第三十三章 選ばれたもの
特殊緊急防衛隊に、緊急出動の連絡が入った。
場所は市街地にある立体駐車場。
複数の車両が突然動き出し、駐車場の内部で衝突したという。
通報したのは、近くにいた施設管理者だった。
「事故発生時、駐車場には数台の車両が残っていたそうです。現在、警察が周辺を封鎖しています」
「負傷者は?」
「一人、軽傷者が出ています。すでに救急搬送されました」
「車両が動いた原因は?」
「不明です。エンジンを切って駐車していた車両も動いたと証言されています」
隊長は現場の映像を確認した。
駐車場の監視カメラには、車両の一部が突然動き出す様子が映っていた。
ただし、映像の中に特殊生命体らしき姿は確認できない。
「機械的な故障の可能性もある。現場で確認する」
*
駐車場に到着すると、入口付近には警察官と施設管理者がいた。
「こちらが事故のあった区画です」
管理者が説明する。
「車両はすべて停止しています。現在、電源系統を切っています」
湊たちは内部へ進んだ。
壁際には、衝突した車両が二台停まっていた。
その奥に、駐車スペースからずれた車が一台ある。
「この車両も動いたんですか?」
「はい。運転者はいませんでした。駐車してから十分ほど経過していたそうです」
「キーは?」
「運転者が持っていました」
湊は車両の周囲を確認した。
外装に大きな損傷はない。
だが、床にはタイヤが滑ったような跡が残っていた。
「床に何か付着しています」
隊員がしゃがみ込んだ。
そこには、黒い粉のようなものがわずかに散らばっていた。
「採取して研究部門に回そう」
隊長が指示する。
そのとき、駐車場の奥から小さな音が聞こえた。
金属が擦れる音だった。
湊はそちらを向いた。
柱の陰に、人影が立っている。
暗い色の身体。
腕の周囲が膨らんで見える。
以前、道路で防衛隊を攻撃した個体と似た特徴だった。
「対象を確認!」
隊員が声を上げた。
個体は腕を動かした。
近くに置かれていた金属製の車止めが浮き上がる。
「全員、遮蔽物へ!」
隊長の指示と同時に、金属片が飛んできた。
湊は補助装備を作動させ、腕を上げて衝撃を受け止める。
鈍い音が駐車場に響いた。
金属片は床に落ちた。
「負傷者は?」
「ありません!」
別の隊員が答える。
隊長は対象から距離を取りながら、警告を続けた。
「これ以上の攻撃をやめろ!」
個体は答えない。
その腕が再び動いた。
今度は、駐車場の天井に設置されていた金属製の配管が揺れた。
「上だ!」
湊が叫ぶ。
隊員たちは一斉に退避した。
配管の固定部が外れ、床に落下する。
衝撃で周囲に破片が飛び散った。
湊は一人の隊員を引き寄せ、落下地点から離した。
その間に、個体は駐車場の出口へ向かって移動していた。
「追跡する!」
「待て!」
隊長が制止する。
「周囲の安全確認が先だ。負傷者と施設内の人間がいないか確認しろ!」
隊員たちは追跡を中断した。
個体はそのまま外へ出て、建物の陰に消えた。
*
駐車場の安全確認が終わるまで、周辺道路は封鎖された。
防衛隊は、負傷した隊員がいないことを確認した後、現場の調査を続けた。
「車両の移動と対象の攻撃に関連はあるのでしょうか」
湊が尋ねた。
「今のところ分からない。車両が動いた時刻と対象が現れた時刻は一致していない」
「では、対象が車両を動かしたとは限らないんですね」
「そうだ。関連を確認するまでは、別の現象として扱う」
隊長は調査結果をまとめた。
黒い粉のような物質は採取され、研究部門に送られることになった。
また、駐車場の設備についても、警察と管理会社が調査を続ける。
原因はまだ分からない。
*
財閥の研究施設では、採取された黒い物質の分析が始まっていた。
「特殊生命体の組織と一致する特徴があります」
「どの程度だ?」
「現時点では、類似性があるという段階です。完全に同一とは判断できません」
「対象の能力との関係は?」
「金属を操作する能力との関連も調べていますが、まだ結論は出ていません」
研究責任者は資料を見つめた。
