第十二話:はじめての現場
俺たちはあの訓練の日々を乗り越えて、遂にその成果を発揮するべき時が来た。
そう、実際に現場で生のゾンビと対峙するということだ。
だから今日、俺たちは防護服を着てこのシェルターの出口の前で出発の陣形をとっていた。
「本日より、小隊長を任命する」
トリマル先生の声が、この広いシェルターに無機質に響いた。
俺たちは硬直したまま、その名前を待った。
言わなくてもわかる。どうせあいつだろう。
「ヒロタカ」
ざわめきが走った。でも、それは驚きじゃない。むしろ当然だった。
ヒロタカは「はい」と短く返事をして、トリマル先生から無線通信用器具を受け取った。
訓練中、彼の動きはいつも異様に正確で、無駄がなかった。きっと彼の命令なら一発で伝わる。あの冷たい声は、いつだって正しいことを言うはずだからだ。
「現場は第三層、旧市民病棟区域。未浄化地帯だ」
“未浄化”――それは、完全にゾンビが駆逐されていない区域って意味だろう。訓練でも演習でもない。“本番”だ。
俺の隣でミオトが固唾を飲み、ナカエの顔から表情が消えていた。アクトは眉をひそめたまま、防護服のファスナーを上げる。ユノは震える手をそっと握り締めていた。
「いいか、第一陣は“生きて帰ること”が目標だ。俺はお前たちの生還を祈っている」
トリマル先生が、いつもの感情のこもっていない表情で言った。
俺も、手が冷たくなってた。これは“始まり”だ。俺たちが死ぬかもしれない、始まり。
現場は、静かすぎる場所だった。
崩れた壁、焦げた天井、赤黒く乾いた血の跡。そして、機械の残骸に混じって、転がる骨の破片。
俺たちはシェルターを出て、とうとう戦場へ突入していた。二つに小班をわけ、俺たちの班はまず病棟の一階から攻めることになった。よりにもよって、俺たちの小班のリーダーはヒロタカだ。
「敵性反応あり、戦闘の可能性高」
その声が通信機から聞こえた途端、俺は心臓を握られたような感覚に襲われた。
ーー遂に出たのだ。カエデやナナを食った、あの怪物がーー。
この瞬間、この場の誰もが背筋を凍らせたに違いない。無線がヒロタカから届き、即座に命令が飛ぶ。
「前列、ミオト、テッペイ、ニコ、ハルヒト、攻撃に移れ。後列、スグル、アクト、支援と連絡」
俺は身を強張らせる。息が上がって、冷や汗が全身を伝った。
機械みたいな声。誰も逆らわない。逆らえない。
やらなきゃいけない。俺が、俺が、やるんだーー。
その瞬間だった。
ーーぐぁちゃあっ。
最初の異変が起きた。
「――ぅぐあッ!?」
悲鳴。ハルヒトが倒れてた。
「ーーッッ!!」
そばにいた“それ”が、ハルヒトの腕に喰らいついている。
「ッ、やめ……やめろォォ!!」
ーー何故だ?ヒロタカから攻撃の命令が出ていただろ。何故誰も攻撃しなかった?何故、ハルヒトが食われたんだ。
「ーー。ーーーー。」
無線で、ヒロタカが何か言っている。けれど俺の耳には全く入ってこなかった。
視界がぐらぐらする。立っていられなくなるくらい。
どうすればいいんだ、ハルヒトは助かるのか?俺も加勢しなければ。でもどうやって?足が全く動かない。耳鳴りも酷い。早くしないと、ハルヒトが。どうすれば。どうすれば、どうすれば、どうすればどうすればーー
ーー『スグルくんがすごいなってこと言いたかっただけで!』
「ーーっ!!」
自分が、息をしていなかったことに気づいた。
現実から目を背けるな。やるしかないのだ。誰かがやらなければ、大切な人を守ることなんてできない。
あの瞬間、誰もが動けなかった。それは俺も例外ではない。それは自分が攻撃の命令をされてないからではない。俺はきっと、攻撃の命令をされていても、すぐに動くことはできなかっただろう。
じゃあどうする?そんなの、今から動けばいいだけだ。
「ーーうおおおおあああっっ!!!」
俺は銃を両手で持ち構えて、ハルヒトを襲うゾンビ目掛けて一発撃った。
その弾丸は、ゾンビの右肩に軽く掠っただけだった。
「……血……?」
アクトが、呟くように言った。
ゾンビの肩からは、ドス黒い血が吹き出していた。その黒が、ハルヒトの顔面を汚す。
ーー今だ!ゾンビが攻撃に惑わされている今なら、ハルヒトを助け出せるかもしれない。
俺が再び銃を向けたその時だった。
「ーーぅああっ!!」
ハルヒトが、突然ゾンビのような声を出して、俺の方へ襲いかかってきた。
「ーーッ!?」
俺は間一髪でハルヒトの攻撃を避ける。ハルヒトは俺に避けられ、そのまま真正面に倒れた。
一体、どういうことだ?
「ーー!スグル、ハルヒトの顔を見ろ!肌が異常に白くなっていってる!」
俺はアクトに言われた通り、ハルヒトの顔面へ視線を向ける。
「!?血がついたところから……」
ハルヒトの顔は、ゾンビの黒い血が付着したところから徐々に、色が変わっていった。あの怪物と同じような、色に。
「そうだ、きっと、ハルヒトはゾンビになっている……!あの黒い血が原因で」
その一言で、俺の脳にあの時の光景が蘇った。
カエデはあの時、ナナに襲いかかっていた。
普通にゾンビに攻撃されただけなら、カエデはナナを食う必要はないはずだ。つまりカエデはあの時には既に“ゾンビ”だった。あの時の俺は混乱状態でゾンビにも無知で、気づかなかった。そして今、ハルヒトはあの時のカエデのように、俺に襲いかかってきていた。
つまり、ゾンビは“血で感染する”というのかーー。
「でも妙だよな」
アクトが、肩を負傷したゾンビをかわしながら言った。
「もし本当に血で感染するなら、カエデは教室でゾンビの血を浴びたっていうのか?」
アクトがそう呟いた瞬間、全員が凍りついた。
それはそうかもしれない。けど、まだ血で感染すると決まったわけじゃないから、今そんなこと考えても不毛だろう。
ハルヒトの身体が、痙攣するように跳ねた。ハルヒトを攻撃したゾンビは、肩から血を吹き出しながらこちらへ向かって来る。
まだ終わってない。
気づいたら、俺は駆け出していた。
誰かの声が後ろから聞こえる。でも関係なかった。ハルヒトの仇がかかってるんだ。誰かがやらなきゃ。
「ッらあああッ!!」
ゾンビの正面から、精一杯駆け寄った。足元はふらつき、目も乾き切っていた。
次はナイフを思い切り振る。ゾンビの首筋から黒い血が吹き飛ぶ。俺はすぐさま背中を向け防護服で地肌を守った。
ゾンビが勢いよく倒れた。
血飛沫と共に、あたりに沈黙が広がった。
「……はあっ、やったか……?」
ゾンビが動かなくなったのを確認して、俺は安堵の吐息を漏らした。
膝から崩れ落ちる。
ミオトが走ってきて俺の隣に立つ。テッペイも、ニコも、続いた。
「よくやったな、スグル」
ミオトが、ぽつりと呟いた。
俺は、まだ震えていたけど、それでも……その言葉に救われた。
もう、訓練は終わった。これが現実。これが“戦場”だ。




