第7話 使うなと言ったはずだ
月曜の夕方、体育館裏で物音がした。
乾いた打撃音。押し殺したうめき声。
誰かが見て見ぬふりをする時の、妙に静かな空気。
トウマが駆けつけると、男子バスケ部の一年が壁際に追い込まれていた。
三年の先輩が三人、取り囲むように立っている。
「口答えすんなって言ってんだろ」
「先輩、俺、別に……」
「部費のこと黙ってろって」
トウマの足が止まる。
部費。
ただの上下関係じゃない。もっとまずい匂いがする。
「何してるんですか」
言った瞬間、またか、と自分で思った。
「お前、最近首突っ込みすぎじゃね?」
ひとりが近寄る。トウマは無意識に左耳を押さえた。
だめだ。今日は使うな。
昨日から頭痛が抜けていない。
「御影!」
鋭い声が飛ぶ。セナだった。
少し遅れて、三雲カオルも現れる。
「はい、そこまで」
カオルの声は穏やかなのに、妙に逆らいにくい。
上級生たちは露骨に舌打ちしたが、教師が来た以上は下がるしかない。
「続きは職員室で聞くから。君たち逃げないでよ」
「……はあい」
三人が去ると、一年生はへたり込んだ。カオルがしゃがみ込み、怪我を確認する。
その間、セナはトウマの腕を掴んで少し離れた場所へ引いた。
「使ってないよね」
「……使ってない」
「ほんとに?」
「使ってたら分かるだろ」
「分かるわよ」
セナは声を落とした。
「だから怖いの。最近、あなたの“使う寸前”が増えすぎてる」
「でも止めなきゃ」
「止める方法はそれだけじゃない」
「間に合わないこともある」
「それでもよ」
彼女の目が揺れる。
「使うたびに、あなたが削れていくのを見てるの、私だけじゃない」
その言葉に、胸がわずかに痛んだ。
「……なんでそんなに」
「え?」
「なんで、そんなに必死に止めるの」
聞いてしまってから、後悔した。
セナはしばらく黙っていた。風に前髪が揺れ、長いまつ毛の影が頬に落ちる。
やがて彼女は、まっすぐにトウマを見た。
「失くしたくないからに決まってるでしょ」
息が止まる。
それ以上の意味を含むのか、含まないのか、分からない。
ただその一言だけで、足場が少し崩れるみたいな感覚がした。
そこへカオルが戻ってきた。
「御影、ちょっといい?」
「……はい」
「あの子、部費横領の口止めされてたっぽい。表に出すの、結構面倒かもしれない」
「先生ならどうにかできるんじゃ」
「するよ。するけど、時間はかかる。その間にまた何か起こるかもしれない」
カオルはトウマをじっと見た。
「あなた、最近よく現場にいるよね」
「たまたまです」
「ふうん。たまたまにしては顔色悪すぎるけど」
冗談めかした口調なのに、目は笑っていない。
「隠してることがあるなら、それで全部抱え込まないで。子どもが一人で背負っていいものなんて、だいたいろくなものじゃないから」
「……」
「あと、無茶して誰かを守るの、正義っぽく見えるけどね。残された方からすると迷惑だから」
言い切って、カオルは踵を返した。
帰り道、トウマはスマホのメモを開いた。今日の出来事を書き残そうとして、指が止まる。
『使うなと言ったはずだ』
昨日までなかった一文が、メモの最上部に増えていた。
自分の字。
いつ書いたのか分からない。
ぞっとして、画面を閉じる。
その夜、三雲カオルから短いメッセージが届いた。
『もし誰かに脅されてるなら相談しなさい。力でも、秘密でも、何でも』
トウマは返信できなかった。
力。
その単語を、彼女はわざと使ったのだろうか。




