第18話 正しい暴力
全校集会の翌日、学校は妙に静かだった。
騒ぎの中心にいたはずの生徒たちが、まるで何もなかったみたいな顔をしている。
いや、正確には“何かはあったが説明できない”という表情だ。
「昨日さ」
「うん」
「なんか急に、声出なくならなかった?」
「わかる」
「でも先生のせいじゃなくね?」
「じゃあ何?」
「王様じゃね」
そんな囁きが、教室でも廊下でも流れていく。
噂はもう都市伝説みたいな軽さじゃなかった。
皆、半分は本気で信じ始めている。
トウマは窓際で頬杖をつきながら、校庭を眺めていた。
体調は戻っていない。
ただ、それ以上に気持ちが悪かったのは、昨日の講堂で空気が一斉に沈黙した瞬間を、何度も思い返してしまうことだった。
怖い。
なのに、どこかで鮮烈に残っている。
数百人が、自分の一言で黙った。
それは恐怖であると同時に、あまりにも強い感覚だった。
「おい」
シュウがパンを机に置いた。
「今日の分」
「毎日買ってこなくていい」
「飯食わねえ方が面倒」
「うるさい」
短いやりとりのあと、シュウは机の端に腰を乗せた。
「昨日のこと、誰にも話してねえから」
「……」
「でも、俺の中で“何もなかった”ことにはならねえよ」
真っ直ぐな視線。
逃げ場がない。
「俺さ、お前が悪いやつだとは思ってねえ」
「うん」
「でも、ああいうの、気持ちよかったろ」
心臓が、ひやりとした。
「……なに言って」
「図星だからそういう顔するんだよ」
シュウの声は責めている。
でも、怒りきれない。
たぶん、親友として止めたい気持ちと、助けられた事実への感謝とが、まだ中でぶつかっている。
「最悪だな、俺」
トウマは小さく笑った。
「そう思えるうちは、ギリ大丈夫だろ」
シュウはそう言ったが、その“ギリ”の幅がどれだけ狭いか、二人とも分かっていた。
その日の夕方、ゲームセンター前で小さな騒ぎが起きた。
中学生くらいの男子が、店の横で高校生三人に囲まれていた。
金を出せ、景品を置いていけ、そんなありふれた脅し。
通行人は見て見ぬふり。
誰かが止めるより早く、日常はこういう悪意をやり過ごしていく。
トウマは、その場に一人でいた。
止めるべきだ。
大人を呼ぶか。店員を呼ぶか。
警察か。
頭の中に選択肢は浮かぶ。
でも、そのどれよりも先に、もっと早い答えがあることを身体が知っている。
たった一言で済む。
左耳の奥が、静かになる。
カン。
黒金の王冠。
対象は三人。
だめだ、と理性は言う。
けれど次の瞬間には、怒りがその上を踏み潰していた。
「――どけ」
三人が一斉に後ろへ下がる。
「は?」
「何だよ今」
混乱している隙に、中学生がこちらへ走ってくる。
トウマは何も言わず、そのまま店内へ押し込んだ。
高校生たちは訳も分からない顔で数秒立ち尽くし、やがて気味悪そうに舌打ちして去っていく。
簡単だった。
怖いくらいに。
トウマはガラス越しに、自分の顔を見る。
ひどく冷めた顔をしていた。
悪いやつに使うなら、正しい。
弱い者を助けるためなら、間違っていない。
それの何がいけない。
そう言い聞かせる声が、胸の奥で滑らかに形になる。
その夜、セナから電話が来た。
『今日、どこかで使った?』 「……」 『黙るってことは使ったのね』 「何で分かる」 『あなた、使った日の夜は声が少し違う』
細すぎる違いを、彼女は当然みたいに拾う。
『御影。それ、正義のためだと思ってるでしょう』 「実際そうだろ」 『そうやって自分を納得させるのが、一番危ないの』
セナの声は冷たい。でも、その冷たさは恐怖からできている。
『悪い相手なら何してもいい、って思い始めたら終わりよ』 「命令しただけだ」 『命令“できる”こと自体が問題なの』
返事ができない。
『あなた、最近ちょっとずつ慣れてきてる』 「……」 『それが嫌なの』
通話が切れたあと、トウマはしばらく暗い部屋で動けなかった。
机の上の手帳を開く。
ペンを持つ。
書くべき言葉は分かっているのに、最初に出たのは別のものだった。
『悪いやつに使うのは、本当に悪いことか?』
書いてから、自分でぞっとする。
それでも、線で消すことができなかった。




