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第32話 九条セナの選択

セナがいなくなる日を、トウマは最後まで現実として受け入れられなかった。


でも現実は、たいてい前触れを置いてやって来る。


荷物は少しずつ片づき、机の中身は減り、教師たちの態度は必要以上に穏やかになる。


そういう形で、別れは先に周囲から始まる。


「ほんとに行くのかよ」


シュウが珍しく感情を隠さなかった。


「行かせるしかないなら、俺ら何も守れてねえじゃん」


「風間」


「だってそうだろ!」


教室の空気が張る。


セナは静かに答えた。


「今ここで揉めても、状況は変わらない」


「変えろよ!」


「変えるために、私が引くの」


その言葉に、シュウはそれ以上言えなかった。


怒りより先に、理解してしまったからだ。


セナは転校を“受け入れた”のではない。


自分が動くことで、学校側と理事会側の視線を自分に集め、トウマたちから逸らそうとしている。


駅でセナを見送ることになったのは、結局三人だった。


いや、正確には四人。トオルも少し離れた場所にいた。


何も言わず、でも帰らない。


ホームには夏の熱が残っている。


アナウンスが遠い。


「時間、早いね」


ユイナが呟く。


「そうだな」


トウマの声は、自分でも驚くほど乾いていた。


セナは最後まで泣かなかった。


キャリーケースも持たず、小さなボストンだけ。


まるで数日家を空けるだけみたいな軽さで立っている。


「資料は風間に預けた」


「なんで最初から俺なんだよ」


「一番なくさなそう」


「たしかに」


「白峰まで乗るな」


小さな笑いが起きる。


でもすぐに消えた。


「御影」


セナが最後にトウマを見た。


「近づいて」


一歩、二歩。


駅の雑音の中で、彼女の声だけがやけに鮮明だった。


「あなたは、誰かを守る時に一番危ない」


「……」


「だから、残る三人をちゃんと見て」


視線が、ユイナ、シュウ、そして少し離れたトオルへと流れる。


「一人で王様になるな」


「九条」


「命令じゃない。お願い」


その言い方で、胸が締めつけられる。


「……行くな」


気づけば、そう言っていた。


トウマ自身が一番驚くほど、子どもみたいな声だった。


「行かないでほしい」


「うん」


「俺、まだ」


「分かってる」


セナはほんの少しだけ笑った。


その笑い方は、子どもの頃の記憶のどこかにある気がした。


けれど、その“どこか”がもう掴めない。


「だから、これ以上言わないで」


「……」


「あなた、今なら本当に使いかねないから」


図星だった。


胸の奥で、言葉がざわついている。


止まれ。乗るな。


戻れ。


短い命令が喉の手前まで来る。


でも、それを言った瞬間に終わる。


守るための最後の線が、そこで切れる。


電車がホームに滑り込む。


風が強く吹く。


セナはボストンを持ち上げ、最後に四人を見渡した。


「風間、怒るのやめて」


「無理」


「知ってる。じゃあ、せめて見捨てないで」


「……見捨てるかよ」


「白峰」


「うん」


「あなたが一番強いから、大丈夫」


「それ、褒めてる?」


「半分くらい」


「斑目」


少し離れていたトオルが肩をすくめる。


「何で俺にもあるんだよ」


「御影を殴る役、必要でしょ」


「それは風間がやる」


「おい」


最後に、トウマへ。


「また会えたら、その時はちゃんと笑って」


「……無理かも」


「努力して」


電車の扉が開く。


セナは振り返らずに乗り込んだ。


閉まる直前、彼女が小さく折った封筒をトウマに手渡した。


電車が動き出す。


追いかけることはできた。


命令だって、もしかしたら間に合ったかもしれない。


でもトウマは動けなかった。


ホームに残る風と、遠ざかる車両の音。


そして手元の封筒。


中には短い便箋が一枚だけ入っていた。


『最後まで、王にならないで。


……ずっと、好きだった』


その二行を読んだ瞬間、胸の奥が、遅れて殴られたみたいに痛んだ。


駅を出る頃、誰もすぐには話せなかった。


シュウが先に顔を上げる。


「……腹減った」


「そういうとこだぞ」


トオルが呆れる。


「でも、ありがと」


ユイナが小さく笑った。


それで少しだけ、空気が戻る。


セナがいなくなった穴は埋まらない。


でも、残された側には残された側の責任がある。


その夜、トウマは手帳を開いた。


『九条セナ 転校の話』の下に、自分でぐしゃぐしゃに線を引いた痕が増えている。


泣きながら書いたのかもしれない、と他人事みたいに思う。


新しいページに、短く書く。


『九条セナ』 『行った』 『王になるな』


そして最後に、震える字で一行。


『忘れても、絶対に失くすな』


言葉としては矛盾している。


でも今のトウマには、それ以上ましな書き方が見つからなかった。


窓の外では、夏の夜が深くなっていく。


もうすぐ、もっと大きな何かが壊れる。


そんな予感だけが、静かに近づいていた。

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