10 リリーの望み
リリーはいつも、叫びだしたくなる気持ちを抑えていた。
私は精霊とお話がしたいの。
私は魔法を自由に使ってみたいの。
私は王太子妃になんてなりたくないの。
私には好きな人がいるの・・・
彼の姿を少しでも見ることが出来ればその日一日幸せに過ごすことが出来た。目が合えばそれだけで胸が高鳴り、言葉を交わすことが出来た日は喜びで夜も眠れなかった。
しかし、リリーが立太子する者の伴侶になることは王命で決まっていた。クライムが立太子することもまた、決まっていたのだ。
リリーは『精霊の愛し子』である前に、この国の貴族だ。リリーが自分の恋心を優先すれば国に、国民に迷惑が掛かるかもしれない。リリーがこの恋の成就を願い、自身を不幸だと思えば、愛し子が蔑ろにされていると思った精霊が黙ってはいないかもしれないから。
リリーは自身の恋心に蓋をし、毎日を穏やかに過ごすことで精霊も穏やかに過ごせるように尽力した。
それは次期王太子妃として、国民の生活を守ることになる。
リリーが魔法を使えば使うほど精霊との繋がりが深くなり、この気持ちを悟られるリスクが高くなるため魔法も極力使わないようにしたのだ──。
でも、
(『精霊の愛し子』として王太子妃としての役目を果たすためにこの身は王家に差し出します。その変わり彼を想う心は奪わないで欲しい)
そう、リリーは願った。
恋心を胸に秘め、表向きはクライムの婚約者として日々穏やかに過ごすことを選んだのだ。
でも、リリーの想い、そのすべてを精霊は知っていた。
*――*――*――*――*――*
ナナたちは51階層に到達した。
ダンジョンの最下層であるそこはひとつのフロアだった。
そこには漆黒の百合の花が一面を埋め尽くし、咲き誇っていたた。甘くまろやかな、心地よい香りが漂う。
それは黒百合とは名ばかりで、「恋」や「呪い」といった花言葉を持つ地上に咲く黒百合とは明らかに異なるものだった。カサブランカを漆黒に染めたような大輪の美しい花。
現在この国では黒は悪の象徴の色とされているが、この場に咲く漆黒の百合の花からは純粋で無垢、そして何かを護ろうとする意志が感じられた。
そんな漆黒の花畑の中央で花に埋もれ、眠る女性の姿が見えた。
漆黒の髪、漆黒の瞳。漆黒のドレスを纏うその肌は白く、美しい──彼女が「黒百合の魔人」・・・リリーだろうか──
全ての花はまるで見守るかのように彼女の方を向いて咲いている。
ナナとエイトはその荘厳な光景に思わず息を飲んだ。
ここをクリアすればS級の冒険者ライセンスを手に入れることが出来る。依頼を選ぶことが出来る(怖い依頼を受けなくても済む)のだ。
「・・・ってか、待てよ。51階層をクリアするためには黒百合の魔人と倒さないといけないのか?」
「え?リリーさんと戦うなんて無理だよ!アースの想い人だよ!?」
「いや、ナナ安心しろ。アースが精神体なんだぜ?絶対リリー嬢も精神体だ。剣なんか効くはずはない。戦うこと自体、出来ないと思う。
ただ、一つだけ試してみたいことがあ──」
そこでエイトは51階層の異変に気付いた。
「流石エイト!なんか攻略方法を思いついたの?頼りになるやつだって思ってた・・・って・・・ん?」
ナナは自分の後ろを凝視して固まっているエイトの様子に嫌な予感がして、ゆっくりと振り返った。
「ひぃっ!!!」
そこでナナが見たものは、これまで「黒百合の魔人」の方を向いていた黒百合が、侵入者に反応してか一斉に二人の方を振り返っている姿だった。
「「ひいいいぃぃぃぃ!」」
広い広いフロアを、二人は今、一目散に走っている。
ある花は火の玉を飛ばし、ある花はかなりの勢いで水を飛ばす。絶対段ボールくらいにならに穴が開く勢いだ。
そしてある花はナナとエイトを風で吹き飛ばし、ある花は小石と呼ぶには少々大きめの岩を息つく暇もなく飛ばしてきた。
ここには遥か昔に失われた、魔法が生きていた。
「さっきエイト、戦うことは出来ないって言ってなかったっけ!!!!????」
「だって黒百合の魔人の代わりに百合の花が攻撃してくるなんて思わないじゃないか!!!」
こりゃぁ名だたるA級ライセンスを持つ冒険者がクリアできないはずだと、走りながらエイトが言った。
エイトやナナが生まれた時、既に魔法が完全に失われてから何十年も経っていた。対魔法の戦い方など教えてくれる人もいなければ、必要もなかったのだ。
アトラスの件がなければ他の冒険者同様、二人も諦めて帰っていたかもしれない。
しかしここから戻って来たはずの冒険者たちからは、このような目に遭ったという報告は上がっていなかった。
『多分、闇属性の精霊がいるんだろう。記憶操作は彼らの専売特許だ』
エイトの懐から顔を出したアトラスが言う。この状況で飛んだりエイトの肩に乗ったりしてデビルハムスターのヌイグルミを汚すとナナに怒られるから先ほどからここに避難している。
「え?と、言うことはこの黒百合は──」
『リリー嬢と共にダンジョンに入った精霊たちだ。今もリリーを護っている』
この悠久の時を、精霊はリリーを守り続けている。
肉体が朽ち果てようともダンジョンに取り込まれることがないように、リリーの深い眠りを護り続けて来た。
『王太子妃としての役目を果たすためこの身は王家に差し出す。その変わり彼を想う心は奪わないで欲しい』
全ては彼女が願ったたった一つの願いのために。
『参ったなぁ。これでは彼女に近付けない』
「エイトぉ!さっきなんか思いついたって言ってたじゃない!!ひぃっ!・・・さっさとやっておしまいなさいぃぃぃぃっ!」
飛んできた火の玉を剣で弾き、大岩を避けたナナがエイトに叫ぶ。
「あ、そうだった。でもナナ、怒らないって約束してくれる?」
猛ダッシュで走りながら、上目使いで首をかしげるエイトをナナは怪訝そうにみる。
「?わたしを盾にして逃げる以外なら怒らないわよ」
「いや、俺、そんな奴に見える?・・・いや、まぁいい。言質はとったからな!」
エイトはそう言うと、懐に入っていたデビルハムスターのヌイグルミをむんずと掴み、
「頼りにしてますっ──」
黒百合の魔人の方に投げたのだ!
「行け!アトラス、色仕掛けだぁぁぁぁっっっ!!!!」
『え、えええええっ!』
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!私のデビルハムスターっっっ!!!!」
ナナが頭を抱えて奇声を上げた。




