第四十八章 記録にない反応
特殊緊急防衛隊の本部に、財閥の研究部門から新しい調査依頼が届いた。
場所は、郊外にある小規模な研究用倉庫だった。
施設の管理者によれば、数日前から内部の温度管理装置が不規則に停止し、保管していた機材の位置も変わっているという。
盗難の形跡は確認されていない。
「また機材の異常ですか」
湊が資料を見ながら言った。
「そうだ。今回は財閥の研究施設に近い場所だ。通常の設備点検だけでは原因を特定できなかったらしい」
「特殊生命体が関係している可能性は?」
「否定できない。ただし、現時点では何の証拠もない」
隊長は資料を閉じた。
「施設内には研究用の機材がある。管理者の許可を得てから確認する。勝手に装置を操作するな」
*
倉庫は、研究施設から少し離れた場所にあった。
建物の外観に目立った損傷はない。
管理者が入口の鍵を開け、湊たちを内部へ案内した。
「こちらが異常のあった場所です」
室内には、温度管理装置と複数の保管棚が並んでいる。
「最初に異常が起きたのはいつですか?」
「四日前です。夜間に温度が急に下がり、翌朝には元に戻っていました」
「保管していた機材に影響は?」
「一部の機材の位置が変わっていました。ただ、破損や紛失はありません」
湊は保管棚を確認した。
機材は種類ごとに整理されている。
しかし、棚の一角だけ、置かれている順番が変わっていた。
「誰かが並べ替えた可能性は?」
「管理者は私と数名だけです。全員に確認しましたが、誰も触っていないと言っています」
隊員が棚の周囲を撮影する。
そのとき、室内の照明が一度だけ明滅した。
「今のは?」
隊員が天井を見上げた。
管理者は温度管理装置を確認した。
「また数値が変わっています」
画面に表示された温度が、短い間隔で上下していた。
湊は装置に近づかず、周囲を確認した。
棚の奥に、黒い線のようなものが見える。
「隊長、あそこを確認してください」
隊長が視線を向ける。
黒い線は棚の側面から床へ伸びていた。
その先には、人影のような輪郭がある。
「対象を確認。全員、距離を取れ」
隊員たちは慎重に位置を変えた。
人影は棚に手を触れていた。
その手が動くと、棚に置かれていた小さな金属部品がわずかに揺れた。
しかし、部品は落ちなかった。
「何をしているんだ……」
隊員が呟く。
人影は手を離した。
温度管理装置の数値が一瞬だけ正常な範囲へ戻る。
その後、人影は棚の向こうへ移動し、姿を消した。
「追跡するか?」
「出口を確認します」
湊たちは建物の外へ出た。
しかし、周囲に人影は見当たらなかった。
*
施設内の調査が続けられた。
棚の金属部品には、目立った損傷がない。
温度管理装置も、異常を示す記録は残っているものの、故障箇所は特定できなかった。
「人影が現れた時間と、装置の異常が重なっています」
隊員が報告した。
「だが、因果関係は分からない。別々の現象である可能性もある」
隊長は管理者に確認した。
「この倉庫で保管している機材は、すべてこちらの研究部門の所有物ですか?」
「はい。一部は外部から借りているものもあります」
「最近、機材の移動を依頼したことは?」
「ありません」
湊は棚を見た。
並べられた機材は、どれも普通の研究用設備に見える。
ただ、なぜ位置が変わっていたのかは分からない。
*
財閥の研究部門では、現場映像の分析が始まっていた。
「今回の人影は、以前の壁面変化を伴う個体と特徴が似ています」
「同一個体か?」
「断定できません。映像の輪郭が不鮮明です」
「温度管理装置の異常は?」
「原因は不明です。人影が棚に触れた際、金属部品が動いたように見えますが、装置の数値変化との関係は確認できません」
研究責任者は映像を止めた。
「保管機材の一覧を出せ」
研究員が資料を表示する。
その中には、特殊生命体の組織を調べるための測定機材も含まれていた。
「この倉庫の管理記録と、研究施設側の記録を照合しろ」
「分かりました」
「それから、管理部門へ今回の個体の情報を照会する」
「以前の申請は、まだ回答がありません」
「再申請しろ」
研究員は端末を操作した。
研究部門が保有する情報だけでは、今回の人影が何を求めていたのか分からなかった。
*
灯里は、父親の古い研究資料を確認していた。
今回の倉庫に関する情報を調べていると、十年前の研究計画にも似た設備が使われていたことが分かった。
資料には、個体の身体反応を測定するための装置が記録されている。
しかし、現在の倉庫にある機材と同じものかどうかは分からない。
灯里は、資料の端に書かれた父親の手書きの注記を見つけた。
――測定結果が変化した場合、その変化を個体の意思と結びつける前に、環境側の要因を確認すること。
彼女はその一文を読み返した。
父親は、測定された数値だけで個体の行動を判断することを避けていた。
現在の研究部門でも、同じ慎重さが保たれているのだろうか。
灯里には分からなかった。
ただ、十年前の資料には、現在の公開資料では見つからない測定項目がいくつも残されていた。
彼女はそれらを別のファイルに整理した。
*
夜。
湊は本部で装備の点検を受けていた。
新型の補助装置を装着したまま、腕を曲げ伸ばしする。
「以前より動作は安定していますね」
整備担当者が言った。
「ただ、急に止まると少し重い感じがします」
「負荷がかかると、補助機構の反応にわずかな遅れが出ます。まだ調整中です」
「身体への影響は?」
「現在も確認しています。長時間使用した場合のデータは、まだ十分ではありません」
湊は装置を外した。
「使う側が知らないことが多いままなのは、少し怖いですね」
「その点は研究部門にも伝えています」
整備担当者は装置を受け取った。
「ただ、装備がなければ対応できない現場も増えています」
「それも分かっています」
湊は自分の右腕を軽く動かした。
便利なものが必要になる状況はある。
しかし、便利だからといって、すべての問題が解決するわけではない。
*
深夜。
番号00の生命維持装置では、定期観察が行われていた。
担当研究員が測定結果を確認する。
生命活動の数値は安定している。
神経活動にも、前回から大きな変化はない。
研究員は記録を保存した。
そのとき、容器の中にある身体の指先が、ごくわずかに動いた。
研究員は画面を見直した。
「今の動きは……」
映像を拡大する。
確かに指先の位置が変わっている。
しかし、動作は一度だけだった。
研究員はすぐに責任者へ連絡した。
「身体の動きを確認しました。前回より明確です」
「意識活動との関係は?」
「まだ判断できません。追加の観察が必要です」
責任者は短く答えた。
「記録を続けろ。刺激は与えるな」
「分かりました」
研究員は装置の前に立った。
十年間、変わらなかった身体。
その指先が、再びわずかに動くことはなかった。
しかし、記録には初めて、明確な身体動作が残された。




