第12話 王冠の目撃者
有馬ノアは、決して目立つタイプではなかった。
写真部に一人でいる姿が似合う。
誰かの輪の中心に立つより、少し離れた場所から景色の温度を拾う方が向いている。
だからこそ、彼女が「知りたい」と言ったことに、トウマは少なからず驚いていた。
放課後、ノアに呼ばれて渡り廊下へ向かうと、彼女はフェンス越しに中庭を見下ろしていた。
「来てくれてありがとうございます」
「何かあった?」
「はい。……これ、見てください」
差し出されたスマホには、校内匿名掲示板のまとめ画面が映っていた。
『王様は今日もいる』
『悪いことしたやつだけ変になる』
『見えないのに逆らえないってヤバくね?』
『次は生徒会の不正も暴いてくれ』
末尾の一文に、トウマは眉をひそめた。
「生徒会?」
「最近、裏で色々言われてます。予算の流れとか、推薦枠とか」
「証拠は」
「ないです。だから噂」
ノアは真顔で言う。
「でも噂って、ほんとはみんな“おかしい”って感じてる時に広がるじゃないですか」
それはそうだ。
ただの作り話より、説明のつかない違和感の方が人を動かす。
「で、昨日。これがポストに入ってました」
小さな封筒の中には、SDカードが一枚。差出人不明。
ノアがそれを自分の端末で開いたところ、校内設備の監視映像が入っていたらしい。
再生すると、映っていたのは旧校舎の廊下だった。
一年を助けた、あの場所。
画角は悪い。
だが、下級生が囲まれ、トウマが現れ、上級生の手が離れる一連の流れは確かに見える。
そしてその瞬間だけ、画面が白く瞬きした。
ノイズの中に、ひび割れた環のようなものが浮いて消える。
「これ、誰が私に送ったと思いますか」
「……わからない」
「私もです。でも、たぶん誰かが“記録してる”」
ぞくりとした。
見えない力は、見えないままでいられなくなりつつある。
偶然の映り込み、音の消失、噂を拾う誰か。しかも、その誰かはたぶん一人ではない。
「消した方がいい」
「消せません」
「有馬」
「だって、これが誰かを守る証拠になるかもしれないから」
ノアの声は小さい。けれど芯があった。
「私は強くないです。でも、見て見ぬふりしたら、たぶんあとで自分を嫌いになる」
その言葉は、トウマ自身の心にも刺さる。
同じ種類の人間なのかもしれない。止めたいのに、止められない。
「……危ないと思ったら、すぐ逃げろ」
「それ、御影先輩に言われたくないです」
少しだけ笑って、ノアはPCを閉じた。
その帰り道、トウマは渡り廊下の先で榊キョウヤとすれ違った。
「有馬さんと話していたね」
「……たまたまです」
「偶然って、続くと必然に見えてくる」
キョウヤは柔らかく微笑む。
「最近、学校が少し面白くなってきたと思わないか」
「何が言いたいんですか」
「別に。ただ、見えない力に人は勝手に意味を与えるという話だよ」
その言葉の意味を測る前に、キョウヤは通り過ぎた。
香水でも柔軟剤でもない、妙に清潔な匂いだけが残る。
夜。
写真部室での出来事を聞いたシュウは露骨に顔をしかめた。
「誰かが記録してるって、最悪じゃん」
「うん」
「その誰か、味方とは限らねえだろ」
「わかってる」
「ほんとに?」
シュウは机に腰掛けたまま、腕を組む。
「お前さ、自分のことになると“わかってる”って言って、全然引かねえよな」
「引けるならとっくに引いてる」
「……それが問題だって言ってんの」
トウマは言い返せなかった。
そこへユイナが来る。
今日は図書委員の仕事帰りらしく、数冊の本を抱えていた。
「何の話?」
「こいつがまた厄介ごと抱えてる話」
「雑すぎる説明」
「だいたい合ってる」
ユイナは三人の顔を見比べ、何か察したように息をつく。
「じゃあ、私も聞く」
「聞いてどうする」
「一人で抱えるより、みんなで抱えた方が少しマシかもしれない」
その言い方に、シュウが苦笑した。
「白峰、たまに男前だよな」
「風間くんにだけは言われたくない」
少し笑いが起きる。
その空気に甘えたくなる。だが同時に、巻き込みたくないとも思う。
トウマは迷いながらも、ノアの件を簡潔に話した。
話し終えたあと、最初に口を開いたのはセナだった。
「榊先輩が絡んでる気がする」
「やっぱり九条もそう思う?」
「勘だけど。でも、あの人は“噂がどう育つか”を見てる感じがする」
ユイナが小さく首を傾げる。
「何のために?」
「さあ。秩序のためかもしれないし、その逆かもしれない」
シュウが鼻を鳴らす。
「生徒会長って、もっと爽やかなもんじゃねえの」
「風間くんの中の生徒会長像が安っぽい」
「うるせえ」
会話は軽い。
けれど、その奥では全員が同じ不安を共有していた。
見えない力は、いずれ誰かに利用される。
それが味方の顔をした人間なら、なお厄介だ。
帰宅後。
手帳に今日のことを書きながら、トウマはふとペンを止めた。
『有馬ノアは見て見ぬふりをしない』
そこまで書いて、少し考える。
続けて書いた。
『見て見ぬふりをしない人間が増えるほど、たぶん世界は面倒になる。でも、その方がいい』
書き終えた時、スマホが震えた。
知らない送信元から画像が一枚届いている。
開くと、旧校舎の監視映像の切り抜きだった。
ノイズの中、黒金の輪郭のすぐ横に、うっすらと自分の横顔が映っている。
そして本文は一行だけ。
『あなたですよね』




