26. 宿屋に別れを
シャワーを浴びて部屋に戻る。
ヘルファイアが隣を去り、寂しい思いで胸がいっぱいだったが、思い返してみれば自分も今日でこの部屋とはお別れなのである。僕は名残惜しさを感じつつも部屋に置いてあった荷物をまとめることにする。
7日間の滞在。
長いようで短かかった。いや、短いようで長かったか。初めてづくしでとても新鮮な毎日をおくってきたと思う。面白いことも楽しいことも、はたまた嫌なことも辛いこともこの短い期間の間にたくさん感じてきた。その度に疲れた体を優しく向かい入れてくれたこの部屋にはとても愛着が湧いていた。正直いって離れがたい。
そんな思い出の数だけ物は増え、最初は何もなかったこの部屋にもいくつか物が置かれていた。
ここに来た時にきていたスウェット、初日に借りたタオル、試験用に買った鎧、ギルドで借りた剣と盾。
..............。
「うーん、そんなに多くないか」
思い出の多さに比べて物はあまり増えていなかった。
あっさりと片付けも終わる。まぁ、でもこういうのは物の多さじゃないから。
僕は気持ちを切り替える。
僕はざっと部屋を見渡し、部屋の景色を心にとどめる。
きっとこの部屋は出会いと別れを何度も繰り返しているだろう。僕もその一部になれたことに感謝だ。
僕はこれから先やっていけるのかな?まだ次の宿だって探してないのに。
不安が胸をよぎるものの、なんとかなるさと首を振る。
「グッバイ。最初の部屋。ありがとう。君のことは忘れないよ」
瞳の端をちょっぴり湿らして僕は部屋を後にした。
そして一回の受付へと足を運ぶ。
そこにはいつも通りメルが受付嬢として立っている。
「お兄さんも、今日でおしまいか......」
メルが珍しく寂しそうにしている。
まさか寂しがってもらえるなんて思わなかったからちょっと嬉しい。
「またお昼ご飯を食べに来たりするからそんなに寂しがらないでよ」
「べ、別に寂しがってなんかないよ。ここから追い出されて無事に生きていけるか心配してあげてるだけだよ」
「ははは。大丈夫だよ。みんなのおかげで冒険者としてやっていけそうだし。生活魔法を教えてもらえたのもすごい助かったよ」
「そうでしょう。そうでしょう。必殺技のこともわすれないでよね!」
「わかってるよ。それとクレープもね」
「そう。それが一番大切だね!」
クレープというワードで満面の笑みを浮かべる。
十歳位の少女の笑顔、大切に心のアルバムに閉まっておきます。
「それじゃあ7日間ありがとうございました」
「いえいえ。また来てね!」
「あ、それでおばあちゃんはいる?」
「厨房にいるよ」
「ありがとう」
こうしてメルとの別れをすまし、僕はおばあちゃんの元へと向かう。
おばあちゃんは実質的な僕の魔法の師匠であるし、毎日美味しいまかないを頂いたのでお礼をしないと気が済まない。
「失礼します」
僕はそっと厨房の中へと入る。
おばあちゃんは厨房の奥で大きな鍋をかきまぜていた。シチューの良い香りが漂ってくる。
「あら、わざわざ声をかけにきてくれたのかい」
おばあちゃんが鍋をかきまぜながら、顔をこちらに向ける。
「当たり前じゃないですか。なんたっておばあちゃんは僕の魔法の師匠ですから」
「あらあら。そんなたいそうなものじゃないですよ。基本的なことを教えただけですから」
「いえ、それでも教えていただけなかったらきっと魔法が使えるようになるのはもっと先でした。本当にありがとうございます」
僕にとっては、魔法を使うというのはこの世界の人以上にとても価値のあることだ。なんてったって地球で生きてて魔法に憧れない人間はいないのだから。まさに夢の中の夢。それを使えるようにしてくれたのだからおばあちゃんには感謝をしてもしきれない。
そんな感謝の思いをこめて、僕はぺこりとおじぎをする。
顔を上げるとおばあちゃんが鍋を回す手を止め、僕の近くまでやってきていた。そして、僕の手を取って言う。
「そんな頭をさげないでください。喜んでもらえたらな私も嬉しいですよ。これから先無事にやって行けそうですか?」
「はい、頑張って行きます」
僕の返答に笑顔を浮かべ、僕の手をさらにぎゅっと力を込めて握る。
なんだかおばあちゃんの力をわけてもらっているような気持ちになる。もしかしたら昔は魔術師をしていたといういうし、本当になにかしらの加護をつけてくれているのかもしれない。安心感が胸いっぱいに広がっていった。
「タイチさんならきっとやっていけると思います。たまにはうちのご飯を食べに来てくださいね」
「はい!」
またも最後におじぎをし、僕は厨房を後にした。
「本当にいっちゃうんだね」
受付を通りすぎる際、メルがぼそりと呟いた。
僕は足を止める。
「うん、僕にはこの宿はちょっぴり高いからね。本当にありがとうね」
「最初は不審者扱いしちゃってごめんなさい」
メルが頭をさげて謝った。
全く意外な言葉に僕は驚いて顔が固まった。しかし、すぐに表情をもどして返答する。
「そんな謝らなくていいよ。変な格好だったしカードには判子もついてたし、疑うのは当然だよ」
「うん、それはそうだね!」
「そこを元気よく肯定しなくてもいいのに......」
「でも毎日ボロボロになって帰ってくるのに毎晩庭で魔法の練習をしてるのを見て、あー、この人って意外にちゃんとしてる人なのかなぁって思ったよ。だから一応ちゃんと謝っておこうと思って」
見てくれているひとは見てくれているのである。
本当はシャワーを温めるのに四苦八苦してただけなんだけど、それでも嬉しいものは嬉しい。
「ありがとう。なんか嬉しくなってきたよ」
「まぁ、そういうわけで。これでお別れってわけでもないし、それじゃあね」
「うん、またね」
こうして、メルに手を振られながら長い間お世話になった宿屋“グランマの家”を後にしたのであった。




