アワイチ
アワイチとは淡路島一周の略である。
全長150kmで大体朝からロードレーサーで走って夕方前に走り終わる丁度良い距離。
勿論、島内の観光スポットを巡ればもっとかかるけどね。
どうも影打君がアワイチ チャレンジライドに出たいらしい。
何時の間にかロードレーサー(T◯EK Mad◯ne SLR)を買っていたのだ。
兵庫県南側はTR◯Kの専売店が複数ある重点販売ポイント。
影打君も須磨の専売店で即決したらしい。
200万円もするんだよ。
褒賞金はもうだいぶん使ったよね。
また、当分はバイト生活じゃないか。
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チャレンジライド当日の早朝。
影打君は先般のスタンピードの傷跡が色濃く残る明石駅に降り立った。
周りには影打君と志しを共にするレーサー達がそれぞれの愛車を組み立てている。
影打君は俺のマシンが1番だと見下ろしている。
ちょっと良く無いよそんな事は。
みんな自分のマシンが最高なのだ。
そこの人なんてデローザ(DE ROSA)のSETTANTA(70周年記念モデル)じゃないか。
良い趣味してる値段も300万円だよ。
なに、性能では勝ってる?
確かに浜風吹きつける淡路島ではそうかもね。
組み立ては終わったかな?
じゃあ、行こうか明石と淡路島を繋ぐ汽船「淡路ジェノバライン」へ。
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明石駅から2分ほどジェノバラインの乗り場に到着だ。
運賃700円に自転車持300円をはらい乗船だ。
暫し待った後に船が動きだす。
明石海峡の流れは激しいが案外安定した乗り心地。
今日は秋晴れ視界には鮮やかに明石大橋と繋がる緑の淡路島。
⋯絶好のライド日和だ。
船に揺られて13分淡路側に到着だ。
我先にロードレーサーを担ぎ飛び出して行く人々。
スタート地点の国営明石海峡公園を目指すのだ。
影打君は最後尾、だがその顔には獲物を見定める猛禽類の眼光が宿っている。
公園に参加者は並び立ち今かといまかとスタートを待つ。
君達、今回はレースじゃなくてチャレンジライドだからね忘れない様に。
「5.4.3.2.1.スタート!」旗が振り下ろされる。
ドロップハンドルを握る力が体幹を通して脚に伝わりペダルを回す。
「カシャ、カシャ!」と滑る様にディレイラー(変速器)が切替わっていく。
誰だ先頭に立つのは?
影打君だ!
その圧倒的な身体能力に物を言わせて変速を最小限にしていたのだ。
だが⋯
「待ち給え先頭の君!ここは50km制限だ」
しまった!
制限速度の壁があったか!?
そう、アワイチでは通常のロードレースにおける制限速度の開放は無い。
通常の道路交通法が適用されるのだ。
ならばこのレース(レースではない)に勝つ為にはどうするか?
そう!制限速度が変わる境界でのブレーキングと加速勝負。
如何にピタリと速度を合わせられるか制限速度に均一な速度を保てるか。
更に淡路島南部の激しいアップダウンに対応できるかがポイントになる。
超人スポーツと化したこの世界。
決め手となるのは最大の力だけでは無いのだ。
民間でも公的でもルールに適合もしくはルールの穴をついた者が勝つのだ。
まるでモータースポーツの様に。
今日の東海岸は僅かに追い風。
この世界での風は均一な速度を保つには厄介な敵だ。
須磨海岸を流れる国道2号線は非常に風が強く定速巡航が難しい。
それに比べれば凪に等しい。
スタートから約40kmのホテルニューアワジが有名な洲本へカラフルな魚群がなだれ込んで行く。
順位は変わらず影打君が先頭だがレース(レースではない)は先ほども言ったが南部のアップダウンとコーナーが勝敗を左右する。
まだ、身体をアップしている段階だ。
風が強くな ってきた。
誰もが後ろから押され速度を押さえるのに苦心し始める。
南部のアップダウンを前に繊細なペダリングとブレーキングの技術が試される。
ここは若いレーサーよりもベテランに軍配が上がる。
2番手を走っていた赤いレーサーに並ばれた。
影打君の力は繊細なコントロールには向いていない。
先日の投球でも証明された事だ。
徐々に赤いレーサーが前に出る。
思わず制限速度を超えて加速しようとする心を自制する。
「まだだ。勝負はこれからだ」
そして市街で軽くカーブをなぞり⋯来たぞ本日のメインステージ阿那賀~福良~灘の絶景のヒルクライムだ。
標高608mの諭鶴羽山はダンジョン時代前では速度10km以下になる事も少なく無い激坂が続くアワイチ最大の難所、そして急カーブも続のだ。
「カシャカシャ」と全員のディレイラーの音が響く。
山岳に備えギアが軽くなる。
そして、坂を駆け上がる。
全員法定速度どうりなのだ。
ダンジョン時代では激坂も平地同然。
コース取り重要だ。
カーブでのアウトインアウト、少しの減速も許され無い。
だから⋯
タイヤのグリップを失った者が雑木林に吹っ飛んでいく。
そう、ダンジョン時代、特にアワイチの様な定速レース(レースではない)では兎角転がり抵抗を無視してもハイグリップタイヤが勝負の決め手だ。
勿論、影打君のマシンは最高級、タイヤだって最高だ。
転がり抵抗が低い上でのハイグリップ。
難なく激坂カーブを登っていくのだ。
だが先頭の赤いレーサーは少しもコースにブレが無い。
相当にアワイチを知りつくているらしい。
少しも距離が詰まらない。
やがてアワイチの中間地点とも言える灘黒岩水仙郷に向けダウンヒルの開始だ。
こちらも急坂、スピードが勝手に速くなるのをコントロールしながらのアウトインアウト。
しかし、こちらはダウンヒルだ。
カーブ中にもスピードは増す中でのブレーキングは容易にタイヤがロックされグリップを失う。
これで脱落者は16人。
そして灘黒岩水仙郷前を集団が走り抜ける。
尿意を我慢出来なかった者がトイレへ駆け込む。
灘黒岩水仙郷は例年12月下旬から2月下旬が水仙の見頃となり、この時期に走るなら、水仙の甘い香りが漂う中でライドを楽しめるのだ。
サイクリストにも優しいトイレや自販機も完備されてある。
オススメのスポットだ。
さあ、細かいアップダウンを繰り返しとうとう最後のダウンヒルポイント。
仁頃から福良にかける先ほどよりはやや緩い下りだ。
だからと言って油断など出来ない。
歯を見せた瞬間に魔物は襲いかかるのだ。
例えばこんな風に。
「イノシシ型モンスターだ!道を塞いでいるぞ!」
赤いレーサーからの怒声が上がる。
だが巧みにマシンを操りモンスターの脇のカーブを駆け抜ける。
しかし影打君が通る時にはモンスターは丁度クリッピングポイントに立ちはだかるのだ。
どうする、大ピンチだぞ?
