第16話 狂人とヴァンパイアの旅の果ては、仕事探し!?:「メイドなんて、やるわけないでしょ!(やります)」
声にならない不満が、胸の奥でぽつりとくすぶる。
どうやら彼女はソフトタッチではなく、彼のゴツイ手に揉まれたいと思ってしまったらしい。
名残を惜しむように指で髪先を触る彼女。
はっと我に返って、何食わぬ顔でその手を腰へ戻す。
「とっ、とにかくどんな形であれ、私の勝ち。約束通り、今日からあなたは私の奴隷ね」
「チッ、しょうがねぇなぁ~。テメェの奴隷になってやんよ」
投げやりな返事のあとで、ザガンが、何かを思い出したように上体をがばりと起こす。
氷板がぐらりと揺れ、彼女の引く冷気が一瞬だけ乱れた。
「ちょっと待て、テメェに確認しなきゃいけねぇことがあったわ」
「何よ」
「奴隷になって護衛すんのはこの際構わねぇ。けどよ、それ、どんくらい続くんだ。守り続けるって、いつまでの話だよ」
「……そうね。三年、といったところかしら」
「さっ、三年ぅ!?」
「えぇ。私の命を狙う者たちは、あと三年で――私を追うのをやめるから。だからあなたが覚えておけばいいのは、たったひとつ。三年のあいだ、私を守りきること。それだけよ」
なぜ三年なのか。誰が、何のために追ってくるのか。彼女はその一切を、唇の内側へ仕舞い込んだまま語らない。
その横顔に差した陰が、夜のせいなのか、別の何かのせいなのか。まだ彼女の信用を半分も得ていないザガンには、確かめる術もなかった。
「何か納得できねぇけど、まぁ分かった……分かったけどな……」
ぼやきながら、男はふたたび、ごろりと氷の上へ倒れ込む。
星ひとつ見えない曇り空を、所在なく見上げて、数拍。
「って、ことはよ……あと三年も、テメェを抱けねぇってことかぁーーー!!!!」
「うるさい。舌を噛むわよ」
(三年後、私はザガンに……。心の準備をしておかないとね……)
絶叫が森の闇に吸い込まれ、フィーナはわずかに氷板を加速させた。
こうしてザガンとフィーナは、魔王城を背にした最南端から、西の国を目指して歩き出した。
歩けば、魔族が湧く。
魔王城の影が薄れたぶん、洞窟で見たような不死の軍勢はもういない。
湧くのはせいぜいD級からC級――腹を空かせた獣の延長のような連中だ。
ザガンは右手一本に双剣の片割れだけを握り、低く沈んで滑り込む。片腕になってからというもの、彼の踏み込みはかえって鋭くなっていた。守るべき盾がもう半分しかないと、体が勝手に理解しているのだろう。一閃で魔狼の喉を裂き、返す踵で別の一匹の顎を蹴り上げる。
「八匹だ!俺のかっ」
「私が十一であなたの負け」
彼女は指の先で白い霧を編み、寄せ手をまとめて氷漬けにしてから、砕けた魂核の光だけを胸へ吸い上げていた。
あの洞窟以来でも、こうして暇があれば勝負をしていた。
日が落ちれば、火を起こす。
倒した魔族の肉を串に刺し、ザガンが焚き火の上で炙る。
脂が爆ぜ、煙が夜空へ立ちのぼっていく。
「ほれ、焼けたぞ。……って、テメェはそっちかよ」
「うっ、うるさいわね♡」
フィーナは肉には目もくれず、彼の差し出した腕の、手首の内側へ唇を寄せていた。
常人の倍は血を持つこの男は、彼女にとって歩く食料庫である。
小さな牙が浅く沈み、こく、こく、と喉が鳴る。
――やっぱり、美味しい。
同じ者の血を吸い続けると、その者に妙な愛着が湧く。
そんな自分の変化に、彼女はまだ気づいてすらいなかった。
気づかないまま、ほんの一口だけ、いつもより長く吸ってしまう。
「おい、吸いすぎだっつーの」
「……きっ、気のせいよ♡」
唇を離し、ぷいと顔を背けて、彼女は何食わぬ顔で肉を焼く男の隣に座り直す。
他愛のない話が、夜ごとに交わされた。
明日の天気、次の獲物、ザガンのどうしようもない欲望と、それを切って捨てるフィーナの一言。中身などないが、途切れもしない。
