第八話:それでも、あの春は確かにあった
その晩、俺たちはシェルターの中で眠ることになった。
正直、寝る気なんて起きないんじゃないかと自分でも思ってたのに、
案外あっさりと、眠りに落ちた。
空調が快適すぎたせいかもしれない。
やたらと高級そうな布団が敷かれていたせいかもしれない。
それともただ、心も身体も、もう限界だったのか。
目を閉じるとすぐに、意識は深く沈んでいった。
あれだけの出来事をくぐり抜けた後だというのに、いや、むしろそうだったからこそ、俺の脳は無理やりにでも“休息”を求めていたのかもしれない。
そして、気づけば俺は、夢を見ていた。
遠く、遠く。
もう手の届かない場所にあると思っていた“昔”の景色が、突然鮮明に目の前に現れた。
いや、そんなに昔でもないか。
たかだか一年前だ。
去年の春。四月。
進級して、二年生になったばかりの頃。
クラス替えで出会った“彼女”に、俺は一目惚れした。
名前も、知らなかった。
話したことも、なかった。
最初はただ、遠くから見てるだけだった。
でも、それだけで充分だった。
笑顔が、ほんとうに可愛かった。
誰と話すときも、ふわっとした雰囲気で、優しくて、でもそのくせ意外と天然なところもあって。
どこか、夢の中の登場人物みたいな存在だった。
教室の中で、彼女の笑う声が聞こえるだけで、俺の一日には意味があった。
彼女が誰かに何かを話している姿を見るだけで、なぜか俺は世界の全部を許せる気がした。
名前を知った時は、ほんとに飛び跳ねそうなくらい嬉しかった。
その名前を、俺は何度も心の中で繰り返して、まるで呪文みたいに唱えてた。
……バレバレだったらしい。
ハルマに速攻で気づかれた。
「ユノちゃんのどこが好きなの?」
「もう告っちゃえば?」
そんなふうにからかわれて、最初は正直、ちょっとウザかった。
でも、嬉しくもあった。
「どこが好きなの?」って聞かれても、答えきれないくらい、好きなところがありすぎた。
目を細めて笑うとことか、たまに変なところで言葉を噛むとことか、意外と頑張り屋なとことか、小さくうなずく癖とか。
そういう細かいところ、全部。
もう、ぜんぶ。
そんなある日、たまたま。
本当にたまたまだったんだけど、インスタのノートにRADの曲を貼り付けた。
そしたら、まさかの反応があった。
「私もRAD好きなんです!」って、DMが来たんだ。
その時の、あの心臓の跳ね方は、今でも忘れられない。
画面を見て、何度も目をこすって、これが夢じゃないか確認して、本気で「明日死ぬのかも」と思った。
あれが、全部の始まりだった。
それから、学校でも自然と話すようになって。結構仲良くなって。
クラスのグループでも一緒に遊びに行くようになって。
どこかで、「これが青春ってやつか」なんて、笑いながら思ってた。
気づけば、“幸せ”って言葉を感じてた。
それから、えーと、どうなったんだっけ。
突然記憶が曖昧になって、意識が取り戻されてゆく。記憶の中の、何もかもが忘れ去られていく。さっきまでの教室も、みんなの喋る声も、彼女の笑顔も。
気づけば、俺の瞳は眩しい照明に照らされていて、薄目で周りを見渡せば、布団で寝ている友達が何人も目に入った。
「みなさん、起きてください」
眠気の中にアキラ先生の手を叩く音が響いた。
「おーい、今日の朝礼は七時からでありますよ」
誰かの寝ぼけた声。
ガサガサと動く布団の音。
俺の脳は、夢と現実の狭間で漂いながら、少しずつ“今”を思い出し始める。
……ああ、そうだ。
ここは学校じゃない。
教室でもない。
俺たちは今、シェルターの中にいるんだ。
ゾンビのような化け物に襲われて、カエデたちを、置き去りにして。
生き延びた代わりに、何かを失って。
そうだ。
俺は、何も持っていないんだった。
青春も、未来も、全部が昨日のあの時に、崩れ落ちた。
たった一晩眠っただけなのに、心はまるで、十年分くらい老けた気がする。
気分は、最悪だった。
それでも、布団のぬくもりだけは、やたらと優しくて。
そのことに気づいた瞬間、無性に悔しくなった。
俺は、あの春を思い出すたびに、これから何度でも、こうして後悔するのだろうか。
でも、だからって――じゃあ、どうすればよかったんだよ。




