第59章 自分で選ぶ方向
翌朝、資材置き場に到着した湊は、最初に個体の位置を確認した。
個体は空き地の中央にはいなかった。
前日まで金属部品を組み合わせていた場所から離れ、敷地の北側にある排水路の近くに立っていた。
「また移動しています」
隊員が観察映像を確認する。
「午前五時頃から、何度か同じ場所を往復しています」
「排水路に何かあるのか?」
「今のところ、特別なものは確認されていません」
湊は排水路の先を見た。
そこには古い資材置き場がある。
以前、代替地の候補として調査した場所だった。
個体は排水路の縁に前肢をつけ、しばらく動かなかった。
それから、少しだけ身体の向きを変えた。
「近づかないで観察を続けよう」
湊は隊員に指示した。
*
午前中、管理会社から正式な回答が届いた。
現在の空き地について、使用期限の延長は認められないという。
週明けには資材の搬入が始まるため、それまでに空き地を明け渡す必要があった。
一方、古い資材置き場の所有者からは、短期間の利用について検討するという回答があった。
ただし、建物の一部が損傷しているため、屋内への立入りは認められない。
「屋外だけなら、今の場所より安全とは言えませんね」
隊員が報告書を見ながら言った。
「地面の状態も悪い。雨が降れば水がたまる」
「それでも、候補地としては残すんですか」
「他に選択肢がないなら、比較する必要はある。ただし、こちらの都合だけで移動先を決めるわけにはいかない」
湊は現場の映像を再生した。
個体は排水路の近くから離れ、再び空き地へ戻っていた。
そして、金属部品の配置を確認している。
「本人が移動を望んでいるかどうかも分からないな」
「こちらの言葉を理解しているかも分かりません」
「そうだな」
湊は映像を止めた。
人間同士なら、移動先の候補を示して意思を確認することができる。
しかし、今の個体に同じ方法が通用する保証はなかった。
*
午後、湊たちは個体の活動場所から離れたところに、古い金属板を一枚置いた。
これは管理会社が所有する資材であり、使用許可を得たものだった。
個体がそれを必要としているかどうかを確認するためではない。
人間側が何かを置いたとき、個体がどのような反応を示すかを観察するためだった。
湊たちは十分な距離を取った。
しばらくすると、個体が金属板に気づいた。
ゆっくり近づき、表面に前肢を触れさせる。
そのまま数秒間、動かなかった。
やがて、金属板の端を持ち上げた。
しかし、空き地の中央へ運ぶことはなかった。
個体は金属板を元の位置に戻し、別の方向へ歩いていった。
「使いませんでしたね」
「そうだな」
「こちらが用意したものだからでしょうか」
「それも分からない。形や大きさが合わなかったのかもしれない」
湊は金属板を回収するよう指示した。
個体はその様子を見ていたが、近づいてくることはなかった。
その後、再び排水路の方へ移動した。
*
灯里は、研究施設で父の古い観察記録を読み直していた。
今回の個体と直接関係する資料ではない。
しかし、過去の研究には、特殊生命体が環境を選択する際の行動について、短い記述が残されていた。
ある個体は、与えられた飼育環境を使わず、自分で周囲の物体を移動させていた。
別の個体は、研究施設の中でも特定の場所にだけ長時間とどまっていた。
ただし、なぜその場所を選んだのかは記録されていない。
灯里は該当箇所に印をつけた。
その記録の後半には、研究者側が環境を変更した際の経過も残されていた。
個体の行動は変化した。
しかし、その変化が適応なのか、拒絶なのか、それとも別の目的によるものなのかは判断されていなかった。
「環境を変えた結果だけを見ても、本人が何を考えていたかは分からない……」
灯里は小さくつぶやいた。
研究者が用意した環境に適応したからといって、それを望んでいたとは限らない。
反対に、与えられた環境を使わなかったからといって、人間に敵意があるとも限らない。
灯里は資料を閉じた。
今度の個体についても、同じことが言えた。
*
夕方、湊は再び資材置き場を確認した。
個体は空き地の中央で、これまで組み合わせていた金属部品を一つずつ取り外していた。
隊員が警戒する。
「壊しているように見えます」
「全部を壊しているわけではない。記録を続けてくれ」
個体は細長い部品を取り外し、少し離れた場所に置いた。
次に、別の部品を持ち上げた。
それも同じように移動させる。
しばらくすると、中央にあった構造物は、ほとんど元の部品の状態に戻っていた。
「せっかく組み立てたのに……」
隊員がつぶやいた。
湊は何も答えなかった。
完成させようとしていたのか。
組み立てる過程そのものに意味があったのか。
あるいは、別の場所へ移す準備をしているのか。
まだ判断できない。
個体は最後に、中央に残っていた小さな金属片を拾い上げた。
それを持ったまま、北側の排水路へ向かう。
今度は途中で立ち止まらなかった。
*
個体は排水路を越えた。
その先には、以前調査した古い資材置き場がある。
個体は敷地の入口付近で立ち止まり、地面に前肢をつけた。
周囲には古い金属片が少し残っている。
建物の屋根は傷んでおり、内部には入れない。
それでも、個体はしばらくその場所にとどまっていた。
「移動先を探していたんでしょうか」
隊員が遠くから観察しながら尋ねた。
「まだ分からない」
湊は答えた。
「ただ、こちらが用意した候補地とは違う場所を、自分で選んだ可能性はある」
個体は地面に置いていた金属片を持ち上げた。
それを古い資材置き場の入口付近に置き、少し離れた場所へ移動した。
そして、もう一度戻ってきた。
何かを確かめているようだった。
湊は隊員に連絡した。
「管理会社に、この土地の所有者を確認してもらってくれ。使用できるかどうかは、その後で判断する」
「分かりました」
個体が選んだ場所を、そのまま使わせることはできない。
所有者の許可も、安全確認も必要になる。
しかし、少なくとも移動先を考える際には、人間側が用意した候補だけでなく、個体自身が示した場所も確認する必要があった。
湊は、古い資材置き場を見つめた。
個体はそこに立ち続けていた。
それが新しい居場所になるのか。
それとも、ただ一時的に立ち寄っただけなのか。
まだ、誰にも分からなかった。




