第十一話:憧れの人
トリマル先生の笛の音が、訓練場に鋭く響いた。地下とは思えないほど広くて無機質なこの空間にも、ようやく慣れてきた。マネキン相手の訓練とはいえ、重たい訓練用の武器を振り回すのは、思ったよりずっと大変だ。
私は――ヨツハは――まわりの人間を目で追っていた。
特に、ヒロタカさんを。
遠くで、ヒロタカさんが、誰よりも正確に、誰よりも素早く、マネキンを打ち据えている。静かで、冷静で、なにひとつ無駄がない。斜め後ろの角度から見ているだけなのに、思わず目を奪われた。
「……天才って、すごいなぁ」
誰に聞かせるでもない独り言が、唇から漏れる。
すごい人なんだってことは、前からわかってた。中間考査や期末考査では、いつもしれっと学年一位を取ってるし、体育祭のリレーでも毎回一番早いし、ちょっと無愛想なことぐらいしか、欠点がない。でもこうして目の当たりにすると、違う。生まれた時点で自分とは全然違う場所にいるって、そういう感覚。あの人の中には、きっともう完成された何かがある。私とは違う。
その完成された何かは、彼にとって努力の証だろう。私も、あそこまで努力できる人間になりたい。
そのとき、ふと気配がして、視線を向けると、アクトさんがいた。いつもの仏頂面のまま、アイカさんの隣に立っている。
「下ばっか向くんじゃねぇぞ」
アクトさんの言葉は、アイカさんに向けたものだった。けれど彼は、アイカさんの顔も見ずに言う。アイカさんは、一瞬だけ目を丸くして、余裕のなさそうな表情をした。ような気がする。けど、すぐにいつもの明るい笑顔に戻った。
「もう、何?アクト心配してくれてんの〜?」
アイカさんが返す。普段通りの、おちゃらけた声だった。沈黙が一瞬続く。アクトさんが小さな声でぼそりと付け加える。
「……。俺はアイカに死んでほしくない。何かあったら、俺を頼ってくれ」
「なっ、何それ!君私のこと好きすぎ!」
アイカさんは、少しもあの笑顔を崩さずに言った。私なら絶対照れちゃうのに。
アクトさんはなにも返さなかった。だけど、その目が一瞬だけアイカさんを一瞥する。真正面から。
なんだろう、このふたり。今までただのクラスメイトだと思ってたけど、一体どんな関係なの?
すると今度は、少し離れたところで、ハルマさんの声が聞こえた。
「ハナヨさん、どう?調子は」
「ハルマくん」
ハナヨさんの声が、少し疲れているように感じた。
「ちょっと、疲れたかも」
やっぱりだ。
「そうだよね。こんな急に飛ばされても疲れるよね」
「……ハルマくんは、そんなことなさそう。なんか、こういうの、器用にこなしちゃいそうだし」
「そんなことないよ。俺にもできないことはあるし」
それでもハナヨさんは不安げに続ける。
「私、怖いよ。間違えたりしたら、誰かが死んじゃうかもしれない。そんなとき、ちゃんと……判断できるかなって」
ハルマさんは、少し黙った。
「何を判断材料にして行動すればいいのか、わかんなくなりそう」
少しの沈黙の後、ハルマさんは言った。
「もしそんな場面に立ち会ったら、自分を信じていいと思う。重要な局面ではね」
「……」
「ハナヨさんは、もっと自信を持っていいと思うよ」
ハナヨさんは一瞬、目を見開いて、それから小さくうなずいた。
みんな、それぞれ自分なりにこの非現実的な状況に対応してる。
私はまたヒロタカさんを見た。
あんなふうに完璧にはなれない。けど……私にもできることがあるかもしれないって、ほんの少しだけ思いたくなった。
――そのとき、訓練場の隅で騒がしい声が上がる。
開かれた扉から、複数の人に囲まれ、何かが担架で運ばれている。真っ白な布をかぶせられたそれは、人間の形をしていた。
私たちは訓練を止め、ただ運び出される“それ”を見続けるしかなかった。
いやいや、そんなわけない。まさか。
周りが、ざわざわし出した。なんとなく落ち着きがなくなって、私は腕を抱く。
近くの誰かが、ぽつりとつぶやいた。
「なんで俺らが、こんなん……」
空気が凍る。
運ばれているのはきっと、私たちよりも早めに戦場へ飛び立った先駆者たちだろう。それも、きっと重傷か、生きていない。
……こんなの、普通じゃない。普通の学校生活なんて、もう戻ってこない。
ーーなんでこんなことになったの?私たちが何をしたっていうの?
そんなこと、考えてはいけない。みんな同じ状況で頑張ってる。私も、努力しなきゃいけない。
「ーーっ」
私はヒロタカさんの背中を見ながら、そっと手に握った武器を、もう一度持ち直した。




