第6話 屋上の四人
事件のない日が、こんなに貴重だと思ったことはなかった。
金曜の放課後、シュウが勝手に屋上の鍵を借りてきた。
正確には三雲カオルから半ば呆れられながら押しつけられたらしい。
「五時には返せってさ」
「それ、借りたっていうか管理押しつけられてない?」
「細けえ」
フェンス越しの空は広く、風が強かった。グラウンドから遠く運動部の声が聞こえる。
四人で並んで座るには少し汚いコンクリートの床に、シュウが購買の紙袋を広げた。
「はい、勝手に屋上ピクニック」
「ピクニックに焼きそばパン三つとお茶二本って偏りすぎじゃない?」
ユイナの突っ込みに、シュウが胸を張る。
「青春ってのは偏ってんだよ」
「意味分かんない」
「九条、笑ってるだろ今」
「笑ってない」
でもセナの口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。
トウマはその光景を、少し離れたところから見ていた。
こういう時間が、どうしてかひどく眩しい。自分がここにいていいのか、とたまに思う。
「御影くん、ほら」
ユイナが缶のミルクティーを差し出す。
「私、甘いの一本飲みきれないから」
「……ありがとう」
「ほんとは好きでしょ、甘いの」
「そんな顔してる?」
「してる」
自然に交わされるやりとりに、シュウがにやにやし始めた。
「おーい、そういうの隠す気ある?」
「風間、うるさい」
「え、何が?」
「うるさい」
トウマが本気で嫌そうに言うと、シュウは腹を抱えて笑った。
その笑い声に釣られるように、ユイナも、珍しくセナまで声を漏らした。
その瞬間を、トウマは心の奥で掴みたくなった。
なくしたくない。
たぶん、こういう時間こそが、いちばん先に失われる。
「ねえ」
フェンスに寄りかかったまま、ユイナが空を見上げて言う。
「もし今の学校から、急にいなくならなきゃいけなくなったら、どうする?」
「なにその嫌な質問」
「たとえばだよ」
「俺はやだね。ダチと店と部活あるし」
「風間くんらしい」
「九条は?」
「困る。……ここで終わらせたくないことが多いから」
「御影くんは?」
トウマは少し考える。
「……誰にも言わずにいなくなるのは嫌かも」
「へえ」
「最後にちゃんと、言うと思う」
そう言った自分の言葉が、妙に胸に引っかかった。
最後にちゃんと言う。
本当に、自分はそうできるのだろうか。
何かを失う前に。
風が強く吹く。ユイナの髪が揺れ、それを押さえる指先がふと細く見えた。
守りたい、と思う。命令じゃなく、力でもなく、もっと普通のやり方で。
「写真、撮っていいですか?」
いつの間にか屋上に上がってきていた有馬ノアが、遠慮がちにカメラを持ち上げていた。
「うわ、びっくりした」
「すみません……でも、今、すごくよかったから」
四人は顔を見合わせた。シュウが一番先に笑う。
「いいじゃん。青春っぽいし」
「あなたが言うと急に安っぽい」
「白峰ひどくない?」
シャッター音が鳴る。
その一枚が、後になってどれだけ大事になるのか、このときの誰も知らない。
帰宅後、トウマは鞄から手帳を出した。何気なくページを繰り、指が止まる。
昨日まで覚えていたはずの予定が、そこだけ白く抜けていた。
文字の痕跡だけがうっすら残っている。
今日、屋上で何を話したか。
全部ではない。けれど一部が、もう曖昧だ。
慌ててスマホを開き、メモアプリに打ち込む。
『屋上。四人。笑ってた。なくすな』
打ち終えたあと、しばらく画面を見つめた。
守りたいものを守るたびに、それを守りたいと思った気持ちごと失っていくとしたら。
この力は、あまりにも残酷だ。