それが、ただ心地よかった。
*
旅の半ばで、村の跡に行き当たった。
木の柵は崩れ、井戸の縁には苔が分厚く張りついている。
家々の屋根は内側から落ち、割れた窓から伸びた雑草が、夜風に黒い影を揺らしていた。
人の声はなく、家畜の鳴き声もない。
何年も前に、魔族に襲われて滅んだのだろう。
骨が、いくつか転がっていた。
風雨にさらされ、もはや誰のものとも知れない、白い欠片。
「女はいねぇ~か」
ザガンは骨のひとつを爪先で軽く転がし、それきり興味を失う。
フィーナもまた、足を止めはしなかった。
人間が何人死のうと、彼女の胸は一度も痛んだことがない。
――けれど。
崩れた家の壁に、母親らしき骨が、小さな骨をかばうように覆いかぶさっているのを見たとき。
彼女の足が、ほんの半歩、遅れた。
「……どうした」
「何でもないわ」
銀の睫毛を一度だけ伏せ、彼女は何事もなかったように歩を進める。
収穫は、思いがけず大きかった。
多少汚れている衣服。
倒れた行商人らしき亡骸の脇に、革の鞄が転がっていたのだ。
中には多少の銅貨と銀貨、塩漬けの干し肉、そして、三枚の通行手形。
西の国への入国を許す、正規の手形だった。
「おいフィーナ、見ろよこれ。手形だぜ、手形」
「……運がいいわね。これで門をくぐれるわ」
死人の持ち物を漁ることに、二人とも何の躊躇もなかった。
むしろ、これで難所が消えたと、ザガンなどは口笛まで吹いている。
村の沈黙だけが、二人の背中を、そっと見送っていた。
*
川辺で水を浴びるフィーナを、ザガンが岩陰から覗こうとして、その日三度目の悲鳴を上げた。
「あーーーー!!!あと少しでびーちくが見れたのにぃーーー!!!」
言い終わるより早く、彼の眼前に分厚い氷の壁がせり上がる。
鼻先を打たれて仰け反ったところへ、横合いから突き出した氷の掌が、男の体を遥か後方へと弾き飛ばした。
「変態」
「ちょっとくれぇいいじゃ、ぼはっ!!!」
負けじと角度を変えて忍び寄ったが、氷の塊を投げられた。
フィーナは肩まで水に沈めたまま、銀髪を耳にかけ、深いため息をひとつ落とした。
(本当に、どうしようもない男)
そう吐き捨てた声の、その奥のほうが、ほんのり熱を持っていることには、やはり彼女自身が気づいていない。
*
そうして二人は、西の国:「ホロブカモ」へとたどり着いた。
国境には、灰色の石壁が長く横たわっていた。
見上げれば首が痛むほどの高く、表面に幾筋もの修繕の跡が走っている。
門の手前で、フィーナがふと足を止める。
最後に指先で耳の先をきゅっと摘み、隣を歩く男の、ごく平凡な人間の耳と同じ丸みになるまで、そっと形を整えた。
フードを被ったのは、この都市のどこかに、自分の命を狙う者が紛れているかもしれないからだ。
「あなたは、余計な口を利かないで。手形だけ見せて、さっさと通るわよ」
「へいへい」
門番に通行手形を差し出すと、男は一瞥しただけで顎をしゃくった。
死人の手形だと疑わぬまま、二人は堂々と入国を果たす。
門をくぐった、その先。
石畳の道が、まっすぐ街の奥へと伸びていた。
両脇には、白い木の梁を組み合わせた家々が、肩を寄せ合うように軒を連ねている。
焼きたてのパンの匂い。荷車の車輪が石を噛む音。
果実の山と、吊るされた肉と、行き交う人、人、人。
「うおおっ、すげぇ人いんな!なぁ見ろよフィーナ。テメェよりも胸のでけぇ姉ちゃんがそこら中に――いてっ」
はしゃぐ男の足を、フィーナがフードの陰から無言で踏みつける。
彼女の青い瞳は周囲を見渡す。
今のところは居ないと安心するも、警戒を怠らない。
フードの縁を指先でそっと押さえながら歩く。
西の国に来た理由は、彼女の命を狙う追ってが居る可能性が低い国であることと、ザガンを奴隷にするためである。
だが、街に入って半刻もしないうちに、二人はさっそく、最初の壁に突き当たる。
――金がない!
