第19話 支配の味
日曜の午後、斑目トオルに会ったのは偶然だった。
駅前の古書店の前。
肩で風を切って歩くような男なのに、その日は妙に疲れた顔をしていた。
校内ではよく“感じの悪い不良”として名前が挙がるタイプで、実際、トウマも好きではない。
口が悪く、目つきも悪い。ついでに噂も悪い。
「……何見てんだ」
先に噛みついてきたのは向こうだった。
「別に」
「その顔、だいたい別にじゃねえだろ」
トオルは舌打ちして、自販機の前に立つ。
財布を開く仕草が、妙に荒れていた。
そこで、近くの路地から怒鳴り声がした。
「返済は今日だっつってんだろ!」
トオルの肩がぴくりと揺れる。
反応が早すぎた。
路地の先では、明らかに高校生ではない男二人が、誰かを壁際に追い詰めていた。
トウマが視線を向けた瞬間、トオルが低く言う。
「見るな」
「知り合い?」
「関係ねえ」
その言い方で、ほとんど答えは出ていた。
男たちに囲まれていたのは、トオルの母親だった。
若くはないが、まだ年齢よりずっと疲れて見える人だ。
買い物袋を抱えたまま、何度も頭を下げている。
「今月だけ、もう少し」
「毎回それだろ」
「息子さん、バイト増やせば済む話じゃないの?」
その言葉で、トウマの中の認識が少し変わる。
トオルは一歩踏み出しかけて、止まった。
たぶん今、出ていけば余計に面倒になると分かっているのだろう。
でも止まって見ているには、顔が強張りすぎていた。
「警察呼ぶか」
「やめろ」
「なんで」
「余計こじれる」
トオルは唇を噛み、やがて吐き捨てるように言った。
「親父が作った借金だ。逃げた。残ったのは母ちゃんと俺だけ」
トウマは何も言えなかった。
学校では乱暴で、他人に当たり散らす男。
そう見えていた人間の背後にも、こんな生活の泥がある。
正義と悪なんて、外から見た印象だけでは切れない。
それでも、路地の向こうでは現実が続いている。
母親の肩が小さく震え、男の一人が買い物袋を蹴飛ばした。
左耳の奥が、熱を持つ。
カン。
怒りと嫌悪が一緒にせり上がる。
消えろ。潰れろ。
そんな荒い言葉が一瞬頭を過る。
でも通らない。通ってしまえば、たぶん壊れるのは相手だけじゃない。
トウマは息を詰め、最小の言葉を選ぶ。
――クラウン・オーダー。
「――離れろ」
男たちの足が一歩ずつ後ろへ退く。
自分でも分からない顔のまま、二人は互いを見て舌打ちし、その場を離れた。
「……何した」
トオルが低く言う。
「別に」
「それ、さっきの俺みたいな返しだな」
苦く笑う声だった。
母親はその場にへたり込み、トオルが慌てて駆け寄る。
トウマは少し離れて見ているしかない。
「ごめんね、トオル」
「謝んなって」
「また迷惑」
「だから違うって言ってんだろ」
そのやりとりは、想像していたよりずっと普通の親子だった。
帰り際、トオルがトウマに缶コーヒーを押しつけてきた。
「借り一個」
「いらない」
「俺がいらねえんだよ」
受け取ると、彼は少しだけ目を細めた。
「善人ヅラしてるやつの方が嫌いなんだけど」
「……」
「お前は違う意味で気に食わねえ」
そこまで言って、わずかに笑う。
「でも、今日のは助かった」
それだけ言って、トオルは去っていった。
支配の味は、思っていたより複雑だった。
悪を裁いた快感。
でもその“悪”に切り分けられない生活があることを知った不快感。
自分は何をやっているんだろう、とトウマは思う。
その夜、手帳に書いたのは一行だけだった。
『斑目トオルは、ただの悪役じゃない』
続けて、少し迷ってから書き足す。
『善悪を簡単に決める側に、俺はなりたくない』
けれど、その誓いがどこまで保つのか、自信はなかった。




