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新種族とアンカー  作者: 亀


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第五十章 傷を選ぶもの

防衛部隊が現場に到着したとき、最初に確認されたのは血痕だった。

山間部を通る旧道。その脇にある、長く使われていない資材置き場の入口に、赤黒い跡が点々と続いている。

「人間の血液反応です。量は多くありませんが、複数箇所に付着しています」

隊員の報告を聞き、湊は周囲を見回した。

「負傷者がいる可能性があるってことですよね」

「そうだ。だが、相手が人間とは限らない」

隊長は短く答えた。

この付近では数日前から、夜間に不自然な光が目撃されていた。近隣住民からの通報を受けて調査を始めたところ、道路脇の斜面に複数の足跡らしき痕跡が見つかった。

そのうち一つは、人間のものに近い。

もう一つは、地面を深く抉るほど重いものだった。

「大型個体がいる可能性もある。まずは周辺住民の避難を優先する。内部への進入は二人一組で行え」

隊員たちが配置につく。

湊も装備を確認し、資材置き場の奥へ進んだ。

建物の内部は暗く、天井の一部が崩れていた。錆びた棚や古い工具が散乱し、床には乾いた泥が広がっている。

その奥から、かすかな音が聞こえた。

金属が触れ合うような音。

続いて、何かを引きずる音。

「……誰かいますか?」

湊が声をかける。

返事はなかった。

しかし、奥の暗がりで何かが動いた。

隊員が武器を構える。

「確認できるまで近づくな」

隊長の指示が飛んだ。

湊は足を止めた。

暗がりから現れたのは、人間に似た姿をした生命体だった。

ただし、その身体は人間とは明らかに異なっていた。

全身を覆う外皮は白に近い灰色で、肩から腕にかけて細い溝のような模様が走っている。指は長く、関節の位置も人間とは少し違う。

その生命体は、床に横たわる別の個体のそばに膝をついていた。

倒れている個体は、人間の形をしていない。

硬い外殻の一部が割れ、そこから暗い色の液体が流れ出していた。背中には複数の突起があり、そのうち二本は根元から折れている。

湊は思わず息を呑んだ。

「負傷している……?」

「対象が二体確認された。片方は大型個体だ。警戒を続けろ」

隊長が指示する。

白い生命体は、こちらを見た。

その目には、明確な警戒があった。

だが、攻撃の姿勢は取らなかった。

代わりに、長い指を倒れた個体の傷口へ近づける。

すると、指先から薄い膜のようなものが広がった。

割れた外殻の周囲を覆い、流れ出ていた液体を押しとどめている。

「何をしている……?」

隊員の一人が呟いた。

湊は武器を下げないまま、相手の動きを見つめた。

「治療しているように見えます」

「そう見えるだけかもしれない。対象の行動を決めつけるな」

隊長の言葉は正しかった。

白い生命体が何をしているのか、まだ分からない。

それでも、倒れた個体を見捨てていないことだけは分かった。

「こちらに敵対する意思はあるか」

隊長が拡声器を通して呼びかける。

白い生命体は答えない。

その手を傷口から離さず、もう片方の手で床に落ちていた破片を拾った。

破片を倒れた個体の身体に近づける。

すると、薄い膜が再び広がり、破片を元の位置へ押し戻した。

まるで、壊れた部分を組み直しているようだった。

「接近する。負傷個体の状態を確認する」

隊員の一人が前へ出た。

その瞬間、白い生命体の指が止まった。

次の瞬間、床に置かれていた金属片が一斉に浮き上がった。

「止まれ!」

隊長の声が響く。

金属片は隊員たちの前で静止したまま、こちらを向いていた。

攻撃ではない。

しかし、進路を塞ぐには十分だった。

「こちらは負傷者を確認したいだけだ!」

湊が声を張る。

白い生命体の視線が湊へ移る。

「……近づくな」

かすれた声だった。

湊は一瞬、言葉を失った。

「言葉が通じるのか」

隊員が驚く。

「近づけば、壊れる」

白い生命体は、床に横たわる個体を見下ろした。

「そいつが?」

湊が尋ねる。

「これ以上、刺激を与えるな」

それだけ言うと、白い生命体は再び治療に戻った。

隊長は隊員たちに後退を指示した。

「負傷個体の状態が分からない以上、無理な接近は避ける。周囲の安全を確保し、救助可能な人間がいないか確認する」

「でも、あの個体は……」

「分かっている。だが、我々の任務は人間の安全確保だ。対象の行動が治療に見えても、危険性が消えたわけではない」

湊はそれ以上何も言わなかった。

そのとき、建物の外から別の隊員の無線が入った。

『隊長、確認をお願いします。資材置き場の裏側で、人間一名を発見しました。負傷しています』

隊長の表情が変わる。

「状態は?」

『意識があります。足を負傷して動けないようです』

「すぐに救護班を向かわせろ。周辺に他の個体がいないか確認しろ」

湊は白い生命体を見た。

「ここにいた人間も、あの個体が傷つけたんでしょうか」

「まだ分からない」

隊長は即答した。

「現場の状況だけで因果関係を決めるな。負傷者から話を聞く必要がある」

その後、救護班が負傷した人間を搬送した。

負傷者は資材置き場の管理をしていた作業員だった。数日前、夜間に建物の中から物音がしたため、確認に入ったという。

そこで大型の生命体を見つけ、逃げようとした際に足を負傷した。

ただし、本人の説明では、生命体に直接攻撃されたわけではなかった。

