

 胸は、ないに等しい。

 けれどそれは生まれついての平らさではなく、何か硬い布のようなもので無理やり押さえつけ、殺している――そういう、不自然な平らさだった。


 (私よりも……可愛い、かも)


 大人の色気さで言えば、フィーナに軍配が上がるが、

 単純な可愛さで言えば、シオンの方が勝っている。

 ぽつり、と落ちた声は、自分でも意外なほど低く、底のほうで凍えていた。

 その呟きに応えるように、足元の石畳から、ぴき、ぴきと、霜の細い罅が音もなく這い広がっていく。

 一方で腹の底では、霜とはまるで正反対の、煮え立つような熱が、ぐらぐらと渦を巻きはじめていた。


「……何かしら、この感じ」


 形のいい眉を寄せる。


「例えるなら、そう――長く飼っていた犬が、ある日ふらりと現れた他人に、尻尾を振って懐いている。それを、少し離れたところから眺めているような……ええ、まさしく、そんな気分だわ」


 言い得て妙、とでも言いたげに、彼女は深々と頷いた。

 もっとも――それが世のなかで「嫉妬」と呼ばれる、ありふれてみっともない感情の一種であることに、フィーナはまるで気づいていない。

 柵の向こう。

 シオンと呼ばれる女は、ザガンの語る何かに、けらけらと喉を鳴らして笑い転げていた。


「――でよ、あんときゃマジで死ぬかと思ったぜ!」

「あはは。君の話って、どこまでが本当なのか分からなくて面白いよ」


 眠たげな目を細め、シオンがするりとザガンへ身を寄せる。

 誰に対しても遠慮なく距離を詰めるのは、この女の生まれついての癖だ。


「それでよ、あんの野郎、おっぱい触っただけで俺の股間蹴り飛ばしてきてよ!酷くね?ひでぇーよな!シオン!」


 気を良くしたザガンが、その肩を右手でがしりと掴む。

 遠慮も加減もない、骨ばった手のひら。


「あはは、それは君が悪い気がするけどなぁ~。確かにやりすぎな感じもあるかな」

「だろ!だろ!」


 くすぐったそうに身をよじりながらも、シオンは振りほどこうとはしない。

 その、なんでもない一幕。

 ザガンの手のひらが、無造作に他人の肩へ置かれたその瞬間。

 フィーナの握りしめた拳のなかで、白い冷気が、しゅう、と細い糸を引いて漏れ出した。


 (――何よ。私には、そんな顔、一度だって見せたことのない癖に)


「……っ」


 奥歯を、ひとつ強く噛む。

 応じてもう一段、足元の霜が間合いを広げ、柵の鉄が白く凍て、ぱきりと小さく鳴いた。


「しっかしお前、細っこいナリして力あるよなぁ。やっぱ男は細マッチョが一番だぜ、なあ?」

「……さあ。どうだろうね」


 シオンが、意味ありげに口の端だけで笑う。


 (その人、女よ。女。……どうして気づかないの)


 柵の陰から、フィーナの唇が、声にもならない呟きを漏らす。

 応じて足元の霜が、また一寸、間合いを広げた。

 ザガンはシオンを男だと信じきっている。

 目の前の相手が女かもしれぬ――そんな疑いは、あの単純な頭の隅をかすめもしないのだ。

 胸を布で潰し、男物のシャツを肩へ引っかけた中性的な美貌を、ザガンは疑わず、「気の合う男の同僚」として受け取っている。

 その鈍さが、フィーナにはいっそ信じられなかった。

 自分の目には一瞥で「女」と映ったものが、毎日顔を突き合わせるあの男には、なぜ見えていないのか。


 (ばかなの? ……いえ、ばかなのは元から知っていたけれど。ここまでとは思わなかったわ)


 半眼で見張る視界の中、二人の談笑には途切れる隙間すらない。

 むしろ話は弾む一方で、休憩が終わる気配もなかった。


 (いっそ私も、土木建築の仕事に変えてみようかしら)


 ふと、そんな考えが頭をかすめる。

 メイド服の屈辱に比べれば、木材を運ぶ程度どうということもない。

 考えかけて、彼女はふいに別の不満へ行き当たった。


 (ダメよ。私はまだメイド服姿を、一度も見せていないんだから)


 メイド喫茶で働くことになったのは、確かに詫びだ。 

 けれどその理由のいちばん奥に、ほんの小さな別の欲が混じっていたことを、認めたくはないが、彼女自身は知っている。

 そうして睨み続けるうちに、ザガンが資材を担ぎ、シオンに背を向けて歩き出した。作業に戻るらしい。

 シオンの方は壁にもたれたまま動かない。


 (仕事が遅いわね……。でも、彼女はまだ休憩中みたい)


