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第38話 誰にも見えないように

ざわめきは、最初は本当に小さかった。


後方の保護者席で、スマホを見た数人が顔を見合わせる。


次に、隣の席へ。


その次に、列の端へ。


危険設備の点検報告、理事会決裁の先送り、修理申請の保留。


紙の上なら難しい言葉ばかりなのに、“学校が危ないのを知っていて黙っていた”とわかった瞬間、人の表情は変わる。


ノアからまたメッセージが来る。


職員室も混乱


教頭が火消し中


でも遅い


キョウヤのやり方は、やはり暴力ではなかった。


ただ、ずっと隠されてきたものを、逃げ場のないタイミングで表へ出す。


その結果、人の不安と動揺が事故を呼ぶことを知っていても、そこから目を逸らす。


上部から、鈍い金属の軋みが聞こえた。


見上げる。


反響板を支えるワイヤーの一本が、朝より明らかにずれている。ほんの少しの傾き。


けれど、その少しがいちばん危険だ。


トウマは舞台袖の階段を駆け上がった。


上部通路にはトオルがいて、すでに手動ブレーキに取りついていた。額に汗が浮いている。


「固い!」


「二人でいけるか」


レバーに体重をかける。


びくともしない。


油の切れた機構が、いやな音を返すだけだ。


下からは合唱が聞こえる。


生徒たちの声が重なっている。


こんな日常みたいなきれいなものの真上で、崩れる準備だけが進んでいるのが許せなかった。


「シュウに連絡しろ」


トオルがすぐスマホを掴む。


「後方の通路を空けさせる。パニックにはするなって」


そのとき、舞台袖の別の暗がりで、小道具棚がぐらりと揺れた。


女子生徒二人が、気づかずその真下へ入ろうとしている。


説明して止める時間はない。


カン――。


一拍。


二人の頭上に小さな王冠。


「戻れ」


二人ははっとしたように後ずさる。


直後、棚の上段から木枠が落ちた。あと半歩遅ければ、頭に当たっていた。


喉の奥が焼ける。


胸がざらつく。


たった二人に、短い命令。


それでも身体は確かに削れていく。


下へ降りると、シュウがすでに動いていた。


わざと明るい声を作って、保護者へ「通路だけ少し開けてもらっていいですか」と声をかけている。


避難ではなく整列の顔をして、少しずつ人の流れを変えていく。


ユイナは合唱前の列を外れ、後方で泣き出しそうな小さな子にしゃがみこんでいた。


彼女が何か言うと、その子はこくりとうなずく。


誰も目立つことはしていない。


でも、それぞれが自分にできる範囲で崩れないよう支えている。


トウマは一瞬だけ救われる。


王冠がなくても、人はこんなふうに誰かのために動ける。


そのことをちゃんと見ていなければ、自分まで壊れる。


だが上を見上げた瞬間、その希望は細く軋んだ。


ワイヤーのずれが、もう一段大きくなっている。


「まずい」


漏れた声は、ほとんど独り言だった。


今ならまだ、誰にも気づかれないまま止められるかもしれない。


でもそれは、たぶん自分の力を使うということだ。


誰にも見えないように。


誰にも気づかれないように。


誰も、トウマが何をしたか知らないまま助かるのがいちばんいい。


そう思うほど、最後に払う代償の大きさがわかってしまう。


胸ポケットの便箋が、衣擦れの中でわずかに触れた。


最後まで、王にならないで。


「……ごめん」


誰に向けたのかわからないまま、トウマは目を閉じた。


ここから先は、たぶんもう、その願いを守りきれない。

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