第三十七章 見えない管理
特殊緊急防衛隊に、新しい調査依頼が届いたのは、前回の山間部調査から三日後のことだった。
場所は市街地から離れた工業地域。
管理会社からの通報によると、夜間に敷地内の設備が何度か停止し、翌朝には保管されていた資材の配置が変わっていたという。
盗難の形跡は確認されていない。
しかし、監視カメラには説明のつかない映像が残っていた。
「映像を確認する」
隊長の指示で、会議室の画面に記録が映し出された。
深夜二時過ぎ。
倉庫の照明が一瞬だけ消える。
数秒後、通路の奥に人影らしきものが現れた。
その影は棚の前で立ち止まり、しばらく動かなかった。
次の瞬間、棚に置かれていた金属製の部品がわずかに浮き上がる。
しかし、映像はそこで乱れ、影の姿も部品の動きも確認できなくなった。
「この個体に見覚えは?」
隊長が尋ねる。
「以前の工場で確認された長腕の個体に似ているようにも見えます。ただ、映像だけでは判断できません」
「金属を動かす能力を持つ個体は、ほかにも確認されている。外見が似ているだけで同一とは限らない」
隊長は映像を止めた。
「現場では、管理会社の立ち会いのもとで確認する。勝手に設備を動かすな。対象を発見しても、まず周囲の安全を確保しろ」
湊たちは装備を整え、現場へ向かった。
*
工業地域の倉庫は、道路から少し奥まった場所にあった。
管理会社の担当者が入口で待っていた。
「こちらです。設備が停止したのは、今週に入ってから二度目です」
「停止した時間は分かっていますか?」
「監視記録では、どちらも深夜です。原因はまだ分かっていません」
担当者の案内で、湊たちは倉庫内へ入った。
棚には金属製の部品や工具が並んでいる。
一部の棚だけ、保管位置が変わっていた。
「ここが動いていた場所です」
担当者が棚を指した。
湊は周囲を確認する。
床には細い傷が残っていた。
棚の脚にも、何かが接触したような跡がある。
「部品はなくなっていますか?」
「いいえ。数はすべて確認しました。ただ、置き方が変わっていました」
「誰かが持ち出した可能性は?」
「出入口の記録では、該当する時間帯に人間の出入りはありません」
湊は棚の奥を見た。
そのとき、金属がかすかに鳴る音がした。
カン。
全員が音のした方向を向く。
倉庫の奥、積み上げられた資材の向こうに、人影が立っていた。
細長い腕。
灰色の身体。
表面には不規則な模様が走っている。
「対象を確認」
隊員が警戒姿勢を取った。
その個体は、湊たちを見ていた。
「また、あなたか」
湊が声をかける。
個体は少しだけ首を傾けた。
「ここに来た理由を聞いてもいいですか」
「見る」
「何を?」
「これ」
個体は棚の上に置かれた金属部品へ視線を向けた。
その部品が、わずかに浮き上がる。
隊員が銃を構え直した。
「動かすな!」
隊長の声が響く。
金属部品は空中で停止し、ゆっくりと棚へ戻った。
個体は隊員たちを見た。
「持っていかない」
「見るだけなら、管理会社に確認してからにしてください。ここにあるものは、誰かが管理しているものです」
湊が言うと、個体は棚を見た。
「管理」
「そうです。ここに置いてあるものを使う人がいる。勝手に動かしたり、持っていったりすると困る人がいます」
個体はしばらく黙っていた。
「分かった」
そう言って、棚から少し離れた。
しかし、完全にその場を離れる様子はなかった。
「何か探しているんですか?」
「まだ」
「まだ見つかっていない?」
「分からない」
以前と同じように、答えは短かった。
湊はそれ以上尋ねなかった。
そのとき、倉庫の奥で警報音が鳴った。
管理会社の担当者が驚いて振り返る。
「また設備が!」
照明が点滅し、倉庫の一部の機械が動き始めた。
「全員、離れろ!」
隊長が叫ぶ。
棚の上にあった金属部品が振動し、いくつか床に落ちた。
個体はその様子を見ていた。
「これは、あなたが?」
湊が尋ねる。
「違う」
個体は短く答えた。
「本当に?」
「動かしたのではない」
個体は機械の方を見た。
湊には、その言葉が何を意味するのか分からなかった。
機械の動作は数秒後に止まった。
隊員たちは周囲を確認し、負傷者がいないことを確かめる。
その間に、個体は倉庫の出口とは反対側へ移動していた。
「待ってください!」
湊が呼びかける。
個体は一度だけ振り返った。
「ここには、もう来ないのか?」
「分からない」
それだけ言うと、資材の陰へ姿を消した。
隊員たちは周辺を確認したが、個体を発見することはできなかった。
*
調査終了後、倉庫の設備は一時的に停止された。
機械の異常については、管理会社が専門業者に調査を依頼することになった。
