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新種族とアンカー  作者: 亀


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第四十一章 閉じられた扉

 灯里が閲覧申請を出していた十年前の研究資料について、追加の回答が届いた。

 許可されたのは、研究計画に関する概要資料だけだった。

 個体の詳細な観察記録や、事故当日の記録は対象外とされている。

 灯里は画面に表示された資料を開いた。

 そこには、複数の研究施設が参加した共同研究の概要が記されていた。

 研究目的は、特殊生命体の身体構造と生命活動の解明。

 さらに、その研究成果を人間の身体機能の改善に応用する可能性についても言及されていた。

「やっぱり……」

 灯里は資料を読み進めた。

 父親が関わっていた研究は、生命の観察だけを目的としたものではなかった。

 ただし、どの段階で研究方針が変わったのか、誰が決定したのかは分からない。

 資料の末尾には、研究責任者の承認記録があった。

 その中に、父親の名前も記されている。

 灯里は画面を見つめた。

 父親が研究に参加していたことは知っていた。

 しかし、父親が何に賛成し、何に反対していたのかは、まだ十分に分かっていない。

 彼女は承認記録の前後にある議事録を探した。

 だが、関連資料の大部分は閲覧制限がかかっていた。

     *

 その日の午後、特殊緊急防衛隊は別の現場へ向かっていた。

 場所は市街地にある大型商業施設。

 施設の管理者から、立体駐車場の一部で異常が発生したとの通報があった。

 駐車場の防犯カメラに人影が映り、複数の車両で警報装置が作動したという。

「また設備異常ですか」

 車内で湊が資料を確認した。

「最近は設備関係の通報が続いているな」

 隊員が答えた。

「原因が同じとは限りませんけどね」

「そうだ。現場ごとに確認する」

 隊長が会話を区切った。

 到着すると、施設の一部はすでに立入禁止になっていた。

 管理者の案内で、問題の区画へ向かう。

 床には、車両が急停止したようなタイヤ痕が残っていた。

「車両が動いたんですか?」

「一台だけです。運転者はいませんでした。駐車中に突然動き出し、壁に接触しました」

「負傷者は?」

「いません。車両の損傷も軽微です」

 湊は壁面を確認した。

 接触した部分には塗装の剥がれがある。

 その周囲に、黒い細かな粉末が散らばっていた。

「こちらを採取してください」

 隊長が指示する。

 別の隊員が監視映像を確認していた。

「隊長、映像に人影が映っています」

 画面には、駐車スペースの奥に立つ人型の影が映っていた。

 影は車両に近づき、しばらくその場に留まっている。

 次の瞬間、車両がわずかに動いた。

 しかし、人影が車両に触れたかどうかは確認できない。

「この個体が車両を動かしたのでしょうか」

「まだ分からない。車両の故障や駐車装置の不具合も調べる必要がある」

 隊長は映像を保存するよう指示した。

     *

 調査を続けていると、立体駐車場の上層階から金属音が聞こえた。

 湊たちは階段を上がった。

 通路の先に、暗い色の身体を持つ個体が立っていた。

 腕の一部が不自然に膨らんでいる。

 身体の表面には、以前の攻撃型個体に似た特徴があった。

「対象を確認!」

 隊員たちが警戒する。

 個体は防衛隊を見ると、周囲の金属部品を動かした。

 車止めが床から浮き上がり、こちらへ飛んでくる。

「防御!」

 湊は補助装備を作動させた。

 腕に強い衝撃が走る。

 金属部品は床に落ちたが、装備の反応が遅れ、湊の身体が後方へ押された。

「春日、大丈夫か!」

「大丈夫です!」

 別の隊員が住民の避難を進める。

 個体はさらに金属製の部材を動かした。

 天井付近の配管が揺れ、固定金具の一部が外れる。

「上方に注意!」

 隊長が叫ぶ。

 隊員の一人が転倒し、腕を打った。

「負傷者が出た! 救護を優先しろ!」

 湊は隊員のもとへ向かった。

 個体はその隙に通路の奥へ移動した。

「追跡しますか!」

「負傷者と避難者を優先する。追うな!」

 隊員たちは負傷者を安全な場所へ運び、施設の管理者と協力して駐車場を封鎖した。

 個体の姿は、再び確認できなくなっていた。

     *

 防衛隊へ戻った後、現場の記録が整理された。

 今回の攻撃個体は、過去に確認された暗色の個体と外見上の特徴が似ている。

 しかし、同一個体である証拠はなかった。

 また、車両が動き出した原因も不明のままだった。

「攻撃については、明確に確認できています」

