第51章 止まるまでの時間
山道を封鎖してから、二日が経過していた。
崩落した斜面には仮設の防護柵が設置され、道路の両端には警戒員が立っている。現場には防衛部隊のほか、地質調査を担当する技術員も入っていた。
春日湊は斜面の下で、崩れた岩の配置を確認していた。
「この辺りは、昨日の調査でも動いていないんですよね?」
「そうだ。表面の亀裂は増えているが、斜面全体が動いているわけではない」
技術員が測定器を確認しながら答えた。
「ただし、岩の内部に通常とは異なる亀裂がある。原因はまだ分からない」
湊は斜面の上を見た。
前回、ここで見た大きな個体と人型の個体。
どちらも互いに攻撃しなかった。
人型の個体が岩に触れたとき、表面が割れた。しかし、それが崩落の原因だったのか、それとも崩落しかけていた岩に触れただけなのか、まだ判断できていない。
「春日」
呼ばれて振り返る。
班長が新しい装備を持ってきていた。
「今日から補助装備の試験を行う。前回の停止遅延について、技術班が調整したそうだ」
「もう使えるんですか?」
「調整は終わった。安全性の確認はこれからだ」
班長は装備を湊に渡した。
「だから、最初から出力を上げるな。異常があればすぐ報告しろ」
「分かりました」
湊は腕に装着し、固定具を確認した。
外見は以前と大きく変わらない。
しかし、内部制御の設定が変更されているらしい。
技術員が端末を操作した。
「まずは停止試験を行います。腕を前に出してください」
湊は指示された位置まで腕を動かした。
「停止」
装備の駆動音が止まる。
一拍。
湊は自分の腕を見た。
「今のは?」
「制御信号が届いてから、駆動が完全に停止するまでの時間です。以前より短縮しています」
「完全にゼロにはならないんですね」
「機械ですからね。動作を止めるための処理時間は必要です」
技術員は端末の数値を確認した。
「ただし、現場で使用するには、もう少し確認が必要です」
そのときだった。
斜面の上から、小さな石が落ちてきた。
一つではない。
複数の石が斜面を転がり、仮設柵の近くで跳ねた。
「全員、下がれ!」
班長の声が響いた。
技術員が測定器を抱えて後退する。
湊も後ろへ下がろうとしたが、その直後、斜面の中腹にあった岩が傾いた。
岩の下には、調査用の機材が置かれている。
「機材を離せ!」
技術員が叫んだ。
しかし、機材を固定していた支柱が岩に押され、倒れかけていた。
湊は腕を前に出した。
補助装備が作動する。
駆動音とともに、腕が岩の側面を押さえた。
重い。
装備の出力が上がり、岩の動きが一時的に止まる。
「春日、無理に支えるな!」
「分かっています!」
湊は足場を確認した。
岩の重さを完全に受け止めることはできない。
それでも、今ここで手を離せば、機材のある方向へ転がる可能性がある。
「支柱を抜け! 機材は後回しだ!」
班長の指示で、技術員が固定具を外し始めた。
「あと少し!」
その声を聞いて、湊は腕の出力を維持した。
やがて支柱が外れ、技術員たちが機材から離れる。
「春日、停止!」
湊はすぐに停止操作を行った。
しかし、腕はすぐには止まらなかった。
駆動部が短く唸る。
岩を押さえていた腕が、わずかに前へ動く。
「っ……!」
湊は足を踏ん張った。
次の瞬間、装備が停止した。
岩はその場に留まっていた。
班長が駆け寄る。
「怪我は?」
「ありません」
「装備は?」
湊は腕を動かそうとした。
動く。
ただし、駆動音が少し不規則だった。
「停止が遅れました」
技術員が端末を確認する。
「記録します。今の負荷では、停止までの時間が想定より長くなっています」
「調整したんじゃなかったんですか?」
「通常負荷では改善しています。ただ、負荷が大きくなると制御に差が出るようです」
班長は装備を見た。
「つまり、実戦でどこまで使えるかは、まだ分からないということか」
「はい」
技術員は否定しなかった。
「ただし、今のデータは重要です。以前の問題とは異なる条件で発生しています」
湊は岩から腕を離した。
斜面の上を見上げる。
崩れた岩の隙間に、何かが動いたように見えた。
「班長」
「どうした?」
「上です」
全員の視線が斜面へ向く。
岩の陰から、細長い影が現れた。
それは人間よりも低い位置で、斜面に身体を沿わせていた。
全身の輪郭ははっきりしない。
ただ、岩の隙間を選ぶように移動している。
「個体を確認。全員、警戒態勢!」
班長が指示を出す。
隊員たちは距離を取り、武器を構えた。
影は止まった。
こちらを見ているのかどうかも分からない。
「攻撃の兆候は?」
「今のところありません」
「接近するな。周囲の安全を優先する」
湊は腕の装備を確認した。
先ほどの停止遅延が、まだ頭に残っている。
今の状態で無理に接近すれば、装備の不具合が別の事故を招く可能性がある。
影は岩の隙間に身体を押し込むようにして、少しずつ移動した。
やがて、斜面の反対側へ消えていった。
「追跡しますか?」
隊員の一人が尋ねる。
班長は周囲を確認してから答えた。
「しない。斜面の状態が安定していない。ここで追えば、こちらが崩落を起こす可能性がある」
「了解」
誰も異論を唱えなかった。
湊は、影が消えた場所を見ていた。
あの個体は岩の間を移動していた。
先ほどの大きな個体とは違う。
何を探していたのかも、なぜここにいたのかも分からない。
ただ、少なくとも今は、こちらへ向かってくる様子はなかった。
「春日」
班長が声をかける。
「装備の使用は中止だ。技術班に渡して、点検を受けろ」
「分かりました」
湊は固定具を外した。
技術員が装備を受け取り、端末に記録を残す。
「今回の試験結果は、開発部門にも送ります」
「この装備、まだ改良が必要なんですね」
「ええ。現場で使えることと、現場で安全に使えることは違いますから」
その言葉に、湊は小さく頷いた。
同じ日の午後。
防衛部隊の技術管理室に、現場の記録が送られていた。
装備の停止遅延。
高負荷時の制御異常。
そして、崩落現場で確認された未登録個体の映像。
技術員が記録を整理していると、別の端末に新しい通知が表示された。
管理記録 移送関連資料
現場で回収された物品のうち、一部について追加の分析が必要との連絡だった。
資料には、回収場所と管理番号だけが記載されている。
回収物の詳細は表示されていなかった。
技術員は画面を確認し、担当部署へ転送した。
数分後、管理記録の状態が更新された。
保管先変更:完了
その頃、研究施設の地下区画。
00号の観察室では、生命活動の記録が更新されていた。
担当者は前回のデータと今回の数値を並べた。
神経活動に、ごく小さな変化がある。
それは一度だけではなかった。
一定の間隔を置きながら、同じ傾向が記録されている。
「活動の周期が変わっています」
研究員が言った。
隣にいた職員は画面を見つめた。
「意識の回復か?」
「判断できません。身体の反応なのか、神経活動そのものの変化なのかも、まだ区別できていません」
「記録を続けろ。外部への報告は従来どおりだ」
研究員は頷いた。
ガラスの向こうで、00号は動かない。
その手も、目も、身体全体も、静止したままだった。
ただ、記録上の変化だけが続いていた。
研究員は新しいデータを保存した。
画面には、短い項目が一つ追加されていた。
「前回観察との連続性:確認中」
まだ、目覚めたとは言えない。
しかし、十年前から続いていた状態が、完全に同じではなくなっていることだけは確かだった。




