第36話 榊キョウヤの正しさ
放課後前、図書準備室に集まったのは、トウマ、シュウ、ユイナ、有馬ノア、真壁ミナト、そして斑目トオルだった。
ノアがノートパソコンを開き、校内サーバから抜いたらしい資料を表示する。
点検報告書。修理見積書。
理事会決裁の保留印。舞台機構の老朽化。
紙の上ではどれもただの事務処理なのに、そこに「先送り」という一言が重なった瞬間、人の命に近づく。
「舞台上部の反響板、二か月前の点検で“要修理”だって」
ノアの声は速い。
それだけ事態を飲み込みきれていないのだろう。
「でも今日の講堂、予定通りフルで使う。保護者も来賓も、かなり入る。教頭が修理申請止めてる」
「なんでそんなの通るんだよ」
シュウが机を軽く叩く。
「理事会向けには、“問題なし”って説明してるんだろ」とトオルが苦く言う。
「修理通せば、予算と責任が全部上に上がるからな。隠したまま年度またげば、なかったことにできる」
「榊はそれを知ってる。だから今日、壊れる瞬間を人前に晒すつもりだ」
トウマは息を詰めた。
壊れる瞬間。
その言い方に、キョウヤの歪みがすべて詰まっている気がした。
彼はたぶん、事故を楽しみたいわけじゃない。
誰かを痛めつけたいわけでもない。
ただ、“見えない痛みは見える形で壊さないと認められない”ところまで、考え方が壊れてしまっている。
「生徒会室にいる」
真壁が小さく言った。
トウマが立ち上がると、シュウもすぐ続いた。
「一人で行くなよ」と言われる前に、トウマのほうから「来て」と口にする。
その短いやりとりに、ユイナがほんの少しだけ安堵したような顔をした。
生徒会室の窓際に、榊キョウヤはいた。
いつも通り整った姿勢で、いつも通り落ち着いた顔をしている。
その見た目だけなら、誰が見ても優秀で穏やかな生徒会長だろう。
だからこそ、その内側の壊れ方がいっそう見えにくい。
「来ると思ってた」
キョウヤは校庭を見下ろしたまま言った。
下では案内係の生徒が笑顔を作って動いている。平穏を演じる学校の縮図みたいだった。
「今日、何をする気だ」
トウマが問う。
キョウヤはゆっくり振り返る。
「何もしないよ。隠してきたものが、隠れなくなるだけ」
「舞台機構が危ないの知ってるだろ」
「知ってる。学校側も知ってる。でも使う。だったら僕が止めなくても、壊れるときは壊れる」
「壊れる場所に人がいる」
その言葉に、キョウヤはほんの一瞬だけ黙った。
でも、すぐに視線を逸らした。
「兄さんはここで壊れた」
静かな声だった。
怒鳴りでも、告発でもない。
ずっと冷えた場所からこぼれたみたいな声だった。
「助けてって言ったのに、証拠が足りないって消された。痛いって言ったのに、大げさだって笑われた。弱い側の傷は、いつも見えないふりされる。だったら、見えなくしてる壁ごと壊すしかない」
トウマはその目を見た。
悪人の目ではない。
悪人のほうがまだ楽だった。
これは、自分の傷が正しかったと証明したくて、そのためなら新しい傷が増えることに目をつぶり始めた人の目だ。
「それでいいと思ってるのか」
「よくないよ」
キョウヤは即答した。
そのあまりの即答に、逆に息が詰まる。
「でも、よくないまま終わるよりはマシだ」
シュウが低く吐き捨てる。
「最低だな」
キョウヤは薄く笑った。
「知ってる」
その“知ってる”が、ひどく痛かった。
自分が壊れていることを知ったまま止まれない人間は、誰かに止められるのを半分では望んでいる。
けれど、それを認めた瞬間に立っていられなくなるから、正しさの形だけを握りしめる。
トウマの左耳で、金属音が鳴った。
カン――。
一拍の静寂。
キョウヤの頭上に、深くひび割れた黒金の王冠が浮かぶ。
あまりにも痛々しい冠だった。
支配欲の冠ではない。喪失と正しさへの執着が凝り固まった、救われなかった人間の冠だ。
「……今日、俺はお前の思い通りにはならない」
キョウヤは少しだけ目を細めた。
「じゃあ見せてよ。王にならないまま、どこまで守れるのか」
その言葉は挑発でもあり、どこかで本当に見たいのだとも思えた。
もし王にならずに守れるなら、自分の壊れ方だって否定されるからだ。
生徒会室を出ると、トウマは胸ポケットの上から便箋を押さえた。
最後まで、王にならないで。
その願いが急に重くなる。
王にならないまま守る。
その難しさを、今日ひとつも取りこぼさず証明しなければならない。




