第三十五章 知らされていないこと
特殊緊急防衛隊の本部に、装備更新に関する説明会の通知が届いた。
財閥の研究部門が開発した新型補助装備について、今後の運用方針を説明するという。
隊員たちは訓練室に集められた。
前方のスクリーンには、新しい装備の構造図が表示されている。
「今回の改良では、腕部と背部の補助機構を調整しました。従来型よりも高い負荷に対応でき、重量物の運搬や衝撃への対処能力が向上しています」
説明する研究員が、映像を切り替えた。
画面には、装備を使用している隊員の動作が映っていた。
「ただし、急停止時の反応遅延や、長時間使用による身体への負担については、引き続き検証が必要です」
「身体への負担というのは、具体的に何ですか?」
一人の隊員が質問した。
「現段階では、関節や筋肉への負荷が中心です。使用者によって疲労の程度も異なります」
「それ以外の影響は?」
研究員は一瞬、資料を確認した。
「現時点で確認されている範囲では、重大な問題は報告されていません」
湊はその言葉を聞きながら、以前の説明を思い出していた。
分からないことは、まだ多い。
それでも、現場で装備を使う隊員には、使い続けるかどうかを判断する材料が必要だった。
「質問があります」
湊が手を挙げた。
「どうぞ」
「この装備は、特殊生命体から採取した組織を利用しているんですか?」
研究員の表情がわずかに変わった。
「現在の補助装備は、複数の技術を組み合わせて開発されています」
「それは、利用していないという意味ですか?」
「詳細な構造については、研究部門の管理情報に該当します」
湊は研究員を見た。
「現場で使う人間には、どこまで説明されるんでしょうか」
「必要な情報は提供しています」
「必要かどうかを決めるのは、誰ですか?」
室内が静かになった。
研究員はすぐには答えなかった。
「研究部門と防衛隊の管理責任者が協議して決定しています」
説明会はそのまま続いた。
しかし、湊の疑問は解消されなかった。
*
説明会の後、隊員たちは新型装備の試験に参加した。
湊は腕部の補助機構を装着し、指定された重量物を持ち上げる。
以前よりも動作は安定していた。
しかし、方向を変えようとした瞬間、腕の動きがわずかに遅れた。
「止めてください」
湊は動作を中断した。
研究員が近づく。
「何か問題がありましたか?」
「右腕の反応が少し遅れました」
「記録上も、わずかな遅延が確認されています」
「これが現場で起きたら、どうなりますか?」
「使用環境によります。現在も調整を続けています」
「分かりました」
湊は装備を外した。
その横では、別の隊員が試験を続けていた。
「前より使いやすいですね」
「確かに、力は出しやすい」
「これなら、もっと強い相手にも対応できるかもしれない」
隊員たちの反応はさまざまだった。
装備の性能向上を歓迎する者もいれば、身体への負担を心配する者もいる。
湊は、そのどちらも間違いだとは思わなかった。
現場で命を守るためには、強い装備が必要になることもある。
しかし、性能だけを見て使い続ければいいわけでもない。
*
同じ頃、財閥の研究施設では、別の実験が行われていた。
特殊生命体から採取した組織を利用し、人間の細胞にどのような反応が起きるのかを調べている。
研究員が測定結果を確認した。
「今回も細胞の反応に個体差があります」
「試料の違いか?」
「その可能性があります。組織の採取元によっても反応が異なります」
「適合率は?」
「一定の数値にはなっていません。変化の方向も試料によって違います」
責任者は結果を確認した。
「人体への応用には、まだ時間が必要だな」
「はい。現段階では安全性を判断できません」
「試験結果をまとめておけ」
研究員は画面を切り替えた。
そこには、過去の試験記録も保存されていた。
すべてが同じ条件で行われたわけではない。
研究の進行に伴い、実験方法も少しずつ変わっている。
「ところで、特殊生命体の確保状況は?」
「現在も複数の目撃情報を追跡しています。確実に捕獲できた対象については、別部門が管理しています」
「資料を共有してくれ」
「閲覧権限の確認が必要です」
「申請を出せ」
研究員は返事をした。
研究施設の別区画では、一般の研究員には公開されていない資料が管理されていた。