 仕事中に話しかけていいのか、という当然の疑問は、今のフィーナの頭からはきれいに抜け落ちていた。

 会話が途切れた今がチャンス。

 霜を踏みしめ、柵の隙間から現場に滑り込み、まっすぐにその背へ歩み寄る。


「ねぇ、あなた」


 声をかけられたシオンが、けだるげに振り返る。

 眠たげな目が、銀髪の美貌をひと撫でして、ふっと興味の色を帯びた。


「ん?僕に何か用?」

「少し話があって……あの男とは、どういう関係なの」


 胸の下で右腕に左の肘を預け、所在なげに身を縮める。

 問いを口にしてから、フィーナは(初対面の相手に失礼だったかしら)と遅れて気づいた。


「あの男?」

「ザガンよ。あの、筋肉ばかの」


 シオンは特に気にする様子はなく、面白そうに小首を傾げてみせた。


「ああ、ザガン君のことか」


 言いながら、その視線が、周囲に集まりかけた他の作業員へちらりと流れた。

 休憩中とはいえ、ここが仕事場であることを、この人物は忘れていないらしい。


「まだ僕、休憩時間だから。それまでだったら付き合うよ」

「それでいいわ」

「分かった。あっちに行こうか」


 シオンが顎で示したのは、資材置き場の陰。

 人目から外れた、木材の山の裏手だった。

 誘われるまま、フィーナはついていく。


「それで。ザガン君とどういう関係かって、質問だったよね」


 木材に背を預け、シオンは緩く腕を組んだ。男物のシャツの、開いた首元から覗く鎖骨が、妙に無防備に見える。


「普通に仕事仲間だよ。一緒に資材を運んで、一緒に飯を食って、たまに酒を飲む。それだけ」

「ほっ、本当に?」

「初対面で信じられないっていう気持ちも分かるけど、本当のことを言っているよ。僕とザガン君は何の関係もない」

「そっ、そう」


 その言葉を聞いて、フィーナの心は少しだけ安堵した。

 一方、シオンの視線はしっかりとフィーナを見ていた。

 銀髪から長い耳、白い指先までを、ゆっくりと一巡したのを――彼女は見逃さなかった。


「……何よ。じろじろと」


 シオンの口の端が、ほんの少しだけ持ち上がる。


「銀の髪に、青い瞳、僕と同じくらい細身、胸は大きい。ねえ君、もしかして、ザガン君と一緒に暮らしてる子?」


 心臓が、ひとつ大きく跳ねた。


「……どうして、それを」

「ついさっきだよ。ザガン君が君らしき人のことを上機嫌でべらべら喋ってたんだ。名前は、フィーナ君。で合っているのかな?」


 (名前も……彼はどこまで喋ったのよ)と心の中で思うフィーナは呆れた物言いで答えた。


「そうよ……」

「良かった。僕の名前はシオン。今後ともよろしくね」

「えっ、ええ」


 差し出された手を、フィーナは思わず握る。

 ぐっ、と短く力のこもった握手を交わすと、シオンのほうから先に手を離し、両手を背に組んだ。

 そうして、もう一度フィーナの全身を、ゆっくりと検分する。


「ザガン君から聞いてはいたけど。本当に、美人さんだね」


 とん、と。胸の奥のいちばん柔らかいところで、温いものが流れてくる。

 ザガンが――あの男が、自分のことを。綺麗だと。

 頬の裏に、じわりと熱が灯りかける。

 その熱を、フィーナは奥歯を噛んで喉の下まで押し戻した。


「……別に。あの男が何を言おうと、私には関係のないことよ」

「ふうん?」


 シオンが、眠たげな目をわずかに細める。

 何かを察したようだ。


「ねえ、君さ」


 その時、シオンが身を乗り出してきた。


「もしかして――ザガン君の、彼女だったりするのかな?」

「はっ……はぁーーー!?」


 フィーナの声が、見事に裏返る。耳の先まで、かあっと朱が差した。


「だっ、誰が!あんな下品で変態で無神経で、四六時中腹を空かせているような男の――彼女、ですって?とんでもない言いがかりだわ。私はただ、あの人の」

「ただの~?」


 シオンはさらに興味津々な表情で問い詰める。


「――ただの……ご主人様、なだけよ」


 しん、と。

 資材置き場の空気が、妙な具合に固まった。

 シオンは、ぱちりと一度まばたきをする。

 それから、こらえきれないというふうに、肩を震わせはじめた。


「……ふっ、ふふ。ご主人様。そっか、ご主人様か。ザガン君って、フィーナ君の奴隷だったのか」


 心底おかしそうに笑い、滲んだ涙の端を指で拭う。


「何がおかしいのよ……」

「いや、ザガン君の話を聞いてた時からずっと付き合っていると思ったんだけど、あまりにも予想外で」


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