そんな私の心配を他所に影打君は迷い無くビンディング(脱着ペダル)からシューズを外しモンスターにドロップキックを放ちカーブを強引に加速し抜ける。
流石、影打君に力技をやらせたら右に出る者はいないね。
さあ、西側海岸沿い「淡路サンセットライン」だ。
近年は開発も進みおしゃれなカフェやレストラン、観光施設が次々とオープンしているし、夕日を背にサイクリングは最高のシュチュエーションとなるんだ。
7時出発である影打君達はマダマダ昼食には早い。
残念ではあるが沿道を走り去る。
残りは30kmほど先頭からは2mなのだ。
これが詰まらない。
もどかしい。
影打君の脚から燐光が漏れ出すが直ぐに収まる。
そうだ、感情をコントロール出来ないとレースには勝てない。
赤いラインを見定めてた上でより効率的な走りを探すんだ。
これは後ろだからこそ出来る勝機になる。
ジリジリと先頭からの距離が縮まる。
10kmが過ぎ先頭からは1mもうすぐだ。
赤いサイクルジャージが視界を覆う。
更に距離を詰める。
ホイールが触れ合うギリギリだ。
ラインの効率化を出来る差では無いぞ。
もう海峡公園内のゴールは目前だ。
車間距離は既に無く先頭にはホイール1つ分。
見えたぞ勝機が。
ゴールは公園内なのだ。
つまりは公道では無いから速度制限は無い。
⋯スプリント勝負だ。
「ふぅ⋯」影打君が息を吐き全身の筋肉に力を漲られる。
勝負の準備はOKかい?
競い合う赤を見る。
彼も深呼吸しているな。
影打君と同じ事を考えている様に見える。
じゃあ、ラストスプリントの開始だ。
公園の境界を2人は踏み越えた。
赤色の影が、爆発的な加速で突き放しにかかる。
対する影打君は、限界を超えて軋む大腿筋を、無理やり踏み抜いた。カーボンフレームが悲鳴を上げ、後輪が路面を激しく蹴り上げる。
二つの影が、時速150キロを超える超高速域で、もつれ合うように重なった。
火花が散るような競り合いの中、赤色ジャージの選手の荒い息遣いが生々しく聞こえる。
残り50メートル。
視界から色が消え、ただ一本の白い線ゴールラインだけが網膜に焼き付く。
影打君はサドルから腰を上げ、最後の「一踏み」にすべてを懸けた。
ハンドルを投げ出し、フロントタイヤがラインを通過し様としたその瞬間。
隣の赤色が、視界の隅へと後退した。
「…獲った」
肺に残った最後の空気を吐き出し、影打君は勝利を確信した。
影打君のチャンピオンジャージ(自分が勝つ前提で買った)が、本物の栄光を纏ったように見えニヤリと歯をみせた。
だが、その一瞬の隙にその横を眩しいばかりの光速の閃きが貫いた。
僅かタイヤ1つ分の差で差し切られたのだ。
「なにィ!?」影打君の悲鳴が上がる。
あ~あ、だから言ったのに歯を見せた瞬間に魔物は襲いかかるのだ。
例えばこんな風にね。
勝ったのは探索者の伊藤 庄司。
スキル「加速」を持つ黄色いジャージを着た有望な若者だ。
スプリントとなれば「加速」は無類の力を発揮する。
影打君の強引な力よりスマートなのだ。
何せ影打君が力を入れ過ぎるとマシンが保たないからね。
影打君の方が最高速は高くとも瞬間的な勝負では「加速」には敵わないのだ。
影打君は力をなくしてマシンごと公園を横たわってしまった。
秋晴れが恨めしく突き抜けている。
アワイチ チャレンジライドの終了まで影打君は空を見ていた。
呆然自失。
まさにその通りだ。
スタッフの起こされ「淡路ジェノバライン」に乗り帰路に着く。
ぼーっとした思考で明石から自宅までペダルを回す。
軽くシャワーを浴び就寝した。
うん。
まあ、そんな時もあるよ。
今回は最後の詰めが甘かったね。
ペダルを踏みきっていれば勝てたのだけど。
次があるよ。
今度は速度制限無しのレースに行こうじゃないか。
きっとチャンピオンジャージが輝くはずさ。
そんな生活の理由は明白だ。
人々を救う希望の光。
つまり「ヒーロー」だからだ。
⋯今日は「ヒーロー」になれなかったね。