「急に床が揺れて、棚が倒れてきたんです。それで足を挟まれて……」

作業員はそう話した。

「そのとき、白い人影を見ましたか?」

隊員が尋ねる。

「見ました。でも、そいつはこっちに来なかった。倒れた棚をどかそうとしていたようにも見えました」

証言だけでは、白い生命体が何をしていたのかは判断できない。

大型個体が棚を倒したのか。

白い生命体が何かを動かしたのか。

あるいは、別の原因があったのか。

現場には、まだ確認できていないことが多すぎた。

一方、建物の内部では、白い生命体が治療を続けていた。

湊たちは距離を保ち、周囲の安全確認を進めた。

しばらくして、倒れていた大型個体の身体がわずかに動いた。

白い生命体が手を止める。

大型個体の目に当たる部分が開き、周囲を見回した。

そして、目の前にいる白い生命体を認識すると、身体を起こそうとした。

「動くな」

白い生命体が言った。

大型個体は動きを止めた。

その様子を見ていた湊は、奇妙な感覚を覚えた。

命令に従ったというより、相手の言葉を理解し、自分で動かないことを選んだように見えたからだ。

「……助かったのか?」

大型個体が、低い声を出した。

「まだだ」

白い生命体は傷口を確認する。

「お前の身体は、以前と同じ状態には戻らない」

「構わない」

「本当にそう思っているのか」

「動けるなら、それでいい」

白い生命体は返事をしなかった。

ただ、治療の手を止めることもなかった。

湊はその会話を聞きながら、彼らが何を望んでいるのかを考えた。

強くなることなのか。

元の姿に戻ることなのか。

それとも、ただ生き続けることなのか。

少なくとも、目の前の二体にとっては、今ここで生き延びることが優先されているように見えた。

やがて、白い生命体は立ち上がった。

大型個体の身体を支えながら、建物の奥へ移動しようとする。

「待ってください!」

湊が声をかけた。

白い生命体は足を止める。

「その個体は、まだ動けないんでしょう。無理に移動させたら、傷が悪化するかもしれません」

「ここには人間が来る」

「だからって、どこへ行くつもりですか?」

「人間のいない場所だ」

湊は返事に困った。

彼らは人間を襲いたいわけではないのかもしれない。

だが、人間と同じ場所で暮らしたいとも思っていない。

その選択を、湊が否定する理由はなかった。

しかし、負傷した大型個体を連れて移動するなら、周囲への危険も考えなければならない。

「少なくとも、今すぐ外へ出るのはやめてください。救助班が周辺を確認しています。安全な経路を確保するまで、ここにいてほしい」

「人間の指示に従う理由はない」

「そうですね」

湊は素直に答えた。

「でも、あなたがこの個体を助けたいなら、今は動かさない方がいいと思います」

白い生命体は湊を見た。

しばらく沈黙が続いた。

やがて、白い生命体は大型個体を再び床に寝かせた。

それは湊の命令に従ったというより、状況を考えたうえで自分で選んだ行動だった。

隊長はその様子を見て、無線で周辺部隊に指示を出した。

「対象二体は現在、積極的な攻撃行動を取っていない。ただし警戒は継続。負傷個体の移動経路を確認し、住民との接触を避ける」

その日の任務は、二体を追い詰めることなく終了した。

ただし、二体を安全な場所へ移動させたわけでも、保護したわけでもない。

白い生命体は大型個体の治療を続けることを選び、部隊は周辺の住民を遠ざけながら監視を続けることになった。

任務後、湊は報告書を提出した。

「白い個体は負傷した別個体を治療していた可能性が高い。ただし、治療方法と目的は不明。人間への敵対行動は確認されなかったが、接近を拒否するため、今後も慎重な対応が必要」

報告書の最後に、湊は少しだけ手を止めた。

それから、一文を付け加えた。

「少なくとも、あの個体は傷ついた生命を見捨てなかった」

提出した後、隊長に呼び止められた。

「最後の一文は、観察結果か?」

「はい。実際に見ました」

「ならば残しておけ。ただし、そこから先の判断は別だ」

「分かっています」

隊長は報告書を閉じた。

「今回の個体が治療を行ったからといって、他の個体も同じとは限らない。逆も同じだ。個体ごとに確認する必要がある」

湊は頷いた。

その言葉は、今回の現場を見た後では、以前よりも重く感じられた。

人間が傷ついたとき、人間は医療を受ける。

特殊な生命体が傷ついたとき、彼らはどうするのか。

誰が治療するのか。

治療する者とされる者の間には、どんな関係があるのか。

そして、治療を必要とする生命が人間の社会に存在することになったら、人間はそれをどう扱うのか。

湊には、まだ答えがなかった。

その頃、研究施設では今回の現場映像が分析されていた。

白い個体が傷口に触れた際、周囲の組織に通常とは異なる変化が起きていたことが確認された。

しかし、それが修復なのか、一時的な固定なのか、あるいは別の作用なのかは判断できない。

研究員は映像を停止させ、画面に映る長い指先を見つめた。

「この個体は、何を基準に治療対象を選んでいるんだろうな」

隣の研究員は答えなかった。

映像の中では、白い個体が大型個体の傷を塞ぎ続けていた。

それは人間に似た姿をしていたが、人間の医療とは異なる方法だった。

そして、治療を受けていた大型個体もまた、人間とは異なる身体を持っていた。

二つの生命が、互いに異なる姿のまま、同じ場所で生き延びようとしている。

その事実だけが、記録に残った。

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