*
灯里は、父親の研究記録と現在の財閥資料を比較していた。
現在の研究資料には、特殊生命体の身体構造や能力の分析結果が少しずつ蓄積されている。
しかし、十年前の資料と比べると、研究の目的が違っているように見えた。
父親の記録では、個体ごとの変化や行動が中心だった。
一方、現在の研究では、組織の利用方法や能力の再現が大きな割合を占めている。
灯里は、公開されている研究概要を読み返した。
そこには、人間の身体機能を向上させるための研究も含まれていた。
「人間の身体を変える……」
彼女はその言葉を口にした。
それが具体的にどこまで進んでいるのかは分からない。
だが、現在の研究が特殊生命体を観察するだけのものではないことは明らかだった。
灯里は、父親の古い資料を開いた。
そこには、短い記述があった。
『生命の仕組みを理解することと、その仕組みを人間のために利用することは、別の判断を必要とする』
灯里は資料を保存した。
父親が何を恐れていたのか。
その答えを知るためには、まだ閲覧できていない記録が必要だった。
*
夕方。
湊は防衛隊の施設を出たところで、道路の向こう側に小型の人型個体を見つけた。
個体は歩道から少し離れた場所に立ち、工事現場を見ていた。
道路では作業員が機材を運んでいる。
湊は近づいた。
「また会いましたね」
個体が振り返った。
「春日湊」
「今日は何を見ているんですか?」
「人間が、地面を変えている」
工事現場では、作業員が地面を掘り、資材を運び込んでいた。
「建物を作るためですよ」
「なぜ?」
「そこに建物が必要だからです」
「必要」
「人が住んだり、仕事をしたりする場所を作るんです」
個体は工事現場を見続けた。
「人間は、何もない場所にものを作る」
「そうですね」
「作ったものは、残るのか」
「長く残るものもあります。でも、いつか壊したり、別のものに作り替えたりすることもあります」
「なぜ壊す?」
「必要がなくなったり、古くなったり、別の使い方をしたくなったりするからです」
個体はしばらく黙っていた。
「作ることと、壊すことは同じなのか」
「同じではないと思います。でも、人間は両方します」
個体は湊を見た。
「お前も作るのか」
「僕は、こういうものを作る仕事ではありません」
「では、何をする」
「人間を守る仕事です」
「守るために、何かを壊すこともあるのか」
湊は少し考えた。
「必要なら、危険なものを止めることはあります。でも、何でも壊せばいいわけではありません」
個体は工事現場へ視線を戻した。
作業員たちは、互いに声をかけながら資材を運んでいる。
「人間は、作ったものを自分で変える」
「そうですね」
「変えたくなったら、変える」
「いつも自由にできるわけではありませんけどね。土地の持ち主や、そこを使う人との約束もあります」
個体はその言葉を聞き、しばらく考えていた。
「約束」
「前にも話しましたね」
「覚えている」
個体はそれ以上話さず、工事現場から離れていった。
湊はその背中を見送った。
個体が何を考えていたのかは分からない。
ただ、以前よりも質問の内容が少しずつ変わっているように感じた。
*
地下研究施設。
生命維持装置の数値が、再び変化していた。
「反応が増えています」
「身体の状態は?」
「目立った変化はありません。ですが、神経活動に相当する波形が、以前よりも明確になっています」
責任者はモニターを見た。
「過去の記録と比較しろ」
「比較しています。十年前の事故直前の記録とは、まだ一致していません」
「同じ状態になるとは限らない。現在の変化をそのまま記録しろ」
「はい」
研究員は入力を続けた。
そのとき、容器の中の手の指が、ほんのわずかに動いた。
「……今、動きましたか?」
研究員が画面を拡大する。
指先はすでに静止していた。
責任者が映像を確認した。
「計測機器の誤差ではないのか」
「複数の角度から確認します」
映像を巻き戻し、再生する。
指先が、確かにわずかに動いていた。
研究員は息を呑んだ。
「身体の自発的な動きかもしれません」
「断定するな。記録を保存しろ」
「はい」
責任者は透明な容器を見つめた。
十年間、眠り続けていた個体。
その身体に、初めて明確な変化が現れ始めていた。
しかし、その目が開くことはなかった。