「これまでの攻撃事例と比較しろ。腕部の変化、金属の移動、周辺設備への影響。共通点があるか確認する」
「同一個体の可能性も調べますか?」
「もちろん。ただし、映像だけで決めるな」
研究員は記録を整理した。
これまでの事件では、似た特徴を持つ個体が複数回確認されている。
しかし、同一個体なのか、似た能力を持つ別個体なのかは分かっていない。
*
その頃、灯里は父親の資料を調べていた。
最近の異常事件について記録をまとめる中で、彼女はひとつの傾向に気づいていた。
個体の行動は、必ずしも人間に対する敵意だけで説明できるものではない。
観察する個体。
何かを作ろうとする個体。
水の流れを調べる個体。
そして、人間に攻撃を加える個体。
同じ種族である可能性があっても、行動は大きく異なっている。
灯里は十年前の研究資料を開いた。
父親の記録には、個体の能力についての観察があった。
その中に、短い記述が残されていた。
『能力の発現は、外部から与えられた命令によるものとは限らない』
灯里は画面を見つめた。
能力を持っていることと、その能力をどう使うかは別の問題なのだろう。
だが、今回の駐車場の事件では、実際に人間が負傷している。
個体の意思を理解する必要があるとしても、被害を受けた人間の安全を後回しにはできない。
灯里は事件資料を保存した。
*
夜。
湊は帰還途中、駅前の歩道を歩いていた。
人々が行き交い、店の明かりが道路を照らしている。
その先の建物の屋上に、小さな人影が見えた。
森で初めて会った、小型の人型個体だった。
湊は少し離れた場所で立ち止まった。
「こんばんは」
個体は下を向いた。
「春日湊」
「そうです。覚えていましたね」
「人間が多い」
「駅の近くですからね。帰る人も多いんです」
個体は歩道を見つめた。
人々はそれぞれ違う方向へ歩いていく。
誰かは携帯電話を見ながら歩き、誰かは隣の人と話し、誰かは急いで駅へ向かっていた。
「今日、人間が壊れたものを見た」
「壊れたもの?」
「大きなものが落ちた」
湊は少し驚いた。
「どこで見たんですか?」
「遠く」
「今日、駐車場で事故がありました。もしかすると、そのことかもしれません」
個体は湊を見た。
「人間は、壊れるのか」
「人間も怪我をします。だから、危ないことが起きないように守る必要があります」
「守る」
「そうです」
「お前は、また守りに行くのか」
「仕事ですからね。それに、怪我をする人が少ない方がいいです」
個体はしばらく考えていた。
「攻撃するものは、守るのか」
湊はすぐには答えなかった。
「攻撃してくる相手を止めることはあります。でも、相手を傷つけることだけが目的ではありません」
「止める」
「これ以上、誰かが怪我をしないようにするためです」
個体は歩道へ視線を戻した。
「人間は、難しい」
「そうですね。僕も全部分かっているわけじゃありません」
湊がそう言うと、個体は少しだけ首を傾けた。
「お前も、分からないのか」
「分からないことはたくさんありますよ」
個体は返事をしなかった。
やがて、屋上の端から離れ、建物の向こうへ移動していった。
湊はその姿を見送った。
今日の事件について、個体が何かを知っているのかは分からない。
ただ、彼が見たという「壊れたもの」が何だったのか。
それが少し気になっていた。
*
地下研究施設。
生命維持装置の前で、研究員が異常な数値を確認していた。
「また反応が変化しています」
「前回と比べてどうだ?」
「生命活動の数値は上昇しています。ただし、身体の状態に目立った変化はありません」
「神経活動に相当する反応は?」
「一部で、これまでとは異なる波形が確認されています」
責任者は画面を見つめた。
容器の中の身体は、静かに横たわっている。
「記録を保存しろ。過去のデータとの比較も続けろ」
「はい」
研究員は新しい波形を保存した。
その数秒後、波形の一部が再び変化した。
研究員は画面を見つめたまま、操作する手を止めた。
それは、これまでの変化とは異なる反応だった。
しかし、まだ誰も、それが何を意味するのか説明できなかった。