「個体が現れた時間と設備の異常は重なっています。ただし、それだけで原因と判断することはできません」
隊長は報告書にそう記した。
「現場にいた個体は、何かを探していたようでしたね」
湊が言う。
「以前の資材置場でも同じような行動をしていた。だが、目的は分からない」
「何を作っているのかも、まだ話してくれません」
「本人が話さない以上、こちらから決めつけることはできない。ただし、管理区域への侵入や設備への影響は別の問題だ」
湊は頷いた。
相手の目的が分からないことと、現場の安全を守ることは、別々に考えなければならない。
*
財閥の研究施設では、倉庫から提出された映像が分析されていた。
「今回の映像では、金属部品が浮いている」
「はい。ただし、以前確認した個体と同一かどうかは判断できません」
「設備の停止については?」
「原因は不明です。個体の能力によるものか、設備自体の異常なのか、現時点では区別できません」
研究員は別の資料を開いた。
そこには、特殊生命体の組織を利用した装備開発の進捗が記されていた。
「こちらの試験は?」
「細胞反応に個体差があります。特定の反応を再現できる段階には至っていません」
「人体への適用は?」
「安全性の確認が終わっていません」
責任者は画面を見た。
「研究を止める必要はない。だが、結果を急ぐな」
「分かりました」
研究員は資料を閉じた。
別の端末には、管理対象の状態を示す一覧が表示されている。
その中には、外部への情報共有が制限されている項目もあった。
研究員は一覧を確認した後、端末を切り替えた。
*
灯里は、父親の古い研究資料を整理していた。
最近の現場で確認された金属の移動や、設備の異常。
それらを過去の研究記録と比較しても、明確な一致は見つからない。
ただ、父親の資料には、能力の発現と周囲の環境について記された部分があった。
灯里はそのページを読み返した。
能力が現れたという事実だけでは、その個体が何をしようとしているのかは分からない。
反対に、何かが起きたからといって、その個体が意図的に起こしたとも限らない。
彼女は資料の端に残された日付を確認した。
十年前。
現在の研究資料に記された日付とは、かなりの隔たりがある。
その間に何が行われていたのか。
父親が何を知り、どこまで反対していたのか。
まだ答えは見つからない。
灯里は資料を閉じ、別の記録への閲覧申請を送った。
*
夜。
湊は帰宅途中、駅から少し離れた公園の前を通った。
ベンチの近くに、小さな人影が立っている。
見覚えのある姿だった。
「こんばんは」
湊が声をかける。
森で初めて出会って以来、何度か話をしてきた小さな人型の個体だ。
個体は湊を見た。
「春日湊」
「覚えてくれているんですね」
「覚えている」
個体は公園の外を見た。
そこでは、清掃作業員が落ち葉を集めていた。
「人間は、何度も同じ場所を掃除する」
「落ち葉はまた落ちてきますからね」
「なくならないのに?」
「全部なくすのが目的じゃないんです。歩く場所を使いやすくするためですよ」
個体は作業員の動きを見ていた。
「終わっても、また増える」
「そうですね。でも、また掃除する人がいます」
「なぜ?」
「そこを使う人がいるからじゃないですか」
個体は少し考えた。
「必要だから?」
「そういうこともあります」
湊は公園の入口に目を向けた。
作業員は集めた落ち葉を袋に入れ、次の場所へ移動していた。
「人間は、同じことを繰り返すんですね」
「そうですね。全部が一度で終わるわけじゃないですから」
個体は湊を見た。
「お前も?」
「僕も?」
「守ることを繰り返すのか」
湊は少し考えた。
「そうなることもあります。守れたと思っても、次に別の危険が起きるかもしれませんから」
「終わらない」
「必ずしも終わるとは限りませんね」
個体はしばらく黙っていた。
やがて、公園の外へ歩き出す。
「もう行くんですか?」
「見るものがある」
「そうですか。気をつけて」
個体は返事をしなかった。
ただ、少し進んだところで一度だけ振り返り、そのまま夜の街へ消えていった。
*
地下研究施設。
番号00の生命維持装置では、神経活動の測定が続いていた。
研究員は前回までの記録と現在の数値を比較する。
「反応の間隔が、さらに短くなっています」
「身体の動きは?」
「現時点では確認できていません」
「映像記録を継続しろ。変化があればすぐに報告する」
「はい」
研究員は画面を切り替えた。
装置の中に横たわる身体は、依然として目を閉じている。
しかし、測定画面には、これまでとは異なる波形が少しずつ増えていた。
十年間変わらなかった状態は、確実に変化し始めている。
それが何を意味するのか、まだ誰にも分からなかった。




