第十話:訓練開始
乾いた音とともに、訓練場の扉が閉じられた。鉄とコンクリートに囲まれた空間は、無機質で、どこか冷たかった。
俺たちは整列させられた。
「では訓練を始める。標的に向かって構え、狙い、撃て。動作を正確に繰り返せ。生き残りたいなら、体に覚えさせろ」
トリマル先生の声が静かに響く。
ーーやらなきゃいけないのか?戦わずにみんな助かる方法は、もうないのか?
俺は深呼吸を一つし、正面のマネキンに銃口を向けた。
ーーいや、そんなことを考えている暇はもうない。現実から目を背けるな。やるしかないのだ。誰かがやらなければ、大切な人を守ることなんてできない。
指が引き金にかかった瞬間、体の奥から何かがせり上がってくる。足がすくむ。呼吸が乱れる。銃の先が、的からわずかに逸れた。
──撃てない。
「びびってんの、まるわかり」
後ろから声がした。振り向くと、ニコが肩をすくめている。
「そんなに震えてたら、ゾンビに食われるわよ」
挑発的な笑みを浮かべた彼女は、次の瞬間、スッと一歩前へ出て、そのままマネキンへ直進していった。その足取りは、殺しに向かっているはずなのに、どこか普段のフレンドリーな彼女の足取りそのものだった。手を後ろに組んで、軽くステップを踏んでいるような歩み寄り。そしてニコはマネキンの前で一度止まり、にこっと笑顔を見せる。
ーー瞬間、マネキンの胴体に素早い一撃を叩き込んだ。
マネキンが倒れる。倒れたマネキンの腹には、模擬武器のナイフが深く刺さっていた。
俺は思わず息を呑む。無駄のない動きだった。体格や体力でゾンビに劣るはずだということを自覚してるからこその攻撃だったのか。まったく警戒させないで至近距離まで近づき、相手を油断させたところで急所に攻撃を入れる。そのために武器を持った手は後ろへ回し、隠していたのだろう。すぐにいろんな人と仲良くなれるニコだからこそできた攻撃だった。
だがこの攻撃だと、ニコがゾンビに近づきすぎて危ない気がする。第一、ゾンビに陽動作戦のようなものは通用するのか?
「ニコ。今のその攻撃は見事だった。しかし、実戦の相手はマネキンでなくゾンビだ。もしこれが本番なら、お前はナイフを刺す前に食われていただろう」
トリマル先生が、俺の気になっていたところを代弁してくれた。にしても、トリマル先生はもう生徒の名前を覚えたのか。
ーードンッ!!
「ーーっ!?」
突然、何かが勢いよくぶつかる音がした。
全員、その音のする方向へ振り返る。するとそこには、壁に勢いよく打ち付けられたマネキンの胴体と、頭があった。
ーーその、前にはテッペイが立っていた。
場の空気が一瞬で張り詰めた。
テッペイの右手にはナイフが握られていて、壁に打ち付けられたマネキンは首が綺麗に切断されている。おそらく、テッペイが勢いよくマネキンの首元狙って切りかかったのだろう。そしてその頭と胴体が分離したマネキンが、その勢いのまま壁まで吹っ飛んでいった、といったところだろうか。
やべ……こいつ、本物だ。
全員がそう震撼した。何より、マネキンが壁にぶつかる音がするまで、何も気づかなかった。テッペイからは、殺気が満ち溢れているのに。
テッペイが振り返る。その瞳には、光は宿っていなかった。が、すぐにいつもの無機質な笑顔に戻る。その笑顔すらも、どこか殺気立っていた。
「やるな、テッペイ」
そう称賛の声をかけたのは、ヒロタカだった。
「お前には、暗殺の才能があるのかもな」
そう言ったのをきっかけに、ヒロタカは自分の前のマネキンへ体を向ける。彼とマネキンとの間には、およそ20mほどの距離があった。
