表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/43

第17話 全員、黙れ

体育祭準備中の事故から三日後、全校集会は異様な空気で始まった。


講堂の空調は古く、熱のこもった空気が逃げきらない。


整列した制服の群れの中で、生徒たちはそれぞれ別のざわめきを抱えていた。


体育祭準備中の足場崩落。部費横領の噂。


旧校舎の“王様”。そして、学校側が何かを隠しているらしいという、根拠の薄い確信。


壇上には教頭と数人の教師。少し遅れて、生徒会役員たちが列を整えて脇に立つ。


その中に、榊キョウヤがいた。


笑っているわけでもないのに、あの男はいつも笑っているように見える。


目元の形なのか、声の温度なのか、それとも、相手より先に相手の出方を見終えている人間特有の余裕なのか。


「御影くん」


隣の列からユイナが小さく声をかけた。


集会前のざわつきに紛れる程度の声量。


「顔色、また悪い」


「最近の挨拶、そればっかりだな」


「だってほんとだから」


少しだけ笑ってみせると、ユイナもわずかに肩の力を抜く。


その表情を見るだけで、トウマは自分がまだ普通の高校生のふりを続けられている気がした。


少し前の列にはシュウがいる。


振り返りざま、ちらっとこちらを見て、何でもないように親指を立てた。


“立っとけ”という意味だと分かる。


最近のシュウは、言葉より先にそういう雑な優しさを投げてくる。


集会は予定通り、教頭の形式的な話から始まった。


「先日の事故については、設備管理の不備として現在確認を進めています――」


ざわつきが起きる。


前列のどこかで、誰かが「それだけ?」と呟いた。


たぶん、全員が同じことを思っていた。


事故は事故で終わる。


暴力は指導で終わる。


横領は調査中で終わる。


そうやって、この学校は全部を薄く均して飲み込んできた。


教頭の声が続く。


「憶測や事実確認の取れていない情報を広めることは、学校全体の不安を煽る行為です。最近、一部の匿名投稿や根拠のない噂話が見受けられますが――」


そこで、後方のどこかから声が飛んだ。


「根拠ないなら、なんで部費の件は隠してるんですか」


一瞬で講堂の空気が張り詰める。


教師たちがざわつき、誰が言ったのか探すように視線を走らせる。


続けて別の場所から、


「いじめの件も揉み消したって本当ですか」


さらに、


「王様が裁いた方が早いだろ」


空気が、一気に割れた。


笑い。ざわめき。


怒号めいた囁き。


教頭が声を荒げる。


「静かにしなさい!」


けれど、今度はその言葉の方が軽かった。


何かが決壊し始めている。


皆が、何となく気づいている。


この学校には見えない綻びがある。そして、誰かがそれを無理やり押し広げようとしている。


壇上脇で、榊キョウヤだけが静かに状況を見ていた。


焦りがない。


むしろ、この混乱を最初から待っていたみたいに。


トウマは嫌な予感を覚える。


左耳の奥が、じわりと熱を帯びた。


騒ぎはさらに大きくなる。


前の列の男子が苛立って立ち上がり、別の生徒に食ってかかる。


後ろではスマホを隠し撮りしている者がいる。


教師は収拾どころか、誰を止めるべきかも分からない顔をしていた。


「御影」


横からセナの低い声が刺すように届く。


「だめ」


「まだ何も」


「顔見れば分かる」


言い返す間にも、混乱は増幅していく。


壇上では教頭がマイクを叩きそうな勢いで怒鳴っていた。


それでも講堂は静まらない。


誰も、本当には誰の言葉も聞いていない。


こんな時こそ、たった一言で全部を黙らせられたら――


その考えが頭を過った瞬間、自分でぞっとした。


だが、次の瞬間にはもう、感情より先に身体が動いていた。


左耳の奥で、


カン――。


金属音が鋭く響く。


講堂全体のざわめきが、一拍だけ消えた。


トウマの視界の奥で、幾つもの頭上に薄く黒金の王冠が滲む。


一人じゃない。


十人でもない。


こんな規模、やったことがない。


やればまずい。


分かっているのに、喉の奥から言葉が押し上げられる。


長い命令は通らない。


複雑な制御もできない。


必要なのは、刃みたいに短い一言だけ。


トウマは唇を噛み、最小の言葉を選んだ。


「――全員、黙れ」


瞬間、講堂の音が死んだ。


咳払いすら消える。


マイクのノイズも、椅子のきしみも、人の息も、すべて一度だけ止まる。


次に戻ってきたのは、異様な静寂だった。


誰もが、自分で黙ったのか、黙らされたのか分からない顔をしている。


目を見開き、隣を見て、でも声が出せない。


たった一言で、数百人の空気がひれ伏した。


トウマ自身が、いちばんぞっとしていた。


――こんなことまで、できるのか。


数秒後、時間が戻ったようにどこかで息を呑む音が広がる。


教師たちは完全に言葉を失っていた。教頭は口を開いたまま、マイクを握って固まっている。


トウマの膝から、力が抜けた。


「御影!」


シュウの声。


次いでユイナが駆け寄り、セナが腕を支える。


視界の端で、壇上脇の榊キョウヤが、静かに拍手を一度だけ打ったのが見えた。


誰にも聞こえないほど小さい拍手だった。


でも、トウマには見えた。


あれは賞賛ではない。


確認だ。


“やはり君か”という、確信の拍手だ。


講堂の床が遠い。


吐き気と耳鳴りで、世界が水の中みたいに歪む。


「しっかりして」


ユイナの声が近い。


シュウが肩を貸し、セナが教師たちを睨みつけるようにして道を開ける。


「保健室、今すぐ」


「でも、集会」


「どうでもいい!」


珍しく、セナがほとんど怒鳴るように言った。


保健室へ運ばれる途中、トウマは意識の端で考えていた。


今、自分は何をした。


正義のためか。


混乱を止めるためか。


それとも、ただ“黙らせられる”ことに一瞬でも酔ったのか。


その答えを考えるより先に、意識は暗く落ちた。


目を覚ました時、窓の外はもう夕方だった。


枕元の椅子に、シュウが座っている。


「……最悪」


「起きたか、王様」


冗談めかした言い方なのに、声は笑っていなかった。


「何でその呼び方」


「今さらだろ」


少し沈黙が落ちる。


やがてシュウは、前を向いたまま言った。


「お前、あれ……どこまでできるんだ」


「わからない」


「わかんないでやってんのかよ」


「……」


「いや、責めてるわけじゃねえ。たぶん。たぶんな」


その“たぶん”が、今のシュウの本音だった。


そしてドアの外、廊下の影に、榊キョウヤの気配が一瞬だけ止まって、去っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