 隊員が報告する。

「そうだ。危険な行動として記録する。ただし、駐車中の車両が動いた件まで、同じ個体の行動だと決めつけるな」

 隊長はそう指示した。

 湊は自分の腕を確認した。

 補助装備に守られた部分には大きな傷はない。

 しかし、衝撃の後から少し違和感が残っていた。

「装備の反応が遅れたな」

 隊長が言った。

「はい。以前より出力は上がっていますが、動作のタイミングに問題があります」

「研究部門へ報告しておけ。負傷者の状態も確認する」

「分かりました」

     *

 財閥の研究施設では、今回の現場映像と採取物の分析が進められていた。

「粉末の成分は?」

「特殊生命体由来の組織と共通する特徴が確認されています。ただし、完全には一致しません」

「攻撃個体の身体から剥がれたものなのか?」

「現時点では判断できません」

 研究責任者は映像を確認した。

「金属を動かす能力については、以前の記録と似ている」

「はい。ただし、個体の同一性は確認できていません」

「捕獲記録との照合は?」

「管理部門へ申請中です。閲覧許可はまだ下りていません」

 責任者は少し考えた。

「許可が下りるまで、現場の映像と分析結果を整理しておけ」

「分かりました」

 研究員は端末を操作した。

 その画面には、装備開発の進捗資料も表示されていた。

 特殊生命体の組織を利用した補助装備は、通常の機械部品だけでは再現できない反応を示すことがある。

 しかし、利用できる反応は限られていた。

 さらに、使用者の身体にどのような負担が生じるのかも、まだ十分には分かっていない。

     *

 夜。

 灯里は父親の資料を再び開いていた。

 今回の攻撃個体について、研究部門が公開した情報を確認する。

 腕の膨張。

 金属部品の移動。

 身体表面の変化。

 どれも父親の記録にある研究対象と直接結びつけることはできない。

 ただ、彼女は一つの記述を見つけた。

 父親が残した短いメモだった。

 そこには、個体の身体変化を観察する際、外から見える形だけで判断してはならないと記されていた。

 灯里はその文章を読み返した。

 能力が似ていることと、同じ個体であることは違う。

 そして、同じ個体であっても、以前と同じ状態にあるとは限らない。

 彼女は父親のメモを保存し、研究計画の承認記録へ戻った。

 そこには、まだ確認していない名前や資料番号が残されている。

     *

 公園の外れ。

 湊は帰宅途中に、森中の小型個体を見つけた。

 個体は街灯の下で、道路を走る車を見ていた。

「こんばんは」

「春日湊」

「車を見ているんですか?」

「速い」

「そうですね」

「止まることもできる」

「もちろんです。止まれないと危険ですから」

 個体は道路の先を見た。

「止まれないものは、壊れる」

「そうなることもありますね」

 湊は少し考えた。

「でも、止まるためにも力が必要なんですよ」

「進むための力とは違うのか」

「同じ力を使う場合もありますけど、動き方は違います」

 個体は自分の手を見た。

「動くことと、止まること」

「どちらも大切です」

 個体はしばらく黙っていた。

 それから、湊の腕に目を向けた。

「痛いのか」

「少しだけ。今日は仕事で衝撃を受けたんです」

「守ったのか」

「そうですね。ほかの人に危険が及ばないようにしました」

「お前は、いつも守る」

「仕事ですからね」

 個体は湊を見た。

「仕事でないと、守らないのか」

 湊は少し驚いた。

「仕事じゃなくても、助けることはあると思います」

「なぜ?」

「そのときに、助けたいと思ったら」

 個体は答えなかった。

 しばらくして、街灯の外へ歩いていった。

 湊はその姿を見送った。

     *

 地下研究施設。

 番号00の測定画面に、新たな変化が現れた。

 研究員が数値を確認し、責任者を呼ぶ。

「神経活動が、前回よりも明確になっています」

「身体の状態は?」

「指先に続く動きは、まだ確認できていません。ただし、測定値の変化は継続しています」

「十年前の記録との比較は?」

「一致しない部分があります。現在の状態を、当時の記録だけで説明することはできません」

 責任者は容器の中を見た。

 閉じられた目。

 静かに横たわる身体。

 その周囲で、生命維持装置が動き続けている。

「観察を続けろ」

「はい」

 研究員は記録を保存した。

 画面の端には、これまでの変化が時系列で並んでいる。

 その線は、少しずつ、しかし確実に、以前とは異なる方向へ伸びていた。

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