村の亡骸から拝借した銭を、フィーナは路地の陰でそっと数え直した。
手のひらに乗るのは、わずか数枚の銀貨きり。
奴隷紋を刻むには、奴隷印を買う必要がある。
そして、奴隷印は金貨数枚はくだらない。
宿に泊まれば銅貨が飛び、飯を食えばまた飛ぶ。
この銀貨など、数日ももたずに溶けて消える額だった。
「まずは、仕事を探しましょうか」
「そうだったなぁ~やりたくねぇなぁ~。ハンターがいいぜ、ハンター。魔族ぶった斬って金になるんだろ、楽勝じゃねぇか」
「話し合いで決めたでしょう。ハンターはある程度お金を貯めて、装備を整えてからにするって。今の私たちの格好を見なさいよ」
フィーナは自分の来ている服を広げた。
それは銀貨と同様、村から盗んだ服。
道中で手洗いした軽装備。
「こんな装備でこの世界で一番危険とされているハンターなんて……稼ぐ前に死んで終わりよ」
「はぁ~だよなぁ。めんどくせ~」
「面倒でも生きるためよ」
二人は当てもなく、人波に流されるように大通りを歩く。
ザガンの視線は当然のように、道沿いの店先の女たちへと吸い寄せられていった。
酒場の看板娘、果実売りの娘、すれ違う商家の奥方。
そのことごとくに鼻の下を伸ばし、フィーナに足を踏まれ、また伸ばす。
そんな男の足が、一軒の店前で、ぴたりと止まった。
「おぉー!! メイドもあんのかよぉーー!!」
看板に描かれていたのは、フリルのついた前掛けと、肩や胸元を大胆に覗かせた給仕の娘の絵姿。
客に飲み物を運ぶ、賑やかな酒場兼食堂のようだった。
ザガンは硝子越しに店内を覗き込み、目をキラキラと輝かせる。
「一度でいいから、行ってみてぇもんだぜ。ああいう可愛い姉ちゃんに、ご主人様~って呼ばれてよぉ」
「ふ~ん。あなた、ああいうのが好きなのね」
「あったりめぇだ!」
「ふ~ん。そう」
興味のない声音で相槌を打ちながら、フィーナの目だけが、わずかに看板を見上げていた。
(ああいう服が好きなのね。・・・。興味はないけれど、一応、覚えておこうかしら)
なぜそんなことを頭の隅に書き留めたのか、その理由を、彼女自身もまだ言葉にできない。
「テメェのメイド服姿も、見てみてぇーもんだなぁ~」
「はぁ!?私が、あんな服を着るわけないでしょう」
肩も胸元もあらわにして、見知らぬ人間の男たちに頭を下げる。
想像しただけで、銀の眉がきつく寄った。
「そんなの、私がするわけないでしょ」
「勿体ねぇな~。絶対に似合うのに」
「っ!きっ着ないったら着ないから!」
きっぱりと言い切って、彼女はフードの縁を引き、店先から踵を返した。
「絶対に着ないからね!」
*
一週間後。
「いっ、いらっしゃいませ。ご……ご主人様……」
(ザガンーー!あなた、本当に許さないんだから)
あとがき
ヤンデレの目覚めに必要なのは、嫉妬だ!!!と変態作者は思った……。
そう!大いなる嫉妬によってぇーーー!!!