周りは、テッペイへの称賛や恐怖に怯える声で騒がしかった。しかし俺は、自分たちの仲間を見捨てたやつが、次にどんな動きをするのか、それを確かめたいがために、ヒロタカを無言で注視する他なかった。
ヒロタカが、左腕を上げる。左手には、銃が握られていた。
「ーーっ」
俺は固唾を呑む。ヒロタカが目を瞑った、その瞬間、ーーぱんっ。
短い音一つ立てて、ヒロタカの銃は発砲された。20m離れたマネキンの額には、穴が空いていた。
……嘘だろ。
この間、ヒロタカは目を閉じたままだった。
目を瞑って、20m離れたマネキンの額をピンポイントで狙ったのか?そんなこと、ついこの前まで学校でお勉強してた高校生にできるのかよ。
俺は驚愕のあまり、周りを見渡す。が、ヒロタカの発砲に気づいているのは、ごく僅かな人数だけだった。それはきっと、ヒロタカの攻撃は終始静かだったからだ。
「でもな、テッペイ」
ヒロタカは、突然テッペイに向き直って言った。
「派手にやりすぎると、相手にしていなかった敵にも、気づかれるかもしれないだろ」
ヒロタカは、自分が無音でマネキンを攻略することで、テッペイに模範解答を教えてやったのか。いや、自分の実力を見せつけたかったのかもしれない。
ここには、圧倒的な実力の差があった。
彼が動くと、空気が変わる。無駄のない動作、完璧な姿勢。構え、照準、発砲までの一連の流れが、まるでプログラムされたかのように正確だった。
トリマル先生は短く「優秀だ」とだけ言った。始めて、トリマル先生が笑った瞬間だった。まあ、微笑にも及ばないかもしれないが。
ヒロタカは一礼し、何も言わずにその場を離れた。その後ろ姿に、俺は劣等感を覚えた。
俺に、仲間を助けることなんてできないんじゃないか。
「……大丈夫?」
そのとき、肩に軽く触れる感触があった。
「……スグルくん、大丈夫?」
振り向くと、そこにはユノがいた。不安そうな顔で俺を見ている。彼女の手も少しだけ震えていた。
「あ、ああ、大丈夫だ、大丈夫」
俺はいつまで、こんな薄っぺらい見栄を張っているのだろう。
ヒロタカにあれだけ威勢よく説教しておいて、自分はビビって銃を撃つことすらできない。とんだ大言壮語だな。
「みんなすごいよね。私なんて何か武器を持つだけでいっぱいいっぱいなのに、攻撃までできるなんて」
彼女の声は小さいけれど、はっきりと耳に届いた。
「そうだよな。俺も、銃口を前に向けるだけで精一杯だった」
正直な気持ちを口にした。ユノは少しだけ笑って、うなずいた。
「なんか、スグルくんっぽいね、そういうとこ」
「え?」
「スグルくん、友達思いだから。最初ここ来た時にスグルくんがヒロタカくんに怒ってた時も、私、すごいスグルくんに感心しちゃった。きっとみんな思ってたけど、言うのが怖くて、だから、スグルくんが私たちの思いも代弁してくれた気がして、ちょっとスカッとしたよ」
その笑顔が、少しだけ俺の中の恐怖や劣等感を薄めた気がした。
「……なんか、“感心した”ってちょっと上から目線だったかも……!ごめん!スグルくんがすごいなってこと言いたかっただけで!恥ずかし!」
ユノが照れる。俺は、なんか笑いたくなった。
「……ははっ、あははっ」
ユノの励まし一つで気持ちが軽くなるのは、甘えだろうか。まだまだ努力しなければならないのに、認められたと思うのは傲慢だろうか。それでもーー
「ありがとうな、ユノ」
俺はそう言って、ユノの頭に手を置いた。少し赤らむユノの顔も可愛かった。
こんなところで、落ち込んでいてはいけない。本当に仲間を救いたければ、自分よりできるやつに嫉妬するのではなく、自分よりできるやつを手本にするべきだ。
俺は再び銃のトリガーに指をかけた。
訓練は、まだ始まったばかりだった。




